第8話 商会への帰還、新たなるチーム
俊が「仕組み」を導入してから、二週間が過ぎた。グランツ支店は、もはや俊やティアが細かく指示を出さなくても、自らの力で走り始めていた。
『顧客ノート』には、従業員たちの丁寧な文字で、お客様一人一人との小さな物語が日々書き加えられていく。週に一度のミーティングでは、支店長のブレンナーが中心となり、活発な意見が交わされていた。
「顧客ノートによると、最近、お祝いの品を探しているお客様が多いようです。そこで、来週は染め物担当の出番だ。うちの布を使った『贈り物ラッピング』を提案してみてはどうだろう?」
「それなら、私が担当している茶葉と組み合わせたギフトセットも作れます!」
二人の提案に、俊は頷きながらも、あえて問いを投げかけた。
「いいアイデアだ。だが、その前にもう一歩だけ深く考えてみよう。なぜ今、この街ではお祝いの品を探しているお客様が多いんだ? 何か、特別な理由があるんじゃないか?」
俊の言葉に、従業員たちははっとした顔で互いを見合わせた。今まで、彼らは目の前の現象に対応することしか考えていなかった。その背景にある「理由」を探ろうとはしなかったのだ。
しばらくの沈黙の後、一番年配の染め物担当が、ぽんと手を打った。
「……そういや、もうすぐ年に一度の『航海安全祈願祭』の季節だな。この港町じゃ、一番大きな祭りだ」
その言葉に、若い香辛料担当も続く。
「ああ、そうか! 祭りが近づくと、長い船旅に出る船乗りたちが家族に贈り物をしたり、陸に残る家族が船乗りに無事を祈る品を渡したりするんだ!」
ティアが、顧客ノートをめくりながら声を上げた。
「あっ! だからミリア様は、ご主人への贈り物を探していたんですね! ミリア様のご主人は、船の船長さんだって、ノートに書いてあります!」
点と点が、線で繋がった瞬間だった。彼らは、自分たちの手で集めた情報から、市場の大きな流れ(ニーズ)を突き止めたのだ。俊は、その様子に満足げに頷いた。
「その通りだ。これが、このミーティングの本当の力だ。なぜお客様が商品を求めるのか、その理由が分かれば、俺たちの提案はもっと的を射たものになる。『贈り物』というだけじゃない。『長い船旅に出る大切な人へ贈る、無事を祈る気持ちのこもった品』として、商品を提案できるんだ」
その言葉に、従業員たちの目の色が再び変わった。
「それなら、長持ちする香辛料と、体を温める茶葉のセットはぴったりですね!」
「この丈夫な布で作ったお守り袋を添えてもいいかもしれない!」
彼らはもう、指示を待つだけの人形ではない。自らの頭で考え、店をより良くしようと知恵を出し合う、誇り高きチームへと変貌を遂げていた。俊は、その様子に静かに頷くと、王都にいるラッドへ一通の手紙を送った。
『準備は、整いました』と。
その手紙を送ってから一週間と少しが経った頃。王都からの長旅を終えた一台の立派な馬車が、店の前に停まった。降りてきたラッドは、しかし、すぐには店に入ろうとしない。彼は通りの向かい側に立ち、腕を組んで、じっと店の様子を眺めていた。
そこには、彼が王都で見ていた報告書の、冷たい数字だけでは決して分からない光景が広がっていた。店の前では、染め物担当の年配店員が、目を輝かせた女性客を相手に、生き生きと布の物語を語っている。
ひっきりなしに出入りする客を、若い店員たちが自信に満ちた笑顔で迎え入れ、店内は明るい活気に満ち溢れていた。
(……これが、俺の店なのか……?)
ラッドは、自分の目を疑った。そして、その光景を作り出したのが、他ならぬ、かつては死んだような目をしていた従業員たち自身であることに気づき、胸の奥から熱いものが込み上げてくるのを感じた。
その日の夜。俊たちが滞在する宿の一室に、ラッドは俊とティア、そしてブレンナーを呼び出した。
「……ブレンナー」
ラッドの静かな呼びかけに、ブレンナーは背筋を伸ばして向き直る。
「見事だった。お前も、店の者たちも、本当によくやった」
それは、ラッドがこれまで誰にも見せたことのない、心からの称賛の言葉だった。ブレンナーは、その一言に、今までの苦労が全て報われたような気持ちになり、深く、深く頭を下げた。
「それで、俊。今後のことだが……」
ラッドは、俊に向き直ると、真剣な目で尋ねた。
「このグランツでの成功を、どうすれば本店と王都支店にも広げられる? 正直、俺が口で説明したところで、誰も本気にはしないだろう」
その問いに、俊は待っていましたとばかりに頷いた。
「ええ。だからこそ、次の手はすでに考えてあります。――このグランツ支店を、フォルクナー商会再建のための『モデル店舗』にするんです」
「モデル店舗?」
「はい。俺が一つ一つ支店を回るより、その方が早い。ラッドさんには王都に戻り次第、本店と、もう一つの支店の責任者たちをここに召集していただきたい。彼らには、この店で一週間、研修を受けてもらうんです」
俊の壮大な計画に、ブレンナーが息を呑む。
「そして、その研修の講師は、俺とティアだけじゃありません。他ならぬ、ブレンナー支店長と、ここにいる従業員の皆さんです」
「わ、私たちが……講師、ですか!?」
「ええ。誰よりも雄弁なのは、皆さんのその姿です。どうやって誇りを取り戻したのか、その全てを、今度は君たちが、かつての自分たちと同じように悩む同僚に、教えてやってください」
俊の言葉に、ラッドは目を見開いた。そして、その計画の真意を理解すると、ニヤリと口の端を吊り上げた。
「……なるほどな。最高じゃないか。いいだろう、俊。その案、採用だ! 俺の権限で、全員をここに集めてやる!」
それは、ブレンナーたちにとって、これ以上ない信頼の証だった。ラッドが、俊の提案を即座に受け入れ、力強く後押ししてくれたのだ。
「ありがとうございます、ラッドさん。彼らなら、きっとやり遂げますよ」
こうして、グランツ支店の成功は、フォルクナー商会全体の未来を照らす、大きな希望の光となった。ラッドが王都へと帰っていった翌日から、グランツ支店は新たな熱気に包まれた。
「俺たちが、本店の連中に教えるだと……?」
従業員たちは、途方もない大役に戸惑いながらも、その顔には隠しきれない誇りが浮かんでいた。自分たちの成功が、商会全体を変える力になる。その実感が、彼らを奮い立たせていた。
俊とティアは、早速、一週間後に迫った合同研修の準備に取り掛かった。
俊は支店長のブレンナーと向き合っていた。
「ブレンナー支店長。研修当日、仕組みについての説明は、あなたにやってもらいます」
「わ、私がですか!?」
「ええ。誰よりも、この仕組みで店が変わったことを実感しているあなたの言葉が、一番彼らの心に響くはずです」
俊は、ブレンナーが講師として自信を持って立てるよう、週次ミーティングの進め方や顧客ノートの活用法について、徹底的に指導を始めた。
最初は戸惑っていたブレンナーも、俊の熱意に応えるように、必死に食らいついていく。彼の目にはもう、かつての無気力な男の面影はなかった。
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