第7話 再び流れる黒い噂
招待状を配り終えた日から、「公開品質証明会」当日までの三日間は、まるで嵐の前の静けさのようであり、同時に目まぐるしいほどの喧騒の中にあった。俊の指示のもと、コルネ亭とアランの店、二つの家族は一丸となって決戦の準備を進めていた。
場所は、コルネ亭の目の前にある小さな広場。普段は子供たちが遊び、主婦たちが井戸端会議に興じるのどかな場所だ。
俊はその広場の使用許可を街の管理事務所から取り付けると、簡素ながらも人々の目を引く、小さな舞台を設営させた。
「ロランさん、エマさん。当日は、うちが扱っている全ての原材料を、民衆に見える形でここに並べます。小麦粉、卵、牛乳、野菜、果物……全てです。そして、可能であれば、仕入れ先の農家さんや商人の方にも証人として来てもらえるよう、お願いしてきてください」
「おう、任せろ!俺たちの誠実さを、骨の髄まで見せてやる!」
「ええ。私たちの仕事に、隠すことなど一つもありませんから」
ロランとエマは、俊の言葉に力強く頷くと、早速付き合いのある取引先を回るために店を飛び出していった。
彼らの顔には、不安よりもむしろ、自らの仕事の正しさを証明できることへの誇りが浮かんでいた。
「アラン。君には、君の魔法がいかに清らかで、安全なものかを証明してもらう。当日は、君が作り出した氷と、井戸から汲んだ普通の水を凍らせた氷、両方を並べて、その透明度の違いを見せつけるんだ。ただ、それだけじゃ主観的で弱い。何か、氷に不純物が混ざっていないことを客観的に鑑定するような道具はないのか?」
俊の問いかけに、アランは少し考え込むと、はっとしたように顔を上げた。
「鑑定用の道具……。そういえば、商業ギルドにはポーションの品質なんかを鑑定する魔道具があったはずです。もしかしたら、それなら氷の不純物も確認できるかもしれません」
「それだ。よし、その魔道具を借りられるよう、俺がギルドと交渉してくる。不純物が一切ないことを、客観的な形で証明するんだ」
「はい……!僕の魔法は、人の役に立つためにある。それを、僕自身の力で証明してみせます!」
アランは、以前の気弱さが嘘のように、まっすぐな瞳で俊を見つめ返した。
彼の隣で、ニコラもまた、力強く拳を握りしめている。
彼女は当日、来場者への対応と、試食を配る係だった。
「ティア。君には、この証明会の告知文と、当日配るための簡単な説明書を作ってもらいたい。難しい言葉はいらない。俺たちが、どれだけ素材を大切に思い、お客様のことを考えてパンを焼いているか。君の素直な言葉で書いてくれれば、それが一番人の心に響く」
「わかった!私たちのパンが、大好きだっていう気持ちを、全部込めて書くよ!」
ティアは目に涙を溜めながらも、満面の笑みで頷いた。その手には、もう迷いはなかった。
俊自身もまた、休むことなく動き回っていた。彼は街のチンピラたちに金を掴ませ、悪質な噂を最初に流し始めた人物の情報を集めていた。
金の流れを追えば、黒幕にたどり着く。それは、前世で競合調査をしていた頃と何も変わらない、地道だが確実な情報戦だった。
そして街中には、ティアが心を込めて書いた告知の貼り紙が貼られていった。
『コルネ亭とアランの店より、王都の皆様へ。
私たちのパンと氷について、今、流れている悲しい噂の「真実」をお話しします。
どうか、皆様のその目で、私たちの仕事を確かめに来てください』
その誠実で、少し切実な文章は、人々の足を止めさせた。単なる野次馬根性だけでなく、「もしかしたら、本当に何かあるのかもしれない」という小さな期待を、人々の心に芽生えさせていった。
そして、運命の日が訪れた。冬の空はどこまでも高く、澄み渡っており、冷たくも清浄な空気が広場の緊張感を際立たせていた。
広場に設営された舞台の前には、いつの間にか黒山の人だかりができていた。噂を信じ込み、糾弾しに来た者、半信半疑で事の成り行きを見守りに来た者、そして、ただの騒ぎを見物に来た野次馬。様々な思惑が入り混じった視線が、舞台の一点に集中している。
その最前列には、ひときわ重々しい雰囲気を放つ一団がいた。
商業ギルドのギルドマスター、バルド・レンツ。その隣には、厳つい顔つきの衛兵隊長、オーブリー・ベルク、そして、フォルクナー商会の印章に動かされたのであろう、他の大商会の会頭たちの姿もあった。
彼らは腕を組み、鋭い目で舞台を見据えている。彼らが「裁定者」として、ここにいるのだ。
舞台裏では、ティアたちが固唾を飲んで出番を待っていた。
「すごい人……。私、ちゃんとできるかな……」
「大丈夫だよ、ティアちゃん。練習通りやれば、きっと伝わるから」
ニコラが、震えるティアの手を優しく握る。アランも、ロランも、エマも、皆、固い表情で舞台袖を見つめていた。
やがて、広場のざわめきが最高潮に達した時、一人の青年が、静かに舞台の中央へと歩み出た。日向俊だ。彼は、特別な衣装をまとっているわけではない、いつもの動きやすい質素な服だ。
しかし、その背筋はまっすぐに伸び、何百という視線に晒されながらも、その歩みに一切の乱れはなかった。
俊はマイクなどない世界で、全ての聴衆に届くよう、明瞭な声を張り上げた。その第一声は、意外なほど静かで、しかし凛とした響きを持っていた。
「皆様、本日はお集まりいただき、誠にありがとうございます。私は、シュン・ヒナタと申します」
彼は深く、丁寧に頭を下げた。
「本日、皆様にお集まりいただいた理由はただ一つ。私たち……コルネ亭のパンと、アランの店の氷が、本当に皆様の信頼に値するものなのかどうか。それを、皆様自身の目で、耳で、そして舌で、確かめていただくためです」
広場がしんと静まり返り、誰もが彼の次の言葉を待っていた。
「今、この王都には、私たちを貶めようとする噂が蔓延しています。私たちのパンでお腹を壊した子供がいる、と。私たちのケーキには、傷んだ野菜が使われている、と。……アランの魔法の氷には、不純物が混じっている、と」
俊は、一つ一つの噂を、はっきりと口にした。まるで、自らに突きつけられた罪状を読み上げるかのように。
「もし、それらが全て真実であるならば、私たちは万死に値します。食を扱う者として、お客様の信頼を裏切ること以上に、重い罪はありません。私たちは、商業ギルドのいかなる裁定も、衛兵隊のいかなる罰も、甘んじて受ける覚悟です」
その潔い言葉に、聴衆の中からごくりと息を呑む音が聞こえた。最前列のギルドマスター、バルドが、わずかに眉を動かす。
「ですが」
俊は、そこで初めて、顔を上げた。その瞳には、燃えるような、しかしどこまでも静かな怒りと、そして揺ぎない自信の光が宿っていた。
「もし、それらが全て……誰かの悪意によって生み出された、根も葉もない嘘だったとしたら?その嘘によって、真面目に働く者たちの誇りが踏みにじられ、皆様が本当に美味しいものを楽しむ機会が奪われているのだとしたら……皆様は、その嘘を許すことができますか?」
それは、聴衆一人一人に突きつけられた問いだった。単なる店の存続をかけた言い訳ではない。
これは、この王都に生きる全ての者に関わる、「公正さ」と「真実」を問う戦いなのだと、俊は宣言したのだ。
「これから、皆様の前で、私たちの全てをお見せします。一切の隠し事なく、私たちの仕事の、その一から十までを。そして、最後に判断するのは、ここにいる皆様、お一人お一人です」
俊は、舞台の袖に立つ仲間たちに、力強く頷いてみせた。
「ではご覧ください。私たちの、『信頼』の証明を」
その言葉を合図に、ロランとエマが、山のような新鮮な野菜と、輝くような小麦粉の袋を積んだ荷車を引いて、舞台へと現れた。
壮大な反撃の舞台の幕が、今、静かに上がった。
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