第7話 再び流れる黒い噂
コラボレーションの成功は、目に見える形で二つの店に活気をもたらしていた。コルネ亭には、手土産として野菜ケーキを求める客や、アイスサンドで使われているパンとジャムを買いに来る客が絶えず訪れる。
アランの店も、王都で唯一無二のスイーツを求める人々で連日賑わい、ニコラの接客にも自信が満ち溢れていた。
「俊さん、見て! 今日の売上、過去最高なの!」
「ティアも、ジャムの在庫管理がすごく上手くなったな」
閉店後、それぞれの店で交わされる会話は、明るいものばかりだった。この幸せな日々が続く。誰もがそう信じていた。
異変の兆しは、ある日の午後、些細な噂話から始まった。
「ねえ、聞いた? コルネ亭のパンを食べた子が、お腹を壊したらしいわよ」
「まあ、本当? うちの子も昨日食べたのに……」
井戸端会議で交わされる、根も葉もない噂。最初は、誰も気に留めていなかった。
しかし、その噂は日を追うごとに、じわりじわりと街に広がっていく。
「アランの魔法、最近は不安定で氷に変なものが混じるらしいぜ」
「コルネ亭の野菜ケーキ、あれ、傷んだ野菜を誤魔化して作っているんだってさ」
噂は尾ひれがつき、より具体的で、悪意に満ちたものへと変わっていった。そして、人々の心に、じわじわと疑念という名の毒を植え付けていく。
変化は、まず客足に現れた。あれほど賑わっていた二つの店が、明らかに閑散とし始めたのだ。店の前を通り過ぎる人々は、好奇と侮蔑が入り混じったような、冷ややかな視線を向けてくる。
「ねえ、あそこが噂の……」
「怖いから、近づかないでおきましょう」
そんなひそひそ話が、ティアやニコラの耳にも届くようになった。懸命に笑顔で声をかけても、お客様は気まずそうに顔を背け、足早に去っていく。
「みんな……どうして、あんな噂を信じてしまうんだろう」
客のいない店内で、ティアはぽつりと呟いた。その瞳からは、いつもの輝きが消え失せている。
アランの店でも、ニコラが俯いたまま、唇をきつく結んでいた。
そんな事態を冷静に分析していたのは、俊だった。
(噂の広がり方が、あまりに早すぎる。それに、内容が具体的で作為的だ。これは、自然発生したものじゃない。誰かが意図的に、俺たちの『信頼』を破壊するために仕掛けた情報操作だ)
食という、最もデケートな部分を狙った、陰湿で狡猾な攻撃。こんな真似をする人間に、俊は一人しか心当たりがなかった。
(あの男……正攻法では勝てないと悟って、手段を選ばなくなってきたか)
その日の夜、俊はコルネ亭の家族と、アラン、ニコラを一つのテーブルに集めた。皆の顔には、疲労と不安の色が濃く浮かんでいる。
「みんな、辛い状況なのは分かっている。だが、下を向いているだけでは何も変わらない」
俊は、テーブルを囲む全員の顔を、一人一人、力強い目で見つめた。
「これは、俺たちに対する『戦争』だ。相手は、俺たちの店の心臓である『信頼』を、言葉という武器で攻撃してきている。ならば、俺たちも同じ方法で反撃するまでだ」
その静かだが、確固たる意志を宿した声に、皆はっと顔を上げた。
「反撃……ですか?」
アランが、かすれた声で問いかける。
「ああ。マーケティングとは、価値を伝える技術であると同時に、人の心を動かす技術でもある。そして、それは時として、最強の武器になるんだ」
俊は、不敵な笑みを浮かべた。その瞳の奥には、すでに次なる一手、反撃の狼煙を上げるための、壮大な計画が描かれていた。
俊の力強い宣言に、テーブルを囲む全員が固唾を呑んだ。一番に口を開いたのは、心配そうに眉を寄せたロランだった。
「反撃、とは言うが……どうするんだ? 街角に立って、噂は嘘だと叫んでも、誰も聞いてはくれんだろう」
「ええ、その通りです」
俊は、ロランの言葉に静かに頷いた。
「ただ噂を否定するだけでは意味がない。一度植え付けられた疑念は、否定されればされるほど、かえって根を深く張るものです。だから俺たちは、『言葉』に『事実』で対抗します」
「事実、ですか……?」
おずおずと尋ねるニコラに、俊は自信に満ちた笑みを向けた。
「ああ。俺たちのパンが、ケーキが、アイスが、どれだけ安全で、どれだけ誠実に作られているか。その『事実』を、お客様の目の前で証明して見せるんだ」
俊はテーブルに両手をつき、全員に聞こえるよう、はっきりとした声で続けた。
「三日後、この店の前の広場で、大規模な『公開品質証明会』を開催します」
「こうかい……ひんしつ……?」
聞き慣れない言葉に、ティアが首を傾げる。
「お客様の前で、俺たちの全てを公開するんだ。ロランさんには、いつも通りパンやケーキの生地を作ってもらう。その材料が、どれだけ高品質なものか。どんな農家から仕入れているのか。その全てを、お客様に見てもらうんです」
俊の視線が、アランへと移る。
「アランには、君の魔法で氷を作る過程を実演してもらう。君の清らかな魔力から生まれる、一点の曇りもない美しい氷を、みんなに見せつけるんだ」
そして、ティアとニコラに向き直る。
「ティアとニコラには、その材料を使って、笑顔でお客様に商品を振る舞ってもらう。いつも通りの、君たちの心のこもった接客でね」
俊の計画の壮大さに、誰もが言葉を失っていた。それは、単なる試食販売会ではない。製造工程という、店の心臓部をすべて公衆の面前に晒すという、前代未聞の試みだった。
「そ、そんなことをして大丈夫なのでしょうか……? レシピが盗まれたり……」
エマが、当然の懸念を口にする。
「大丈夫です。俺たちの本当の強みは、レシピそのものじゃない。ロランさんの長年の経験、アランの特別な魔法、そしてティアとニコラの笑顔。それらが合わさって初めて生まれる『体験価値』こそが、俺たちの武器だ。それは、誰にも盗めません」
俊は、さらに続ける。
「このイベントには、商業ギルドのギルドマスターや、街の有力者たちも招待します。彼らに『公的な証人』になってもらうことで、俺たちの主張に、揺るぎない信頼性を与えるんです」
失った信頼を、以前にも増して強固に取り戻す。そして、「食の安全」という最も攻撃された部分を、逆に最大のPRポイントへと昇華させる。まさに、逆転の発想だった。
「……すごい」
アランが、感嘆の声を漏らした。不安に覆われていた彼の目に、再び闘志の光が宿る。
「やろう! やってやろうじゃないか!」
ロランが、ゴツゴツした拳でテーブルを叩いた。
「うん! 私、がんばる!」
ティアとニコラも、力強く頷き合う。皆の心が、再び一つになったのを確認し、俊は静かに告げた。
「ただし、時間がない。俺がラッドさんの元へ戻るまで、残された期間は三週間を切っている。この戦い、短期決戦で決着をつけるぞ」
タイムリミットという名の緊張感が、皆の決意をさらに固くした。こうして、コルネ亭とアランの店の、信頼を取り戻すための戦いが始まった。
それは、一人の異世界マーケターが仕掛ける、壮大な情報戦の幕開けでもあった。
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