第4話 ラッド・フォルクナー商会長の再生計画
旅程三日目の朝は小雨だった。空は鉛色で、街道には細かい水の筋が走る。
雨具を被せられた箱から布の匂いが立ち上る。馬車は速度を落とし、ぬかるみを避けて走った。
「前方、橋板が滑る。馬を歩かせて」
御者台からリナの声が聞こえた。
橋を渡りきった先に、濡れ鼠になった旅芸人の一団がいた。大道具を積んだ荷車の車輪が泥に埋もれている。
オズワルドが無言で肩を貸し、ラッドが板を差し込む。
俊は荷のバランスを見て、重さの偏りを指示した。
息を合わせるように押し上げると、泥から抜け出した荷車が派手に水を跳ね上げた。
「助かった!」と芸人頭が言った。礼として笛の軽い調べを吹いてくれる。ほんの二分の演奏だが、雨の朝に音が立つと、人の顔はほころぶものだ。
昼になると雨は上がった。濡れた樹皮が陽を返し、草の匂いが濃く感じられる。
道の脇に自生する小花を摘んだ子どもが、走り去る馬車に手を振った。俊も無意識に手を上げる。
自分がこの世界で「道行く誰か」になっている、その感覚が少しだけくすぐったく感じた。
***
四日目は森を抜け、丘陵に入った。
見晴らしのよい尾根筋で一度馬を止めた。遠くに幾筋もの街道が白く走り、ところどころで煙が上がっている。
交易の息遣いが、景色になって見える。
「グランツへ向かう荷はどんなものが多い?」
俊がラッドに訊く。
「布と染料、香辛料、金物、書物……南からは砂糖や果物、北からは鉱石。ここで混ざって、また散る」
「混ざる場所は、情報も混ざる。なら、噂の回転も早い」
「お前の噂もな」
「望むところだよ。数字で答えを出し続ければ、噂は看板になる」
尾根を下る途中、粗末な茶屋で休んだ。
薄い茶に蜂蜜を落としただけの温い飲み物が、腹に沁みる。
店の老婆は、グランツでは祭礼の準備が始まっていると教えてくれた。
商神への感謝を捧げる行列が、数日後に城門から出るのだという。
(人の流れが増える。売り手が集まり、買い手も集まる。時機は悪くない)
***
四日目の夜は野営になった。
リナが手際よく焚き木を組み上げ、オズワルドが火打石を鳴らす。
小さな火が草の間に住処を作り、やがて赤い舌を伸ばした。鍋の中で豆と乾燥肉が音を立て、あたりにスープの匂いが満ちる。
「静かだな」とラッド。
「静かな夜は、仕事の整理にいい」と俊。
紙を膝に広げ、これまでの旅で得た断片を並べ始める。
村の価格、宿場の相場、荷の流れ、道の癖。雑多な点が、薄い線になりかけている。
(グランツの支店でやるべき“土台作り”が、もう見え始めている)
オズワルドが鍋を回し、皆で匙を入れる。「祭りの少し前は、盗人が道に出る」と彼が言った。
「明かりが増えて、財布の口が緩むから」とリナ。
「でも、今日は狼の声だけ。風向きがいい」
夜。火が小さくなり、星が深くなる。
俊は外套を肩まで引き上げ、目を閉じた。
(前の世界では、出張先の夜はホテルの天井ばかり見ていた。いまは星と火。悪くない)
***
五日目の昼過ぎ。丘を一つ越えると、平地の向こうに高い城壁が現れた。
石の肌は陽光を弾き、門前には既に幾筋もの商隊が列を作っている。
旗、紋章、積み荷。言葉も装いも様々な人々が、同じ門を目指して流れ込んでいく。
「着いたな、グランツだ」とラッド。声音に、ほんのわずかな緊張が混じる。
馬車が列に加わる間、俊は門前の露店を眺めた。
王都では見ない香草を束ねた店、色とりどりの染め糸、磨かれた真鍮の計量器。秤の皿に置かれた分銅が、陽に光る。
(計量器……ここでは量り売りが一般的なのか。だったら、目盛りの正確さが信頼を作る)
城門をくぐると、通りの幅がぐっと広がった。
両側に伸びる商館の軒が並び、二階の張り出しには各商会の紋章旗が風にはためく。
人の声、金属の触れ合う音、香辛料の匂い、布の擦れる音。
王都の整然さとは違う、渦のような熱だ。
ラッドが外套の襟を正した。
「フォルクナー商会の看板、落としっぱなしにはできねえ」
「拾おう。数字で、現場で、拾い上げる」
馬車はゆっくりと人波を割り、通りを進んだ。
門から差し込む光が少し弱くなり、代わりに商館の影と人の熱が濃くなる。
俊は紙束を胸に押さえ、深く息を吸った。
(ここからが本番だ。見て、測って、動かす。結果で語る)
四人の影が、商業都市グランツの石畳に伸びた。喧噪が、彼らの足音を飲み込んだ。
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