第4話 ラッド・フォルクナー商会長の再生計画
投稿時間を20時30分に変更します。
出発の朝。王都の朝日が城壁を朱に染めるころ、俊は荷を締め直した。鞄は一つ。
筆記具、紙束、着替え、乾燥肉と水袋。無駄を嫌う性分はこの世界でも変わらない。
馬車の横では、ラッドが従者に指示を飛ばし、木箱を積ませている。
護衛は二人。大柄な剣士オズワルドと、素早い身のこなしの女弓手リナ。四人で、商業都市グランツを目指す。
「準備はいいか?」とラッド。
「ああ。五日だろ。途中で観ておきたいものが山ほどある」
御者の掛け声とともに馬車が軋んだ。
石畳を抜けると、道はすぐに土に変わる。揺れに合わせて箱が軋み、革紐が小さく鳴った。
俊は窓を少し上げ、冷たい風を吸い込む。
(王都の匂いが薄れていく。ここから先は、商売の現場だ)
***
街道は畑と小さな森を交互に抜けていく。昼前、馬を休ませるために小村で停まった。
広場には粗末な台に野菜や卵が積まれ、手縫いの布や素朴な玩具が並ぶ。
どの品にも値札はない。農夫たちは顔見知りらしく、言葉少なに銀貨を受け渡していく。
「値段はどうやって決めている?」俊が一人の老婆に尋ねる。
「その日の出来と相手の懐具合さね。ここらじゃ皆、だいたい知れているものだよ」
「外から来る客は困るだろ」と俊。
「たまにねえ。でも、そんなお方は市場の店に行くよ」
俊は頷いてメモを取る。
(価格の可視化は“外”への門になる。村の中だけを相手にするなら不要だが、広げる気があるなら障壁だ)
肩越しに覗いたリナが小さく笑う。
「書き付けまで用意している旅人なんて初めて見るわ」
「癖だよ。忘れると腹が立つからな」
「お前、数字を忘れると本当に機嫌が悪くなるよな」とラッドが茶化す。俊は苦笑した。
***
二日目の昼。街道脇の高木が陰を落とす場所で、四人は簡単な昼食をとった。
パンを崩して干し肉を挟み、水で喉を潤す。
オズワルドが包丁でリンゴを割き、ひと切れずつ配った。
無骨な指だが、動きは丁寧だ。
「王都で衛兵をやっていたのか?」俊が訊く。
「ああ。隊を外れてからは護衛の方が性に合ってな。道ってのは正直なんだ。注意してりゃ、危ない場所はだいたい察せる」
「たとえば?」とラッドが尋ねる。
「ほら、あの低い林に群れている渡り鳥。あれが鳴いている時期は地面が湿っている証拠だ。馬車の車輪が沈む泥場が近い」
リナも補足した。
「それに馬の耳。音に敏感だから、嫌がる方向を向くときは、その先で崖崩れや獣の気配があるのよ」
俊は感心しながら、心のノートに「自然観察=リスク管理」と書き込んだ。
「頼もしいな。数字は俺の役目だが、道は任せる」と俊。オズワルドは無言で肩をすくめ、リンゴの芯を遠くへ放った。
午後、予告どおり進路の窪みに車輪が噛んだ。
オズワルドが木の枝を差し込み、リナが手綱を捌いて馬を逸らす。複雑な罵声や焦りはない。
必要な動作だけが精密に続いた。抜け出して走り出す馬車の上で、ラッドが息を吐く。
「こういうの、商会の帳場じゃ学べねえことだな」
「現場は、帳簿の外にあるからな」と俊。
そのまま一行は予定通りの旅程を進み、二日目の夕刻、宿場町に入った。
道行く荷馬車の数が増え、街角の屋台ではスープの匂いが漂っている。
宿屋の暖簾をくぐり、食堂で宿泊と夕食を頼む。
店主は愛想良く笑い、焼きたてのパンと煮込みを出した。旅の疲れがほどける。
が、会計時、俊の耳に小さな違和感が残った。
提示された金額が、朝に別の宿場で払った額の倍近い。俊は静かに帳面を差し出す。
「明細を書いてくれ。人数4人、夕食4人分、馬の世話2頭分だよな」
オズワルドの視線が鋭くなった。俊は黙って一歩下がり、ラッドを見た。
ラッドはゆっくりと胸元の外套を直し、声の調子を落とす。
「俺はフォルクナー商会の商会長、ラッド・フォルクナーだ。相場を知らぬ客から多く取る。それは短い利だが、長い損だ。お前の店は、明日も明後日も客に来てほしくないのか?」
店主の顔がみるみる青ざめる。慌てて算盤を取り、書き直した明細を差し出した。
「す、すまねえ……。つい、金払いが良さそうな身なりだったから……こんなつもりじゃ……」
「つもりはどうでもいい。次もここを使ってほしいなら、今日のことを忘れさせる接客をするんだな」と俊。表情も声も平板だが、言葉は鋭い。
「価格の透明性は信頼に直結する。信頼は再来店に変わる。再来店は店の命だ」
店主は深々と頭を下げ、相場の金額から少し安くなった金額が再提示された。
ラッドが小さく笑う。
「なあ俊。お前の物言い、鋭いが相手を折らない」
「商売は敵を作るゲームじゃない。味方を増やすゲームだ」
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