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プロローグ:終わらない案件と、始まる世界

はじめて小説を書きます。拙い部分も多々あるかと思いますが、お付き合いいただけると嬉しいです。

午前三時を過ぎたオフィスには、人の気配がなかった。


フロアの蛍光灯は消え、非常灯とモニターの青白い光だけが、机の列をぼんやりと照らしている。その中央、ひときわ大きなデスクの前に、一人の男が座っていた。


日向俊(ひなたしゅん)。成果が出れば出るほど深みにハマっていった、生粋の仕事中毒者(ワーカーホリック)だった。

チームが帰った深夜のオフィスでも、彼は平然とキーボードを叩いていた。

それは“仕事”というより、“成果を生み出す快感”に取り憑かれた行動だった。


ディスプレイには、広告のパフォーマンスレポート、LTVとCVRの改善グラフ、新規提案書のスライドが並んでいる。数字と仮説が次々と組み上がっていく過程は、何よりも彼を満たしてくれた。


──もう少し。この案が通れば、次の展開が見える。


立ち上がってコーヒーを淹れ、デスクに戻る。眠気は感じていない。

むしろ脳が冴えている。

だからこそ、次の瞬間に起こった異変を、最初は理解できなかった。


ズン、と。

胸の奥に、重く鈍い衝撃が走る。


カップが手から滑り落ち、床に落ちた音がやけに遠くに聞こえた。


(……心臓、か?)


肩が抜けるように力を失い、視界が傾く。


そのまま、崩れ落ちるように倒れた。

そこで彼の世界は、音も光も、全てを手放した。



ゆっくりと、意識が浮かび上がる。


冷たい地面の感触。鼻をかすめる、香ばしい匂い。

どこか遠くから聞こえる喧騒。見知らぬ言語。──いや、意味はわかる。だが、確かに日本語ではない。


目を開けると、視界に映ったのは、ざらついた石畳だった。


頭がぼんやりする中で、彼はゆっくりと体を起こす。


手を見た。細く、白い。自分の手じゃない。

触ってみる。肌の質感が違う。体が軽い。筋肉のつき方も、骨の感覚も違う。


服は、見覚えのないシャツとズボン。安物でくたびれていて、素材の感じも日本のものではない。


ゆっくりと周囲を見渡す。

石造りの建物。木組みの梁。軒先から吊るされた鉄の看板。

どこかのテーマパークの一角のようだが、空気の匂いや、太陽の角度が現実的すぎる。


(……ここは、どこだ?)


そのとき、ふと脳裏をよぎった記憶。


会社のデスク。徹夜明けの身体。

コーヒーを持って立ち上がり、そして──


(倒れた……?)


喉がごくりと鳴る。脳裏に冷たい予感が走った。


(じゃあ……もしかして、俺……死んだのか?)


あまりに突拍子もない結論。けれど、そう考えなければ説明がつかない。

この体も、この街も、この言語も。


(……まさか。これが、転生ってやつか?)


前に流し見したアニメのワンシーンが頭をよぎる。

異世界転生、剣と魔法、知らない世界でのやり直し──


だが、ここに魔法の気配も剣の音もない。


焦げた香ばしい匂いが、再び鼻をくすぐった。

空腹だった。まるで丸一日以上食べていなかったかのように、腹がぎゅるぎゅると鳴る。


ふと、通りの先から漂ってくる匂いに、体が勝手に動いた。石畳の上をふらふらと歩き、角を曲がった先で、小さな店が目に入った。


焼きたてのパンが並ぶ、小さなパン屋。


けれど、その外観はどこか場違いだった。

周囲の立派な石造りの店舗と比べて、木造の店構えは貧相で、看板の塗装も剥げかけている。

扉はやや傾いており、窓も曇っている。

客の姿はなく、前を通る人々も特に興味を示していないようだった。


木の看板には見慣れない言語で文字が刻まれている。けれど、不思議と意味はわかる。

──「コルネ亭」。


店先のテーブルには、いくつかのパンが並べられている。香ばしい匂いが、空腹の感覚をさらに鋭くする。


そんな彼に気づいたのか、店から一人の少女が出てきた。


ふんわりとした栗色の髪を編み込みでまとめ、後ろで小さなお団子を作っている。眉上で切りそろえられた前髪に、やさしげな丸い目。清潔なエプロン姿が朝日に透けて、どこか柔らかく見えた。


「あの、大丈夫ですか?」


少女は、パンをひとつ手に取ると、そっと差し出してきた。


「もしよかったら、これ……食べます? 昨日の残り物でよければどうぞ、うちのパンはおいしいですよ」


俊は、そのパンをじっと見つめた。


ただの施しではない。見知らぬ者への、ささやかな救いの手。

その優しさが妙に現実味を帯びて、胸の奥をかすかに揺らした。


だが、表情には出さない。彼は静かに言った。


「……助かる。恩に着る」


パンを受け取った俊は、無言でひとかじりした。


表面は軽くカリッとして、中はもっちり。ほんのりとした甘みがあって、シンプルで、温かい。素朴だが、間違いなく“ちゃんとした味”だった。


彼はもう一度、看板を見上げた。


──“コルネ亭”。


「……初案件、ってとこか」


呟いたその声を、少女は聞き取れなかったようだった。けれどその隣で、不思議そうに首を傾げていた。

続きを読みたいと思っていただけたら、ぜひブックマークよろしくお願いします!

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