第4話 看守と罪人
「このベンチ、返しに行かなきゃなんねんだよ。どのみち」
刑に服する前に返して来い、先方に迷惑だから、って、ダリヤの奴が言ってたんだ。
憎たらしげに鼻にシワを寄せ、フェリスが言った。
「ダリヤ?」
梧桐は尋ねた。看守の数が多いからか、顔を思い出せなかったのだ。
「マリーの腰巾着。右腕みたいな顔して、えばってる奴」
梧桐の方をちらとうかがい、フェリスはさらに、
「マリーってのが、看守長」
と付け加えた。
「マリーっていうんですか、あのひと」
「女みてえな名前だろ」
フェリスの口元から、白い八重歯がのぞいた。
「コンプレックスらしいから、会っても呼んでやるなよ。まあ、オレはそう言うけど!」
尻尾の先がくねる。
梧桐は血の池に視線をやりながら、
「ずいぶん、マリ……看守長さんのこと、好きなんですね」
と言った。
「あたぼうよ」
フェリスはまた、笑う。
先ほどより幾分、慎ましやかな笑い方だった。
「華やかな奴が好きなんだよな、オレ。言ったろ? あんたは地味なんだ。あと、若い」
見た感じ、高校生――いや、大学浪人してる奴っぽい。
梧桐を指差し、くるくると指を回す。
「若芽を喰うような真似はしねえよ。青臭くて、不味ぃから」
「……当たってますね」
梧桐は頷く。殆ど、その通りだった。
「信仰について、研究したくて。けど、フツーに、学力足んなかったです」
「黒髪のままの方が良かったよ。いかにも、邪教信者っぽくってさ」
フェリスがぼそり、と言う。
梧桐は驚いた顔で、緑メッシュの入った白髪に手を滑らせた。
「髪色は関係ないでしょ――じゃなくって。知ってるんですか? 『イマダコズ教』?」
看守は目を瞬き、数秒だけ、何か考えるように黙っていた。
まっすぐ梧桐に向けられていた視線が、横にふい、と逸れる。
「……まあ、な。オレ、いちおう看守だし。過去の経歴くらいは、ザックリなら、把握はしてんだよ」
頬を掻く。
白い肌がわずかに赤い。
「やらかしちまってることこそ多いけどな。仕事はいちおう、ちゃんとやってんだ」
「へえ……」
「ひとの事情に踏みこむべきじゃなかったな。悪ぃ。――オレとあんたはあくまで、いち看守といち罪人にすぎねぇ」
明後日の方を向いたまま、フェリスが言う。
――と。
「そうだぞ、フェリス」
第三の声が、後ろから会話に割り込んだ。