真夜中の告白
「なんで和也がこんなところに座っているの? しかもパソコン開いてる 。それ、お父さんじゃなきゃわからない。パスワードを入力しないと動かせないやつ」
治江が恐る恐る少しずつ近づいてくる。
「こ、これは⋯」
「お父さんが死んで、仕事でそのパソコン開けなきゃいけないと思って、瞳さんと散々パスワードのヒントないか探しまくって。でも何にもなくって。思い当たるパスワードをみんな入れてみて。でも結局開けなくて」
椅子に座っている光輝の1メートル前まで近寄ると威嚇して見下ろしてくる。
「どういうこと。それにこんな夜中に聞いてる曲だってお父さんが好きだった曲じゃない」
蛇に睨まれたカエルとはまさにこの状態を指すのだろう。威圧感で身動きが取れない。何とか声を絞り出す。
「えーとそれはその⋯」
(これって言い逃れ出来ないやつだ。もはやしらを切ることは不可能か。パソコンを開いてる時点でパスワードを知っていたことになるからな。偶然に開いてしまったなんて無理があるし)
意を決して観念した。
「ハルが信じる信じないは別として⋯」
「ハルって」
「そう、僕はね、今から話すことは、自分でも今でも信じられない。 だけど信じるしかなくてね。僕は和也じゃない光輝だよ」
「何言ってるのよ、一体何言ってるの? 頭おかしくなっちゃったの?」
「そう言うと思ったよ。だから言わないでいた。僕も病室で意識が戻ってから、自分のこの有様を見て信じられなかった。それよりも僕を見て治江や瞳君や花梨までも、和也、和也って何のことだか分からなかった。でも体が動くようになって、窓に写った自分の姿を見て驚いたよ。というか信じられなかった。今、君の前にいるのは和也じゃない、君の夫の光輝、僕なんだよ。信じられないだろうけど」
「和也、本当に何を言ってい⋯」
治江が、何かを言うのを手をかかげて遮った。
「君と最初に出会ったのは、大学のあの汚い校舎の階段と廊下の合流したところ。君は両手一杯に模型の材料を抱えていて、僕は締め切り間近のA1ケント紙に書いた図面数枚持っていた。あの時はそれぞれ前をよく見ていなかったから、ぶつかって君の第一声は、痛っ、何するこのバカヤロー。まだ信じられない?」
「そんな話、和也にお父さんしてたの? 悪い冗談よ」
(そう取られるか)
「それじゃあ、事故の直前、和也を送っていく前に君に言った最後の言葉は、戻ってきたら小泉邸の基本設計、僕が仕上げちゃうから、ハルは瞳君と明智さんの積算と指示書やっつけて。だっけ? それでも信じられないなら…」
「ちょっとまってよ、いくらなんでもあなたがそんな仕事の事知っているわけが⋯」
(ここでダメ押しだ)
「だったら⋯」
その後、和也の姿であるものが口にしたのは赤裸々な夫婦間の話。
「あんた、覗いてたの? って和也が生まれる前の話じゃない、あのバカ、息子になんて事話してるの」
(これは裏目だったか)
「だからそのバカが今、目の前にいる。あぁそれならば⋯」
光輝は、机の引き出しからスケッチブックと鉛筆、シャーペンを、取り出すとパソコン上で描きかけだった平面プランを描きあげていった。治江はその様子をただ驚いて見ている。1時間もすると吹き抜けのある、施主小泉氏が希望していた通りの平面計画が描き上がった。
「これがあの日戻ったら描こうと思っていた計画案だよ」
こればかりは認めざる得ない。光輝が打ち合わせをしていて、夫しか知り得るはずのない施主の希望が盛り込まれた完璧な計画だった。
「本当にあなたなの?」
「あぁ、黙っててごめん。僕自身どう対応していいかわからなくて。光輝だよ君の夫さ」
治江の目から大粒の涙が溢れ出た。
「あなた」
立ち上がると治江を抱きしめていた。しばらくして息子の胸から顔を離すと
「じゃあ、和也はどうしの?」
「それが全く分からない。 僕の脳裏には和也としての記憶がない。あるのはただ僕自身光輝としての記憶のみ。和也として過ごさなければならないから辛かったよ。全く和也の記憶がないんだから。でもこの数ヶ月間で僕の知らなかった和也の一面を知ることができた。でも和也がどこに行ってしまったのかが本当に分からない。ひょっとすると本当に申し訳なかったけど僕とあいつの意識が入れ替わったまま光輝として⋯」
そこで言葉に詰まってしまう。
「そんなそんな事って⋯」
治江は、再び泣き出してしまった。
「ごめんよ。俺が死んでいればよかったかよ」
あまりの告白に妻は正気でいられなかった。それは光輝が病院でそうであった時のように。しばらくその場で崩れ込んで床の上で泣き崩れていた。しばらくの時間が過ぎる。部屋の中には クラシックが静かに流れていた。
治江を打ち合わせ用の机に座らせると光輝もコーヒーを入れて2つ入れて差し出した。妻の脇に座る。
「落ち着いた? 」
一呼吸おいてつづけた。
「僕が生きていて申し訳ない。本当に和也はどこに行ってしまったんだろう 。そう考えると僕もいたたまれない 。ただこの先どうなるか。僕もどうなるかわからない。ひょっとすると僕の意識が無くなってしまって、和也の意識が戻ってくるかもしれない。そうなったとしても、それまでは今の状態で生きていくしかないと思う。君が準備してくれたとおり、僕は4月から花梨と高校に通うよ。同じ2年生としてもう1回やり直す。僕のこのことは瞳君にも花梨にも内緒だよ。まあいつかはバレる時が来るかもしれないけど」
そこでコーヒーを口にした。
「とりあえず僕は和也として、ハルの元で母親の下、家業を継ぐ手伝いとして設計の仕事を手伝うということにする。もちろん高校から帰ってきて瞳君が帰った後に今まで通り設計する。ただ表立って打ち合わせできないから、その辺はもうハルがやってくれ。僕は君の指示に応じて設計するよ。 基本設計それから積算、出来ることは何でもしよう。そう夜中にね。今みたいにやるしかないだろう。それを君がやったことにして瞳君に昼間、 CADで仕上げてもらえばいい。その先の仕事はハルにやってほしい。僕は高校に通いながら休みの日はバイトと称して、基本的な図面の入力をこなしてくよ。花梨が疑うといけないから和也が入っていた部活、あいつ美術部だったよね。事故で記憶が無いことにすれば僕に記憶が無くて不都合なこともなんとかなるよ。絵を描くことは苦手じゃないからね。 僕の唯一の趣味と言ってもいいからなんとかなるだろう。どこまでうまくいくかわからないけど、やれるとこまでやっていこうと思う。高校卒業したら地元の工学部の建築科に進学するよ。建築士の受験資格を取るために大学進学するのが一番手っ取り早いからね。受験資格さえ取れば1級取るのは苦じゃないと思ってるから」
そこでまたコーヒーを口にした。
「そんな上手くいくかしら⋯」
不安そうに答えた。
「ま、分からないけどやれるところまでやってみようよ。何とかなると思うよ」
あっけらかんと言ってみせる。
「姿は和也だけど、そのもの言いはやっぱりあなたね」
少し笑みがこぼれた。
「僕達にはこれまでの様々な経験がある。1000の経験があれば1001個目の問題も解決できるはずだよ」
「それ、ホームズ?」
「シャーロック光輝@もどきだよ」
「アハハハ」
2人で笑った。事故後初めて心から笑えた瞬間だった。
「僕達二人が力を合わせれば、今までもそうだったようにきっと乗り越えられるよ」
治江は涙を浮かべた瞳でうなづいた。