図書室の怪談⑧ かりそめの器
「承知いたしました、ご配慮ありがとうございます」
玉田は深々と頭を下げた。その後、遅くまでこの後について話し合った。
翌日も高校は休校日で、早朝から事務所の机にいた。ここ数日、出来ていなかった図面の作成をCADで行っていた。机の上には、治江が行ってくれたクライアントの打ち合わせ資料が広げられていた。
(あ~あ、眠い。昨日先生帰ったの1時過ぎだもんな。昨晩も仕事できなかったし、瞳君が来るまでにこの図面終わるかな)
そんなことを考えながら、鉄骨造店舗の図面を描いている。平面図はあらかた描き終わり立面図に取り掛かっていた。そこに勢いよく花梨がドアを開けた。
「大変だよお兄ちゃんっ」
「どうしたんだ一体」
「まずはテレビ見て」
花梨が慌ててテレビをつけた。そこには和也達の通う高校が大きく映し出されていた。不所持続出の県立高校。監禁強姦事件の次は歴代教職員大学入学不正還流金受け取り発覚。関与職員に分配か。ドローンで撮影であろう空撮動画には、多くの報道関係者が校門の前に集まっているのが映っていた。警察車両も敷地内に数台写っている。
「大騒ぎだよ、うちの学校。そりゃ今日は休校になるよね。学校から朝の内に、自主登校も不可で3日間、休校って連絡来たもん」
「え、そうなの? いつ?」
「お兄ちゃん、スマホのメール確認してる?」
「いや、今朝はまだ見てないよ」
そう言って慌ててスマホを手にすると着信履歴が表示されていた。
「あ、本当だ」
慌ててメールを開くと、高校からの一斉発信で、3日間完全に休校となる旨が書かれていた。
「全然、気がつかなかったよ」
(高校生の連絡網って、ラインばっかりだったから、メールはノーマークだったわ)
「ところで不正還流金って何なのお兄ちゃん?」
「私立の大学から、入学者一人当たりいくらって、送ってもらった高校にお礼のお金を払うことだよ」
「はぁ、何でそんな事するの?」
花梨はいたって不思議そうだった。
「少子化の時代、大学も入学者確保に必死なんだよ。学生一人当たりから入学金数十万と、授業料が百万程度入るからね。10人入学すれば1000万。そして大学は4年間だろ。私学の大学は民間企業だからね。そして学生の数に応じて国から私学助成金が配分される。学生数は一人でも多い方がいいに決まってるよ。だから送ってくれた高校に入学者一人当たりにいくらって謝礼金払うんだよ。キックバックとも言うね。電化製品なんかもそうだよ。大型電気量販店なんかでも電化製品を販売する時に、色々なメーカーがあるときに、定員さんが特定のメーカーを強く推してくるときがあるけど、あれって、販売した分だけそのメーカーからインセンティブ、つまり謝礼金が入るんだよ。すると定員はそのメーカーの製品をお客に強く勧めるだろ」
「それって県立の先生がやっていいの?」
「駄目。私立高校ならどうだか分からないけど。でも県立高校の職員は公務員だから完全にアウト。それに考えてごらんよ、進路の決定なんて担任の先生の影響が大きい。だから2年時の4月から勧められば、学生もその気になるだろう。家庭の経済状況も理解しているんだから。うちの高校も他の高校も、ある程度の学生数がいる進学校は2年次にクラス替えして3年はそのまま持ち上がり。進路指導の中でこれ程有利にあっせんできる状況はないよ」
「なるほどね。さすがお兄ちゃん。でもそんな悪い先生ばっかりじゃないんでしょう」
「そうだね、今回の私大は都市の都大だからね」
「あ、こないだお兄ちゃん山田先生に勧められたって言ってた‥」
「そうだね。山田先生がこの件に絡んでいるかどうかはわからないけどね」
和也は事件の核心は、はぐらかして伝えた。さすがに自分の担任が、還流事件の主要人物だとは伝えがたかった。その日は1日中テレビでこの事件が大々的に報道されていた。光輝は仕事場でテレビを流し見しながら図面を描いていた。
「すごいことになってるね。学校」
瞳が和也に言ってきた。
「本当に。これ休校が3日からさらに延長されるんじゃないかな。最初に話題になった監禁事件よりすっかり還流事件の方が話題になっているし」
「それならそれで、和也君と一緒にいれるから私はいいけどね」
甘える声でウインクした。
「お兄ちゃんはいいな。瞳さんがいるから退屈しないよね」
今日は朝から花梨も事務所内でテレビを見ていた。
「花梨は何で事務所に朝からいるのかな?」
「なんか一人でいると怖くてさ。でもお兄ちゃんは通っている学校の事なのに、あんまり興味ないみたいね。て、言うか全然心配じゃないの?」
「心配? 何が?」
「だって先輩が犯罪者として逮捕されて、先生達が汚職で逮捕されて、今年の3年生の進路とかに響かないかな。黎聖の学生は‥とか面接とか内申で不利にならないかな?」
「まずないよ。考えてごらん、国公立とか有名私立は筆記試験重視の実力主義だし、そうじゃない私立は超少子化の中で一人でも生徒確保をしたいだろし、うちは就職は学年で20人にも満たないけど、大半が公務員だし。民間企業は人材不足で、本人に問題が無ければ、高校なんて関係ないよ。重要視されるのは、学力よりコミ力と忍耐力だろうし。だから、うちの高校で何があろうと、たとえ職員の大量逮捕とか処分とかあっても関係ないよ。まあ、しばらく報道がうるさいのと、一時的に職員数が少なくなって授業運営が厳しくなっても一時のことだよ。僕は工学大に進学先決めてるからたいした影響ないだろうし。正規の時間で授業時間が足りなくなって夏季休暇中とかに補習はあるかもね」
「お兄ちゃん大人。私そんな風に考えられないもん。この後、学校どうなっちゃうのって、そればっかり心配で」
「花梨は何にも心配することはないよ」
「でも、今になって何で不正がバレたのかな」
「さあどうしてだろうね? 分からないな」
笑って首を横に振った。
「ひょっとしてお兄ちゃんが、以前図書室で見つけたメモとかが原因だったりして」
(するどい娘よ)
内心、気が気でなく汗が湧き出してくるのを感じた。
「そうなのかな。あの後は進展がないからね。ひょっとすると先生方の誰かがメモの暗号を解いたのかもね」
結局、休校は1週間に及んだ。その後、臨時保護者会と全校生への説明会が行われた。すでに異動した過去の関与職員を含め、懲戒処分された職員は20名を超えた。一関恭子の死は既に自死で解決していたが、事情聴取の結果から再捜査が開始された。これに伴い身柄拘束者が2名程出た。多くの処分者が依願退職する事態にまでなった。この出来事は「行き過ぎた学生確保の実態」「教育界にまで不正還流金を受け取る贈収賄汚染」「秘密隠蔽の中で女性教師の不審死再捜査へ」などと連日報道が続いた。そのため今世紀教育界最大の不祥事として全国的に周知されることになった。1週間が過ぎ、明日から登校再開となった頃、ようやく報道も鎮火してきてきた。その日の夜、光輝と治江は再び事務所で玉田と対面していた。玉田の顔はやつれきっていた。
「少しは落ち着かれましたか先生?」
治江が心配そうに尋ねた。
「えぇまあ、何とかってところです」
「先生が情報提供者、つまり公益通報者となってくださったおかげで、これだけ大ごとになっても、子供達は何事もなく高校に通えていますから。本当にありがとうございました」
「いいえ、教師として、いや、一関の幼馴染として少しでも彼女の無念を晴らすことが出来たのなら満足しています」
「それでも先生、避難の目にさらされていませんか? 一部の職員、いいやほとんどの職員の間で先生が通報者であることは知れ渡っているのでしょう。他の学生は花梨も含めて誰が通報者かなんて分かりませんが、先生の姿を見ていると、職員間では先生が通報者であることが知れ渡っているのは一目瞭然です」
和也が申し訳なさそうに言った。
「そうね、職員の間では身バレしてるから、事情を知らない職員達からは、変な正義感で余計なことをしてとか、学生の進路に悪影響になるとか、後は煩わしい面倒ごとに巻き込まれたくないと極力関わりを持たないようにとか、そんな感じかな」
「一関先生の件が再捜査になりましたからね。本来、警察としても、一度自死として結論を出したことを覆したくはないでしょうが、これだけマスコミが騒いでしまうと動かざるえないでしょうね。結果的にそれは自死から他殺の可能性が出てきたわけですから、普通に考えて関わりたくないでしょう。先生にはそんな重い責務を負ってもらってしまい申し訳ありません。こればかりは、僕が公益通報者になっても重みが全くなく、ここまで世論を誘導することは出来なかったでしょう」
言い終わると頭を深々と下げた。玉田は顔を横に振った。
「いいえ。これは私がやらないといけないことだったの。だからあなたはそんな心配しなくていい。ねえところで綾瀬君、何で君は報道されていない捜査情報を知っているの?」
「それは、最初にお願いした私の友人の報道関係者からの情報です」
治江が口を挟んだ。
「そうでしたね。最初に各方面に広域通報されたのは綾瀬さんでしたね」
「はい。その後で先生の了解を得て先生の名前を使わせていただきましたから」
「明日から登校再開ですね。先生はこの1週間、私達には想像もつかないご苦労をおかけしたことを改めてお詫びいたします」
深々と頭を下げた。
「頭を上げて。そのことは本当に何とも思っていない。むしろ君に感謝している。一関の無念の思いを明らかにしてくれた。お礼を言うのはむしろこっち。本当にありがとう」
今度は玉田が頭を下げた。ゆっくりと頭を上げる。
「ところで一つだけどうしても聞いておきたかったの」
「何でしょう先生?」
「君は何者なの? いろいろお世話になったあなたに、こんなこと言うのはおかしいのは分かっているけど、この2ヶ月ちょっとあなたを見てきて、本当に疑問だったの。事故の前と後ではまるで別人。私は顧問として君の入学時から事故前までの1年半のあなたを見てきている。テストの成績と言い、画力と言い、そして1~2年では決して身に着くことのできないプロレベルの建築知識。極めつけは昨年までの君とは全く異なる洞察力。まるで一度人生を経験してきているかのような達観した思考と説得力。どれも以前の綾瀬君では考えられない。事故で記憶が欠損しているという割には、昨年学んだ数学や英語の内容についてはしっかり覚えている。それに油絵の技法も。推理力は小説やアニメの中の名探偵すら今の君には及ばない。あなたは本当に何者なの?」
「何を言っているのでしょうか? 僕は一介の高校生ですよ」
「覚えている? いや知っているの間違いか。綾瀬君は人物画は描けなかったの。昨年タブレットで抽象画ばかり描いていたあなたに、肖像画を教えようとしたときに君が言った言葉を?」
「僕は何と言ったのでしょう?」
「僕は親父の得意な肖像画を描く気はないし、親父の愛する推理小説の類を嫌悪しています。真実は明かされないことの方がいいこともある。特に何でもかんでも推理して的中してまう悪癖は家族や周囲の人達を不幸にする。だから僕は親父とは異なる人生を歩みたいんです。そんな今の君は、まるで話に聞いていたそのお父様当人の様です」
鋭い視線がじっと和也に向けられていた。
「そうですか、あいつはそんな事を言っていたのですか。それは思っても見なかった」
笑みがこぼれた。自分に情けなさを感じた嘲笑の笑いだった。
「えっそれって」
「和也‥」
玉田と治江も同時に目を開いて和也を見つめた。
「ハル、ちょうどいい機会だ。一人くらい学校内に協力者を作っておいた方がいい。それに先生には僕たちの言わば身代わりになってもらっている。これ以上欺くのは気が重い」
隣に座っていた治江の方を向いて、見つめていった。
「でも‥先生が信じてくれるか‥」
「先生、ご想像のとおり私は、和也の父の光輝です。信じられないでしょう。でもそれが真実です」
「やはりそうですか。でも一体どうしてこのようなことに?」
「あまり驚いて無いようですね?」
「そう見えますか? いざ当人からとんでもない事実を告白されたのだから驚いてはいますよ。本当だったら何の世迷言となるんでしょうけど、先ほど話したとおりこの1ヶ月あまりの綾瀬君、いえ綾瀬さんの言動を見ていればむしろ納得できます。もう一度言いますが、私は入学してから事故までの和也君を見てきています。むしろすっきりしました」
「私自身が一番信じられません。事故から目覚めると息子の身体になっていた。これが全てなんです」
「でもそれじゃあ和也君は?」
「それは分かりません。妻ともだいぶ悩みました。今でも自責の念にさいなまれています」
「そうですか。このこと娘さんは知っているのですか?」
「いいえ、話していません。僕と妻、そして先生だけです。娘をだましている事も非常に気が重い。ただまだ子供ですから正直現実を受け入れられるかどうか」
「そうですか‥」
「いずれ話しても大丈夫な時が来たら謝るつもりです。いやそれよりも僕がこのかりそめの器のまま、いつまで居続けられるのか。保身ではありませんが、こうなった以上、一人前になるまで娘の成長を見守りたいのですよ」
その後、1時間程今後の事を話し合って玉田は帰って言った。帰りがけ
「明日から楽しみです。いろいろ宜しくお願いします綾瀬さん」
この日来所して初めて笑みを浮かべて頭を下げて帰っていった。
翌日、和也と花梨が1週間ぶりに登校して教室で奈美と3人んで話をしていた。クラス内のあちこちで事件が話題になっていた。
「きょうから再開か~。クビになった先生もいるんでしょ。今まで通り授業できるのかな?」
「さぁどうだろうね。それにクビではなくて、懲戒処分待ちでの依願退職。つまり自分から退職したみたいだね。後は自宅謹慎中の職員もいるみたいだしね。いづれにしてもどの先生がどうなのかはこれから分かるだろうね」
「一体何人の先生が不在なのかな。大丈夫かなお兄ちゃん?」
「まぁ多分大丈夫だよ、それに‥」
その時、教室の前の引き戸が開けられると、玉田が入ってきた。
「山田先生が退職された為、今日から私が皆さんの担任を務めます。突然の事でみんな戸惑うでしょうが精一杯努めますのでよろしくお願いします。それから山田先生の担当していた皆さんの英語は3学年担当の鹿又先生が担当します」
「先生」
学級委員の水野あかねが手を挙げた。
「えっと、水野さんどうぞ」
「今回の騒動で学校を去られる先生方はどなたなのですか?」
「そうですね、皆さん気になることですよね。正式にはまだ全体の今後は私達も知らされていません。でも現在分かっているだけで赤坂校長、飯村教頭、進路の増田先生、3学年の生活指導の小暮先生、2学年は山田先生、藤田先生の6人が退職予定です。それから3学年の木崎先生、2学年の宇内先生、1学年の大楽先生、大竹先生、学年外では図書の森先生がお休みしています。森先生は心労で入院されました。水野教頭が校長代行を当分の間行います。皆さんには職員の突然の人数不足で授業のやりくりでご迷惑おかけしますが、協力しあって乗り切りましょう」
深々と頭を下げた。
放課後、美術室で冬美の肖像画に、油彩でグレーズしていると花梨がやってきた。
「お兄ちゃん、来てっ」
「どうした花梨?」
「いいから図書室に来てっ」
花梨に腕をひかれて図書室に行くと、奥の書棚に連れていかれた。
「ほらここ」
「あ、変わってるね」
奥の書棚は倉庫出入り口前の書棚が撤去され、透明ガラスの入った引き戸が現れ、奥の倉庫内が図書室から見えるようになっていた。
「可視化出来るようにしたんだね。それに倉庫内部もきれいに内装仕上げをして、悪いイメージを払拭するようにしたんだね」
「そうだよ、この1週間で直したんでしょ。驚いたよさっき来て」
「ところで森先生は入院しているんだっけ?」
「そうなの。聞いた話では2つの事件にショックを受けて、心労で倒れたみたい」
「そうか、まさか自分の担当していた図書室の脇であんな酷いことが繰り返されていたんだからな。被害にあっていた女子は複数だった。それに気づけなかったんだから、責任を感じてしまってもね。森先生自身は何も悪くないからね。それに前任者が不審死していたなんて追い打ちをかけられたらね」
「森先生も被害者だよ」
「そうかもね‥ところで花梨は今日当番?」
「ううん、今日は違うよ」
「そっか、じゃあ戻って続きを描くよ」
「じゃあ、私も美術室で本読んで待ってるね」
廊下を出て美術室に向かうと、職員室前を通る。職員室内からは慌ただしい声が上がり、未だ騒然としているようだった。
「先生達未だに大変そうだね」
「そうだねもうしばらくは慌ただしいだろうね」
それだけ言うと、再び美術室に戻り、キャンバスに向かうと白と黒だけで描かれた顔にカドミウムレッドで薄くグレーズをすると布でふき取った。平筆で陰影を描き込んでいく。何事も無かったように。静かにただ筆を進めた。
そして以降、図書室での怪現象が起こることは無かった。
第17話目の投稿になりました。1枚のメモが教育界の闇を照らしだしました。
大騒動の中、和也は静かに絵を描いています。再び起きる嵐の前の‥。
次回もお楽しみいただければ幸いです。