1 家族と私の罪
「──公女様!そちらに行かれてはなりません!」
私は家臣や護衛の静止を振り切り、その重たい豪華な両扉のドアを押し開いた。
「お兄様は──!……え?」
玉座の間で、人が遠巻きにその中心にある椅子を見ていた。
正確には、椅子ではなく、一人立ったまま強烈な存在感を放つ人と、その床に転がりぴくりとも動かない元人だ。
「……っっ」
ひゅ、と喉の奥で吐き出すべき空気が詰まった気がする。
「公女様!」
「誰だ、公女様をお通ししたのは……!!」
真っ赤なフカフカの絨毯を、私は両手を伸ばしてふらふらと歩いた。
上手く歩けないのは、長い毛足が靴に絡まるからなのか、それとも──明らかに事切れた家族が、目の前に倒れているからか。
いつも「公女様」と笑って私を可愛がってくれる家臣達は、皆一様に気まずそうに目を逸らす。
ねぇ、何故私の家族はあんなに真っ赤に染まって寝ているの?
……誰か、冗談だと言ってくれないの?
私にただ一人、背中を向けていた逞しい身体つきの男が血の滴る剣を握ったまま、振り向いた。
男の身体も赤く染まっていたが、それが全て返り血であることは、その男の様子で直ぐにわかる。
「公女……?」
「……はい。この公国の一人娘、エフィナです。お久しぶりです、ロイアルバ様」
場違いであることは重々承知で、私はその男に対して最敬意の礼をとる。
いつ何時でも、相手に動揺を見せてはいけない。声は震わせない。
そう、お母様から習った。
そのお母様は、自分が刺された時も、声を震わせなかったのだろうか。
そうして礼をとった後、私は殺意を込めてその男を睨んだ。
目の前にいるのは、我が公国へと隣国から遣わされた使者。
我がグシャナト公国よりもずっと大きな国である隣国、リンダンロフ帝国の第一王子だ。
以前は一年に一度外交に来られていたものだが、最近はめっきり姿を見なかった。
グシャナト公国は、元々リンダンロフに良い印象を持っていない。
大国ではあるが、悪魔と取引しているだの何だの、公国内では色々な噂が飛び交っていた。
私は昔、少し話したくらいで、リンダンロフに対してあまり悪い印象はなかったのだが、我が公国の君主であるお父様とお母様は、この男のことを脳筋の筋肉ダルマと揶揄していた。
その時はあまりにも失礼だと思っていたけれども──まさか本当に、悪魔だったとは。
「ロイアルバ様、これはどういうことか……ご説明願えますか?」
私が睨みつけたままそう言えば、男はわざとらしく肩を竦めた。
「うん? 見ての通りだ。君の両親はこの通り私に討ち取られたので、これからこの公国は我が国の属国となる……いや、元々我が国から自治国として独立したのだから、元に戻るだけか?」
確かに、グシャナト公国はリンダンロフ帝国から独立している。
けれどもそれは、百年も昔のこと。
一国の主を殺しておいて、元に戻るだけとは、随分乱暴な発言だと私は握り拳を作った。
「……っ、それでも、血を流さずに解決出来たのではございませんか!?」
男は飄々と答える。
「……ああ、私もそうしたかった。だからせめて、全員苦しまずに逝かせている」
「こんな多くの──」
血を流しておいて、よくも。
私はそう男を糾弾しようとして、ピタリと口を噤む。
この部屋の異質さに気付いたからだ。
血を流して倒れているのは、私の家族……つまり、君主である父と、その妻である母、そして跡取りの兄だけだった。
ぐるりと見渡せば、家臣や近衛隊が玉座の間に詰めかけているにも拘わらず、彼らは血を流すどころか何の拘束すらもされていなかった。
そしてまた、ロイアルバこそが主人であるかのように、誰も武器を手にしていない。
「……私達を、売ったのですか?」
家臣をぐるりと見回しながら、尋ねる。
震えないかわりに、掠れてしまった。
「申し訳ありません、公女様。もう、こうするしか、なかったのです……!!」
信じていた家臣達の叫びに、目の前が怒りで真っ赤に染まる。
「……そう。ならば私も殺されるのでしょうか?それとも、奴隷にされるのでしょうか?」
家臣から視線を移してロイアルバに問えば、男は剣についた血を拭いながら言う。
「そういえば、この公国にはまだ奴隷制度が残ってるんだっけか」
「答えになっておりません」
「君は殺さない」
「では捕虜ということですか?」
捕虜とは、どんな扱いを受けるのだろうか?
ある意味死よりも恐ろしく、身体がぶるりと震える。
公国では、自死は悪魔に身を捧げる行為だとされている為、許されていない。
だから、どんなに辛い目にあっても自ら命を絶つことは許されないのだ。
「いや。……私の妻になって貰う」
「……は、い?」
流石脳筋だ。
「馬鹿なのですか?」
思わず本音が漏れた。
「馬鹿なのは事実だが、本気だ。君だけは大事に丁重に扱うよう、ここにいる者達からも頼まれているしな」
「……っ」
私を助けようとする優しさを持ち合わせているのならば、せめて兄も助けて欲しかった。
そうであれば、まだ公国復活の希望が持てたのに。
ふと気付く。
そうか、だからこそ兄は生かせないのか。
私なら。
私なら、復権なんて出来る筈もないと高を括っているから。
だから、私だけは生かせるのか。
それなら、私を甘く見たことを、後悔させるだけだ。
いつか、この男を亡き者にし、家族の敵を討って……もう一度建国してやろう。
こうして、私は復讐を決意した。
***
一度も振り返らずに、城を出た。
城は、君主であった父がいなくても正常に回っているらしく、全く混乱した様子が見られない。
ロイアルバの国の者達と私が城を出立するのを家臣達に淡々と見送られ、私は唇を噛む。
──家臣達は皆、私に優しかった。
なのに何故、こんな裏切りを。
「お尻が痛くなったら、遠慮なく言えよ」
「……」
私は、馬に揺られていた。
しかも、脳筋に後ろから抱きかかえられるようにして。
ロイアルバの腰には家族を殺した剣が携えられたままで、とことん馬鹿にされていると感じる。
私は、男が手綱を握り両手が塞がっているのを確認して、その剣に手を伸ばした。
「〜〜っっ!!」
「おい、大丈夫か? 怪我はしてないか?」
剣が重たすぎて、私は両手を使っても鞘から抜くことが出来なかった。
流石、筋肉ダルマの扱う剣だ。
お父様やお母様がこの男をそう表現していた意味を、やっと理解した。
「剣は危ないからな、触らないほうがいいぞ」
「……」
本当に心配しているかのように声を掛けられ、腹が立つ。
この剣を抜いた私が、自身に刃を突き立てるとは思わないのだろうか?
ムスッとした私の頭を、ロイアルバは大きな手で撫でた。
馬の上で身体を捩ることも出来ずに無視していたが、私が黙っているのをいいことにあまりにも髪をぐしゃぐしゃにされるので、流石に根負けしてその手を思い切り叩いて払う。
「痛っ!」
「エフィナ公女、大丈夫か!?」
「さ、触らないで下さい」
「ああ、悪かった。つい」
つい、何だというのだろうか。
思い切り叩いた筈の私、手を負傷で涙目。
けれども私がお願いすればそれ以上触られなかったので、よしとする。
初めから口で注意すれば良かったらしい。
しばらく黙って馬に揺られていれば、怒りもほんの少しだけ落ち着いてきた。
馬はゆっくりと進み、やがて賑やかな城下町を抜ける。
「……え」
「ん? どうした?」
「……」
私は、目にした光景が信じられなかった。
城下町を出れば、そこには痩せ細った大地と、痩せ細った人々。
生きる気力を失ったような眼で、物乞いをしてくる公国の民達が大勢いたのだ。
そんな人々を見たことがなくて、私は心の中だけで大いに動揺する。
ロイアルバは普通にそこを通り過ぎるが、私が後ろを振り向くと、後からついてきていた荷台が様々な物品をそうした人々に配給しているのがわかった。
私はいつも、城から出る時は馬車を使っていた。
向かう先は、避暑地や観光地。
目的地に着くまでは、日に焼けない方が良いとお母様に言われて、カーテンを閉め切ったままでいたのだけれど。
公国は豊かで、民もまた幸せだ。
そう家族はにこやかに笑って、いつも私に語っていた。
家族の笑顔に、思い出に、ピシリと亀裂が入った気がした。
「……いつから……」
「ん? ああ、結構前からこんな感じだ」
隣国へ着くまでの道中、ロイアルバは公国民たちから手を振られ、拍手で迎えられていた。
つまり、歓迎されているのである。
自国である公国が滅び、隣国から侵略されることを喜ぶなんて、普通では有り得ない。
有り得ないことが、目の前で起きていた。
「……大丈夫か?」
真後ろにいるロイアルバの声が、やけに遠く感じた。
私は、公国を駄目にした男の娘だった。
父は殺されて、民から喜ばれるような君主だったのだ。
家臣も含めて公国の民は、政権交代を望んだのだ。
「何故私を……生かしたのですか?」
ぐっと唇を噛み締めながらそれでも前を向き、改めて、家族をその手で殺めた男に聞いた。
「何故って? さっき言っただろ?」
「私はこの国の公女です。民を顧みなかった君主の娘ですよ?」
「親の罪は、親の罪だ。子供が何故、殺されなければならない?」
「……」
では何故兄を殺したのか、という疑問は、問い掛ける前に自己完結してしまう。
私には優しかった兄だが、一度怒ると手がつけられない性格で、また残虐行為を好む人だった。
兄は奴隷や犯罪者を遊びで殺すような嗜好をしており、平気で平民や、場合によっては貴族とも暴力的な揉め事を起こしていたのだ。
そして、兄に関しては、両親ですら頭を悩ませていたらしいのだ。
私はずっと言い付けを守る娘で、「近付いてはいけない」と言われたところには近付くこともなく過ごしたため、つい最近、兄の問題行動をメイド達が話しているところを偶々耳にするまで、全く知らなかったのだけれども。
そして、それを問いただす為に、私はお兄様を探して回っていた。
近付いてはいけない、と言われたことを初めて破って見た光景があんなだとは、思いもよらなかったけれど。
「私を妻にするとおっしゃいましたね。……妻に禍根があれば、いつか貴方の災いになりかねないと思いませんか?」
「ああ、そうなったらそうなった時に考えればいい。とにかく、君には少なくとも、罪はない」
そんなことはない、と私は思った。
「私の罪は、知ろうとしなかったことです」
私がそう言えば、今度は珍しくロイアルバが黙ったのだった。
父と母と、兄。
私に求められたことは、常に美しく、従順でいることだけだった。
彼らは私にひたすら優しく、何でも与えてくれた。
宝石も、ドレスも、豪華な食事も、愛も。
けれども、そんな家族が死んでも、悲しむ者は誰ひとりとしていないという現実をつきつけられた。
そう、私以外には。
どんなに復讐が間違った行為だとしても、私を愛してくれた家族の為に動く人は、私しかいないのだ。