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嘯く腫瘍

作者: 泰貴

「腫瘍にしか見えませんね。」ホントに?躊躇いもなく淡々とそう告げた医者はロボットじみている。

「え、じゃあずっと前からここに腫瘍があったってことですか?」お腹に手を添えがら間を埋めるように質問する。隣に座っている母の顔は見ていなかった。純粋に気になったのだ。ずっと前からお腹の中にあった腫瘍が、気まぐれに今日、俺の身体を痛ぶり始めたのか。今まで至って健康な生活を送り、よく食べよく眠り、風邪も滅多に引かない身体だったので余計に信じられない。

 「そういうことになりますね。」医者はこの質問にも淡々と答える。CTスキャンに写る影はとても大きなものに見えた。


 明日からの仕事はどうしようか。ミーティングはきっと出られないな。とりあえず上司に伝えるべきか。仕事は辞めなきゃいけなくなるかもな。治療費はどのくらいか。抗がん剤とかもやることになるのだろうか。来週のサッカーの試合にも出られないと、連絡をしないと。誰にどこまでを伝えるべきだろう。みんな今日は連休の最終日を楽しんでいるだろうから、後でで良いかな。もしも死んだらどうなるんだろう。


 その病院では詳しい検査が出来ず、入院するベッドも空いていない、小さな病院だったので、実家へ帰れることになった。3日間ほとんど実家の布団とソファーの上で過ごしたが、痛みがひいている時はなんとか散歩にも行けるようになった。痛みがひどい時には、お腹を中心に身体中がミシミシと音を立てて分裂するような痛みを感じる。分裂してしまっても良いから痛みを止めて欲しい。そう思いながら痛みがおさまるのを待つ他ないのが僕を苛立たせた。水を飲むために身体を起こすときにさえその痛みが生じた。天井を眺める以外出来ないので、ゼリー状の物で何とか食事を済ませる。水はストローをうまく使って仰向けのまま飲めるよう工夫するようになった。


 家族にはその3日間ほとんど顔を合わせなかった。理由は簡単で、笑ってしまうからだ。冗談ではない。痛みはお腹を中心に身体中へ広がるので、身体を起こす、身体の向きを変える、くしゃみ、咳などお腹の力を少しでも使おうとすると悶絶してしまう。笑うなんてもってのほかだった。笑い上戸で天然な母の顔を思い出すだけで笑みが溢れそうになる。絶対に笑ってはいけない、という状況になると尚更辛い。そんな実家であるから、死についてはあまり考えず3日間を過ごすことができた。やはり小さなマンションの一室でもここは落ち着く。


 3日目には一度散歩に出かけた。窓から入る夕陽の光が綺麗で、やはり見ておきたかったからだ。去年まで実家で飼っていた犬と歩いた散歩のコースをゆっくりと歩いた。死ぬ前にあんなに辛そうだった君が、死んでしまった瞬間に冷たくなり本当に綺麗になった。全身の力が抜けていて、毛並みはより一層輝く白になった。もしかすると、案外早く君に会うことになるのかもしれない。ああ、家族に迷惑を掛けるのだけが嫌だなあ。悲しんでほしくない。母は仕事を辞める準備をし始めたと聞いた。ピアノ教室の子供達はどうするんだよ。辞めるなよ。父はいつも一人で色々な難しいことを解決してしまう人なので、俺には見えないところで何かをしているはずだ。迷惑かけてばっかだなあ。せっかく社会人になって仕事も慣れてきたっていうのに。お寿司や焼肉だって、今度からは俺がご馳走できると思ってたのに。

 まだ癌かどうか確証を得られる詳しい検査も受けておらず、癌だとしても完治する可能性もあるのに、俺はこの3日目、いろんな想像を膨らませた。もしかするとこの実家にはもう2度と帰ってこれないかもしれないのだから、仕方なかったのかもしれない。涙を拭いて目が乾いてから、散歩を終えた。ただいま。


 「腹腔内出血ですね。」なんだそれは。医者はこれもまた淡々と言った。

 「詳しい検査の結果、腫瘍に見えていたのは溜まった血液ですね。お腹の中でかなり出血しています。」

 「癌じゃ無いんですね?」母がはっきりと聞いた。

 「はい。命に別状はありません。2週間の入院は必要ですが、すぐに完治できると思います。」

 「ありがとうございます。」その医者が治療を施したわけではないが、僕と母ははっきりと礼を言った。声を出す時、僕のお腹は少し痛んだ。凛としていた母はわかりやすくいつも通りの柔らかい表情に戻り、なーんだ、心配して損した、とでも言いたげだ。「まだお腹は激痛だし2週間入院なんだけど。」死ぬわけじゃなくてよかったじゃない、頑張んなさい。そう言って背中を叩かれそうで、それは口には出さなかった。

 

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