第五十話
「わかっている筈だ魃。お前の願いは、決して叶わぬものであると言う事を――」
瞬きを終える刹那の瞬間――狂瀾怒濤の肉の管の嵐が、逃げ場も残さずメザメの周囲の地形を破壊していた。石畳が割れて舞い上がり、赤いのぼりが空にひるがえる。
「お前自身が、誰よりもそれを理解している筈であるのに」
突き立つ管の上に立ち尽くしていた着流しに、栗彦は目を見開いていた。さらにはそうした彼の疑念も、妖眼の前には筒抜けとなる。
「何故あたらないか?」
メザメはそう、栗彦の疑念を口にする。
「――わかっているから当たらない」
「わかって……いる?」
「そう、わかっている。この目が全てを悟ってしまう。お前が何を考えているのか、次にどう 行動を起こそうと考えているのか。何を目論んでどうしようというのか、たとえ神であろうと、この妖の眼が全てを見通す――!」
チリン、とメザメの袖から鈴の音が一つ。
涼やかで控え目な音色であったが、それが争いの狼煙となった。
貪婪たる紫色の輝きの線を闇に浮かび上がらせて、メザメは歩み始めた。
無感情な栗彦の目と、冷淡なるメザメの視線が交錯する――。
その時、空より一斉に狐火達が舞い降りて来てツユ達に覆い被さった。そして眠ったままの安城とフーリを連れ去ろうと、その腕で掴み始める。
覆い被さる虚ろな視線。黄ばんだ眼球が明後日の方角を覗いたまま、傀儡人形の様に操られて爪を立てる。糸に吊られた彼らは一様にして、まるで水死体の様に生白い顔面を膨張し、内部にぼんやりとした橙色の火を灯しながら舌を突き出していた。自らの発光する光が陰影を揺らめかし、余計に怪異を不気味なものにしている。
――まるで、てるてる坊主だ。
「ごめんなさい!」
ピュー、とツユが水鉄砲で顔を濡らしてやると、怪異は顔に灯った明かりを消してその場にへたり込んだ。まさしく糸が切れたかの様である。萎びていって、やがて人の形をした魂の抜け殻だけが残る。
「本当に効くみたい!」
二人を連れ去ろうとする狐火に、ツユは必死に応戦する。その巨大な水鉄砲で水を掛けてやれば力無い。
しかし空より飛来して来る怪異の数と来たら無い。
「ああっ、水が切れた! なんでもっと大きいの買って来ないんですか!」
ツユの拳銃が二丁とも弾切れとなり、さらにと数を増して押し寄せて来た狐火の群れに組み付かれてしまった。
一人の怪異が細っちょろいツユの首筋に歯を立てようと大口を開いたのが見えた、その時だった――首元でメザメに貰った陰陽術願勾玉が光を放散して浮き上がり、まるでツユの周囲に結界を張ったかの様にして、体に取り憑いていた怪異を弾き飛ばしたのだ。
「こっちも……本当だったんだ、メザメさんの言ってた事!」
一先ず身を守る事は出来たが、しかしツユには打つ手が無くなってしまった。怪異が群がり拐かされんとしている二人の仲間を、ただ傍観している事しか出来なくなる。顔を真っ赤にして団扇を仰ぐが、目前で思い切りやってやらないと、火が消えるどころが余計に勢いを増してしまう。
「起きてフーリさん、安城さん、お願い!」
これだけ体を揺られているのに、彼等が目を覚ます事は無かった。吊るし上げられていた時に生気でも吸い上げられたのかも知れない。
「起きて二人共!」
ツユの叫びは虚しく不気味な空へと消え入るのみ。二人を掴んだ狐火が、空を漂い何処かへ消えゆかんとしていた……。
――その時、
「おい、フーリ。何時まで狸寝入りをしている」
眠っていた式神が、主の一声にパチリと瞼を押し上げたのである。
「…………ん? ごめんメザメ、寝てた」
そうして怪異を振り解くと、地に足を着いて顔を持ち上げた。
そして主の呼び掛けに呼応する。
「お前は風だ。“風狸”だろう」
「応!」
空を蹴るその度に、猛風が走って怪異を掴んでいく。フーリの巻き起こし始めた旋風で一網打尽になった狐火と一緒に、空に吊られ掛けていた安城が地に墜落して行くのが見えた。
「ふむ、あちらは任せていいだろう」
そんな風にメザメが独りごちていると、次に明確なる殺意が背中側より差し込んで来たのに気付く。死角より怒涛と迫った肉の管の無数を、彼は運動音痴特有のたどたどしい足取りでいなした。
「何故人が覚の眼を持っている? ……答えろ陰陽師」
振り返るまでも無くそこで静かに怒る栗彦に、メザメは振り返る。
「蒐集家だから」




