第十九話
【肆】
京都府伏見区にある『伏見稲荷大社』。
一行が目指すは、標高二三三メートルになる稲荷山である。しかし妙なのは、日にちを問わずに観光客でごった返す筈の稲荷の総本宮に、今現在ツユ達以外の人間が一人も存在しない事である。
しかしその理由は単に、今現在の時刻が深夜の零時であるというだけの事であった。
『伏見稲荷大社』が二十四時間出入り出来る事はあまり知られていないが、幾らそうであろうとも、この深淵静かなる不気味な闇の中に、万本とも鳥居連なる妖しき参道を選ぶ者はあるまい。人ならざる者が活発となる零時から三時、いわゆる未明のこの時刻は、人に本能的な畏怖でも覚えさせるのか避けられるのが常だ。
だがツユ達にはこの時刻でならなくてはならない理由が二つあった。
一つ目は安城廻という国民的俳優が人目のある内に来訪しては大混乱が予想されるという事。二つ目は、怪奇の活発となる未明の時刻で無くてはならない儀式的な理由があるとの事なのである。にわかには信じ難いのだが、安城いわくこの時刻にのみ現れる怪奇があるらしく、それがツユ達の求める雲外鏡の在処に繋がるのだとか……。
「なんで、なんでこんな事に……この安城廻が、こんな寒い思いまでして、このままじゃあ他の狐達に裏切り者と罵りを受けて……」
長く真っ直ぐな石畳の始まる一の大鳥居を潜った後、ブツクサと不平の聞こえて来る右隣へとツユが振り返ると、そこにニット帽を深く被った安城廻の姿があった。真夜中だというのに黒いサングラスまで掛けている。不思議に思ったツユは問い掛けていた。
「安城さんはどうして変装を? だって狐なんですよね、化けられるのにどうしてそんな必要が?」
「この姿が定着してしまって長いからね。安城廻の姿が自然と終わるその時までは、ボクが何か別の形に変じる事は不可能なんだ」
「そういうものなんですか」
「現世に受肉をするとは、すなわちそういう事なんだよね。ある意味では縛られる。まぁなんだ、つまりボクの様な低級の狐程度では、キミら人間と殆ど変わらないって訳なんだ」
大きく嘆息をした安城。半ば首元に凶器でも突き付けられた様な状況でここに連れて来られた彼を、ツユも確かに不憫にも思うのだけれど、それでも彼という案内人が無ければ怪奇の正体を見極める雲外鏡の在処は突き止められない事もまた理解していた。黒いダウンジャケットの前を閉めた姿のフーリが、闇夜に白い吐息を立ち上らせながら、どうでも良さそうに安城の背中に言った。
「お前がいないと雲外鏡を見つける為の手順がわからねぇんだろうが」
「だからそれは何度も説明しただろう」
すると耳元のインカムに冷酷な声が割って入って来る。
『黙れ。それが真実であるとの確証がない』
「ああもう、わかったって。国民の宝であるボクの貴重な時間を使わせておいて……ただで済むとは思うなよ?」
有無を言わせぬメザメの物言いに安城は落胆した。既に彼の耳元にもインカムの一つが装着されていてメザメとの交信が行える様になっていた。……しかし、それが何処か首輪をされている飼い犬かの様にもツユには思えるのだった。
点々と外灯の光る参道を進み、これまた大きな二の鳥居を潜った先で、荘厳なる楼門に出迎えられる。少しの段差になって上方に佇み、左右に立派な稲荷像の控えた光景を前に、ツユは「わぁっ」と顔を綻ばせた。
「すごいすごいっ、私実は伏見稲荷大社って初めてなんです!」
何処か観光気分の彼女を冷めた瞳で見下ろした二人の男。その男達の声を代弁するかの様にメザメは嘆いていた。
『その観光気分がいつまで続くだろうな』
「はい?」




