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第十二話

   *


 あの白き閃光の一瞬の最中に、ツユは兄の夢を……いいや夢と入り混じったかの様な追想をしていた。 


 ツユはその時、『異界のおみくじ』で読んだその場所に立っていた。時刻はもう夜で、今にも雨が降り出しそうな曇天を微かに、紫色の世界に満たされていた。


 仄かに月光がある真っ直ぐ続いた石畳の細道に、赤いのぼりの連なりが見えて、ツユは天上を見上げる。


 ――そこに兄が居た。


 変わり果てた姿の兄が居た。


 締め上げられた顔面は鬱血し、目玉が飛び出しそうになって充血している。口の端から突き出された舌は太く、不健康な色をしている。そこから垂れた粘液は粘つき、足元にまで伸びて、脱力された体はゆっくりと旋回する。その首を締め上げた肉の管に吊るされながら。


 ツユは叫ぼうとしたが、その世界で彼女が声を上げることは叶わなかった。まるでそこには彼女が存在していないかの様だった。


 恨めしそうに、苦しそうに飛び出した眼球が蠢いてツユを見付けた。


 ――まだ、生きている。信じられない事に……惨たらしい事に……。


 まだ息があるらしいと言うより、死ぬにも死に切れずに、ただ永劫の死の苦痛を味わっているかの様であった。


 ――ピンとはね上げられた兄の右腕が、ツユへと向かって伸ばされていた。助けを求め、あるいは溺れた人間が呼吸を求めて喘ぐ本能かの様でもあった。


 向こうの方からから順々に、頭上に明かりが灯り始めた。兄と同じく呻き苦しむ人の群れが、狐火となって燃え上がる。


 やがて兄もまた盛る炎に巻かれて赤くなった。熱に痛ぶられて悶え苦しみながら、その熱に皮膚がペリペリと捲れ上がっていく、酸素を求めて首に爪を突き立てずにはいられなくなり、硬直し、強張った体が縮こまっていく。

 紫色の夜のその下で……。


 ツユは涙ながらに兄に手を伸ばした。自分にとって親の様でもあるその相手が、今まさに何の(いわ)れか無間地獄(むげんじごく)の業火に焼かれているのだ。あんなに優しいあの兄が、ただ不幸な身の上にささやかな夢を願っただけの兄が、これ程の責苦を受ける理由があろうか。

 いやあるまい。だからツユは声も出せずに泣き喚いているのだ。


 やがて兄の体は抵抗をやめて脱力された。そうして(たきぎ)の様に静かに、パチパチと音を立てて燃え続けているかと思うと、


 ――ずるり、と肉が削げた。


 腕の肉が、腹の肉が胸の肉が、眼球が、臓物が、舌が皮膚が顔面が、ずるりと落ちてまっさらになった。そうして燃え盛る炎は膨れ上がった顔面に灯を灯す。


 さながらそれは“のっぺらぼう”……いいや、その全身をのっぺりとした肉塊で纏う様は“ぬっぺっぽう”であろう。腐乱した肉が、溶けて焼け落ちながら腐臭を撒き散らしている。


「助けて欲しいんだよね、今助けに行くからねお兄ちゃん!」


 ようやくと声が出た。その声はツユが意図するよりも先に口をついて出ていた。

 しかし、もう目も口も耳も無い、痛みだけが続く世界で兄は、静かに私に向かって首を横に振った。

 そんな姿になって尚、兄は自分には小説しかないのだからと言っているかの様であった。


「かか……わる…………な」


 肉塊が裂けて口元を作ると、兄は最後にそう残す。

 

 やがてツユは目尻に大粒の涙を溜め込んだまま現実へと立ち返った、それがまさに白昼夢であったとわかるのに、さほど時間は掛からなかった。

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