492 それから3-08 拉致
昨夜は・・・・・いや言い換えよう。
神田から中央線に乗ったのは、もう日付を跨いでいた。
バイトの打ち上げで、閉店後、和泉の歓迎会と洋樹の送別会をしてもらった。
意識を取り戻した、和泉も顔の傷が無くなっていた事に驚き、木場からの説明を受けても信じれていないようだったが、自分の中に陰陽師としての血が流れている事は知っていた様だ。
洋樹は、未成年でも有り酒を飲まなかったが、他の面々は今日が休みという事も有り珍しく深酒をしていた。
やっとお開きになって、ひとり中央線に乗って帰り着いたのは日を越えていた。
途中、警察官の巡回に出くわすのは面倒なので姿を消して自宅に入った。
母が起きていて『ご苦労様』と声をかけられる。
「遅くなって、ごめんね」
謝りながら階段を上げる。
雅樹も起きていた。
恐らく父も桃も起きているのだろう。
心配されている。
してもらえている。
部屋に戻りベッドに横になる。
目が覚めたら本当に夏休みだ。
懐も暖かい。
すぐに眠気が襲って来た。
いつも起きる時間に、起きてしまいそうになったが無理矢理に寝坊を決め込んだ。
だが、日の出前には目が覚めてしまう。
仕方無い。
屋上に、出て身体をほぐす。
外へ走り出す人影が有る。
雅樹か?
向こうから恵梨らしき人影が近づいてくる。
本当に、仲が良い。
屋上で身体をほぐしている姿に気付いたのだろう。
こちらに、向かって頭を下げる。
洋樹も、それに片手を上げて応えた。
朝日が登る。
『今日も真摯に!』か?
今日は、アドリアも休店日で母は兼ねてから約束していた様で、朝一番で金沢へ向かったらしい。
なんでも、相談事を持ちかけられたそうだ。
『泊まって来る』と言っていたから、何人もの門人が二人に叩きつけられながらも、恍惚とした表情をするのだろう。
今日は、流石にバイト明けだという事で誘われなかったが、いずれは行く事になりそうだ。
洋樹は、もう出かけた母以外の分の朝食を作る事にした。
牛刀やペテイナイフを、川越の鍛治屋で揃えて貰っていた。
丁寧に、手入れをしないと直ぐに錆が入る。
「日本刀? みたいな包丁だな」
父、和也が手に持って、その刃の作りを見ていた。
彼はゾーリンゲンのセットを、修行に行った先のパリのレストランオーナーから贈られてそれを愛用していた。
洋樹は、自宅の台所でドレッシングとスープを素早くこさえて提供する。
市販のコンソメキューブを使い仕上げたスープだが、そこに一工夫入れて有る。
鷹の爪を一本カラ焼きして、それをしばらく浸けて引き上げて有る。
後は野菜を細かく刻んでハムがベーコンの切れ端を使って、パセリを掛けて仕上げだ。
僅かに感じるピリッとした食感。
ジュピターの先代が自分用に作り置いた物を、他の者が分けて貰って休み明け一番のモーニングに決めた物だ。
成程、目が覚める。
「『休みの際にブレてしまった舌を戻す』って言っていましたけど、二日酔い対策ですね」
和也も、昨日は珍しく赤ワインを楽しんだらしい。
その後に、ノルウェーから送って貰った『アクアビット』まで楽しんだそうだ。
洋樹は、準備を始めた。
渡米するまでに済ませておきたいことが、いくつか有る。
今まで、男子校に居た事もあるし料理の道を齧る為に犠牲にした事だ。
女子との、お付き合い。
ナンパだ。
デートだ
出来れば、大人への階段も上がっておきたい。
自分自身には、自信があった。
成績も身体能力も優秀だし、顔立ちも母の尚美に似て美男子の部類に入る。
ジュピターのバイトの最中にも、バレンタインには本命チョコを受け取ったが、どうしても学園の規則がうるさくて男女交際に踏み切れなかった。
だが、これからの二週間。
同級生達は夏の特別講習だが、進学先が決まっている自分にとっては二週間後に渡米したら。ほぼ一年間のフリータイムだ。
『蟻の諸君は頑張りたまえ。僕は蓄えを持ったキリギリスなのだ!』
同級生が聞いたら、闇討ちされそうな言葉を吐きそうになる、
西郷香織の事が気になるが、互いの人生が交わることは間違いないと思うので、彼女が結婚んできる年齢になる二年後までが自由時間とも言える。
男の子なのだ。
夏なんだ!
湘南の海に出て『ナンパ』って奴をやってみよう。
準備は済ませていたが、たった一つ忘れていた物がある。
足元だ。
『サンダル』を買い忘れていた。
浜を歩くにはサンダルだろう?
シャツも、懐が温かいうちに揃えておこう。
駅前の商業施設までは、白の半袖ワイシャツに黒のスラックスに革靴という普通の格好で移動する。
寮生活を続けていたという事も有り知られていないと思ったが、存外【アドリア】の長男が帰って来ていると言う情報は駆け回っていて必ず声をかけられる。
だから、駅前の商業施設までは大人しく高校生の服装で移動した。
洋樹が商店街を抜けている間、でっかいワゴン車がアドリアの駐車場に滑り込んだ。
カジュアル衣料販売のお姉さんに、開いた胸元を見せつけられながら次々と買い込んでしまう洋樹。
女性耐性が無いから、良いカモになっていた。
支払いを済ませた衣類が詰まった袋を両手に自宅に戻ろうかと思ったが、一階の男子トイレに入って着替えを済ませて両手の紙袋を【収納】に仕舞い込んだ。
マジ便利!
JRに向かうロータリーで後ろから若い女性に声をかけられた。
「ちょっと!そこの君!」
来ました!逆ナン!
割とチキンな洋樹にとって、これは好都合。
「私ですか?」
うわずりそうな声を抑えて、ゆっくりと振り返る。
ボブカットの高身長の女性。
どうしても洋樹の眼は、その胸に引き寄せられる。
なんだ!この臨戦体制の胸は!
「君!トイレに入る時に色々と持ち込んでいたね?
履き物だってサンダルだ。ほら君がトイレに入る前の姿がこれだ!
突き出された携帯電話の画面。
両手いっぱいの紙袋!白い半袖のワイシャツに、黒のスラックスに革靴だ。忘れて来ているんじゃ無いかな?」
「あぁ、すみません。その様です。個室で着替えて来ましたから!」
「だよね。しかしなんだい? 『売り場のお姉様に見繕って貰いました〜』感満載のその姿?
余りに、有り得ないコーディネートだから声かけたんだよ」
洋樹は、青くなっていた。
声をかけて来た。バズーカバストを包んでいるのは紛れもなく【女性警官の制服】
不味い!ここで補導なんてされたら、夏休みが終わってしまう。
「あはは、どうもすみません。
じゃあ、僕はトイレに戻って衣類を回収して来ます。
どうもおせわになりました」
「いや、君が行く必要はない」
「でも、・・・・・・」
「私だって嫌だよ。男子トイレなんかに入ったらお嫁に行けないよ。
貰ってくれるかい?
ケイ!」
「なぁに〜」
驚いた。洋樹の気配探知に引っかかる事なく、小柄では有るが男性が目の前の女性警察官の左肩に現れた。
だのに女性警官はビクともしない。
「聞いていただろう? 行っておいで。まだ、男子トイレの出入りは無い。
まだ、荷物は残っているはずだ。
取っておいで」
「解った」
「男子トイレだよ!
女性トイレに行ったら、ここにお巡りさんいるんだからね!」
「・・・・・解った」
ケイと、呼ばれた自衛隊の制服を来た男性が消えた。
「チョット待て! なんで、警官が自衛官に命令する?」
「そんなの、ケイが私の下僕だからだよ!」
そう、女性警官が答える間も無く、あの男性が肩に乗った。
「何にも無かったよ?」
「どういう事かな? 色々聞かせてもらおうか?
逃げられないよ?
ケイとヒトミにかかったらね?」
「ケイ? ヒトミ?」
「うふふ、あはは! 久しぶりだね!洋樹! 10年ぶりだから仕方ないか!」
「デカくなったな! 俺と10センチ以上差があるぜ!」
「瞳さん! 【流】の瞳さんに慧一さん!」
「やっと思い出したか?」
「ちっとも顔出さないから、お袋が寂しがっていたよ」
「済みません!」
「さぁ、迎えに来たんだ!そこの車に乗って! 私の胸をガン見したのは黙っていてあげるから!」
「エッ? でも俺これから、夏休みで海に行こうと思っていたんですけど?」
「その前に、パーティに出ないといけないよ!」
放り込まれる様にしてロータリーに停車していたワンボックスのスライドドアから乗り込めば、三列シートの最後尾に親父と雅樹が桃を挟んで乗っていて大笑いしていた。
魔石板には、瞳さんが洋樹を見つけてからの映像が流れている。
これは恥ずかしい!
明らかに挙動不審だ!
それを、振り切る様に助手席に乗り込んだ瞳さんに声をかける。
「【パーティ】って、なんのパーティなんですか?」
「いくつか重なっているがね。真吾さんと麗子さんの婚約に、剣吾さんと律子さんの婚約。そして君の送別会だ」
「送別会は、昨夜やって頂きましたよ?」
「それは、君のバイト卒業とアメリカ留学の話だろう?」
「えぇ、そうですけど?」
「あれ?聞いていないんだ?」
「何をです?」
「和泉くんの、治療やったろう?」
「えぇ、」
「アレが『試験』だったんだよ。
見事合格だ。
アーバインへの、【一番乗り】頑張ってくれ!」




