442 それから 女子会3
札幌の道場に朝霧ひとみの弟子や指導を受けた者が移動して、最後の指導を受ける事となった。
ライバルである青山秋子から花束を受け取った後に、お互いの業物を出しての試技。
【静】も心なしか光が悲しげ。
そんな中、若手の門人達の試合が始まった。
その中で、組み合わされたのが洋樹と香織の試合。
洋樹も高校生にあがったばかりだが、竹刀を使っての剣道大会では都内の新人大会で準優勝に輝いていた。
だが、アーバインからの転移者の子である彼が実力を出し切った訳じゃ無い。
決勝では連戦で腕に疲れが溜まった振りをしての小手二本で負けていた。
ただ、一本、面で返しており。
周囲からは、残念がられていた。
相手も洋樹が全力では無い事は感じていた様だが、高校に上がったばかりで『東郷洋樹はスタミナに難があり』という評価が伝わっていて納得していた。
彼を苦しめているのが、剣道と料理に関しての事だった。
『思えば、逃げてばっかりだよな・・・・・・』
東郷兄弟は、両親が欧州から帰国して来て産まれた子供だった。
帰って来てから国分寺にあった欧州家庭料理の店舗を引き継いで、改修工事を行なって【アドリア】をオープンしたのだが、この間、両親と桃の五人で横浜に借りたままにしていたマンションで生活した。
桃は子供好きで、何かと忙しい両親に代わり二人の子供を育てる事に協力して来た。
その中で、遊びに行けない雨の日は、三人でホットケーキやクッキー、アップルパイを作って楽しんだ。
当時、洋樹6歳、雅樹3歳。
ところが、雅樹が幼児ながらにして、才能の片鱗を見せる。
手際が良いのだ。
クッキー、ビスケットを作る際の分量の加減を見事なまでの感覚で調整する。
丁寧にパイ生地を重ねて、幾つもの層が見事に断面を見せるアップルパイを作って見せた。
3歳。
とうぜん、帰ってきた親達は雅樹を褒める。
洋樹の作ったアップルパイもクッキーも彼が一生懸命作った物だ。
だが、そこに出来栄えに差が生じてしまい『年齢の逆転ギャップ』で、雅樹が余計に誉められる。
桃は、必死に洋樹を庇う。
『洋樹が作ったパイもクッキーも、6歳児ではありえない出来だ』
だが、彼は次第にキッチンから距離をとってしまう様になった。
こうして弟にコンプレックスを抱いてしまう。
更に、続く。
物心ついて初めて行った【流】道場。
普段は、竹刀を構えて、にこやかに笑いながら指導する母。
それが、竹刀を持たずに、ここの道場主と互角に拳を合わせる。
柔術では無く『打撃有り』『ハードコンタクト有り』の【流】道場。
喧嘩では無いが、彼は、初めて母親の無手の戦いを目にしてしまった。
しかも、相手と撃ち合いながら笑みをこぼす。
道場での母の和かな笑顔とは違う。
そう、まるで獲物を前にして喜ぶ獣に見えてしまった。
怖い。
母が怖い。
国分寺の自宅に帰っても道場で震えてしまう。
母の笑顔が、『あの笑顔』に変わるんじゃ無いか?
道場に通う子から前に聞いていていた『全寮制の小中高一貫校』
洋樹は、そのパンフレットを手に、仕事が終わった父の元へ向かった。
怒られるかと思った。
でも、父は入学を許してくれた。
悲しかった。
『僕は、【要らない子】なんだ』
和也は、桃から聞いていた。
『自信を、無くしてしまっています』
『俺たちも、いけなかったな』
『はい』
『一度、外に出す。
あの子は、外の世界を見るほうが良い。
菓子作りより、【飯】を作らせたら、わかる気がするが良いだろう。
行かせよう」
こうして、洋樹は国分寺の自宅を出て、お茶の水の学園に入学した。
男子校であった。
香織との対戦。
審判を務めるのは朝霧ひとみ。
「本気でやって良い。
お互い、身体強化も使え。叩きのめしてみろ!」
と言われた。
『あっ、釧路のキャンプ場で会った娘だ』
そう思って、思わず【笑み】が出てしまう。
女性と、こうして竹刀を合わせるなんて、何年振りだろうそう思って、つい笑ってしまった。
だが、これがいけなかった。
香織は
『試合後ならいざ知らず、剣を交えようとするその時に笑うなんて失礼な事だ』
と全力で行くと決めていた。
だから、
「始め!」の声がかかると同時に、高速の攻撃で畳み掛けた。
一瞬、対応が遅れた洋樹も慌てて【身体強化】で強烈な連打に耐えた。
そこで、香織は一段だけギアを上げた。
得意の【貫胴】
「一本!」
「どうした?洋樹? 相手は、中2の女の子だよ?」
【煽り】をかける朝霧。
「もう、一本お願いします!」
今度は、【身体強化】と【金剛】をかけた。
だが、少女は
「【金剛】なんて意味無いわ。ただ、硬いだけ。
【迷い】だらけのアンタなんて、こうして叩き潰す!」
少女の、構えが変わった。
右の肩に竹刀を真っ直ぐ上に構えた。
【示現流トンボの構え!】
強い打ち込みの上段からの剣だった筈。
洋樹は、上段からの打ち込みに備えて、面を守ろうと構えを変えた。
「チェストー!」
示現独特の一声をあげて、西郷香織が打ち込んできた。
『大丈夫!受けて捌き流して、胴を抜く!』
洋樹が受けようとした時に、その竹刀が薄く黄金色を纏っている事に気がついた。
『まさか、竹刀に金剛!』
金剛がかかった鉄以上の硬さを持つ竹刀の強烈な打ち込みを受けて、かわすなど無理な話だった。
竹刀をずらしながら、【金剛】をかけた横面で受け止めた。
「これなら、浅い!」
だが、少女の打ち込みは厳しく洋樹は、膝を折ってしまった。
「それまでだね」
朝香ひとみが、割って入ろうとしたら香織が退かない。
「うん?」
「何を、グズグズ迷っているのよ!
迷っているんだったら、走り出してみれば良い!
今自分にできる事を、自分が後悔しない道を走るだけよ!
私は、それすら出来ない弱い男は嫌いよ!」
こう言い残して、香織は洋樹と朝霧に一礼をして更衣室に下がった。
今まで、こんな負け方をした事が無かった。
なんで負けたんだろう?
ゆっくりと立ち上がって朝霧の方を向く。
「おや? 笑える様になったじゃ無いか?」
「エッ?」
「本当に強い相手とやり合うと、自分の不甲斐なさと、強くなろうと心の中から湧き上がって来る思いで笑うしかなくなるんだ。
『諦めの笑い』じゃ無い。
そうさね、自分の相手を見つけた時の笑い顔さ」
洋樹は、気付く。
あの日の母の笑い顔は、全力で戦える相手が目の前にいた嬉しさなんだ。
それを、怖いと思った。
なんて、弱い心だったんだ。
朝霧に、肩を叩かれて試合場を離れて壁に寄る。
審判には、青山秋子があがった
母、尚美が朝香ひとみに頭を下げる。
「あの子が言った『セリフ』は私の受け売りだ。
香織もたったひとりの『京優学園剣道部員』として後輩を待つ方法も有ったけれど、あの子は、それを取らずに後悔しない方法を取った。
だから、鹿児島に帰って新しい生活に飛び込んだ。
失敗かもしれない。
今までの友達を失うかもしれない。
でも、あの子は新しい生活に欠けた。
お前さんも一歩前に出てみたらどうだい?
和也、尚美も、雅樹も、桃も 君を待っているのさ」
尚美の後ろに、父と桃の姿があった。
雅樹は、御室大地と向かい合って礼をするところだ。
『そう言えば、この兄弟の太刀筋は・・・・・』
大地が、いきなり竹刀を引いて膝を落とした。
『そうだ!朝霧さんの弟子だ!【鎌鼬】がくる!」
周囲には【遮蔽】が張ってあるから、観客が巻き込まれる事はない。
大地が、左手を水平に振り出した。
雅樹は、【鎌鼬】は初見の筈だ!
「雅樹!」
だが、弟は慌てることなく【鎌鼬】が届く直前の空間を斜めに切り落とした。
「ギン!」
と、何も無いはずの空間で音が鳴る。
真空の刃の鎌鼬を、竹刀の先端を高速で空間を切り落とし【真空】を作り出して方向を変えた。
それだけでは無く、返す切先を相手に突きつけた。
「それまで!」審判が宣言した。
「良く習得した。伊東武敏が極めた技だ。奴の弟子かい?」
朝香ひとみが外から声をかけた。
「いえ。【鎌鼬】の事を聞いて、考えていた事を咄嗟にやってみただけです」
「咄嗟にやった?・・・・・・ククク、伊東が聞いたらどんな顔するだろうね? 大地どうする?」
「今のを受けられたら、打つ手がない。普通にやろうか?」
「良いの!だったら【地摺り】を、やって見せてよ!」
「なんで!知ってんだ?」
「いや、あの構えからなら【変化】するとしたら、それが一番かな?と思ってさ!」
「良いよ!俺も、まだなんか出来ないかを試しているんだ!付き合ってよ!」
そう言って、道場の端に移って二人で、アレやこれやとやり始めた。
それからも様々な年代の子供がやって来ては立ち会う。
だけど、香織は帰ってこない。
その頃、香織は『自己嫌悪』の中に居た。
面以外の防具を外す事なく、更衣室の隅に膝を抱えて座り込んでいた。
言い過ぎた。
アレは、あまりにも言いすぎた。
自分が迷い苦しんだ事を、棚に上げて彼を責めてしまった。
彼が悩んでいる事を、知っていたのに更に追い込んだ。
私、最低だ・・・・・
知らずに、口に出していたんだろう。
横に座られた人に声をかけられた。
「ううん。ありがとう。
香織ちゃん。私の事、覚えている?」
「あっ 尚美さん。
すみませんでした。私、洋樹さんに酷い事言って・・・・・・傷つけてしまった」
「大丈夫よ。あなたのお陰で、あの子、前を向く気になったわ。
あの子、あの後に笑ったの。
まだどうして、なんで、彼が自分を追い込んだのかはいけてないけど、最初に洋樹を、傷つけて追い込んでいたのは『私たち家族』よ」
「エッ!」
それから、尚美は香織に子供の頃の、お菓子作りの事、【流】道場に行った後の彼の変化。
そう言った事を話した。
「急に家を出るなんて、6歳の子供が言い出したのよ。
親としては、自分達に原因が有るって、すぐに解ったわ。
そして、巴様からも『一度離れて暮らしてみるほうが良い』って勧められてね。
だから、今、彼は寮生活を続けている。
随分と、逞しくなったわ。
でも、まだ自分に自信が持てない。
弟に負けた過去が、どうしても記憶の底にいる。
剣道の事もそう。
もう、次の段階に進むべき刻を過ぎたのに、全力で行けない環境にいる。
だから、苦しんでいる。
でもね、全国、ううん、世界中に仲間がいる。
【陣】を使えば、一緒に剣を交えて向上出来る相手がいる。
それを、知った様よ。
今、道場の隅で雅樹と大地君が新しい技を生み出すのに付き合っているわ。
初めてじゃないかな?
あの子が、出て行ってから竹刀を持って弟に付き合っているのは・・・・・・
わだかまりが消えた。
それを、吹き飛ばしてくれたのは香織ちゃんよ。
ありがとう」
それから、しばらく話をして香織は道場に戻って行った。
その後ろ姿を見送りながら、
横に現れた巴様に問いかけた。
「でも、洋樹が信長様の生まれ変わりで、香織さんが静御前様ですか?」
「あぁ、『運命の出会い』は、なった訳じゃな」
「そうなると、次は、いよいよ帰蝶様ですか?」
「どこの誰だか解らんが、まぁ、洋樹の成長次第だろうて」




