謎の彼女との承前
ある青年と女の子が、街中でばったり出会うことでこの物語は始まります。
よくある導入部にも見えますが、このふたりの場合ちょっと特別な出会いだったのかもしれません。なにが特別なのかはおいおい見ていくとして、どんな出会いだったのかをまずは見ていくことにしましょう。
「あの、お取り込み中のようですが、手をお貸ししましょうか?」
真面目そうな青年が女の子に声をかけています。
「はぇ? あ……あたし?」
声をかけられた女の子は、意外そうな表情で
す。他人に声をかけられることなど、夢にも思っていなかったのでしょう。
「え、ええ。そう、ですけど」
青年の心情を代弁するなら、「この状況で意外そうにしてるあなたが不思議ですよ」でしょうか。
女の子は、通りに面した雑貨店にいたのですが、買い物をしていたとは考え難い状況です。なにしろ、女の子は売り物の大きな藤の籠に入っていたのですから。
女の子がふたを半分開けて周囲のようすを伺っているところに、青年は中腰になってふたをつまみ上げ、中を覗き込むかたちで声をかけたという状況のようです。
「あー……別に助けは必要ない……やばっ、隠れてっ!」
「なんっ」
青年の視界は、上下逆転して暗闇の中にまっさかさまに落ちていました。
要は女の子に腕を引かれ、頭から藤籠に突っ込まれた状態です。籠の上から足が飛び出していましたが、女の子がすばやく立ち上がって足を曲げて押し込み、すぐ腰を下ろしました。
女の子にしてみれば元通り隠れた、といいたいところかもしれませんが、籠の中の人数は倍に増えています。女の子が腰を下ろした時点で、膨れ上がった藤籠はミシリと悲鳴をあげているような状況で、元通りとは言い難いようです。
「あの狭いんだから、もうちょっとそっちに行ってくださいません?」
「そんなこといわれたって、身動きなんてひとつも……」
足をたたまれた青年は、曲がらない方向に曲げられるのだけは避けていました。ただし、籠の底で押し付けられている頭は、首が折れ曲がった状況です。さらに、その頭の上には……
「おしりの下でもぞもぞするの、止めてくださらない?」
「ご、ごめん。そんなつもりじゃ……」
「どんなつもりだろうと……しっ、しずかにっ!」
それまでも彼女は声を潜めていましたが、それが緊張感を帯びた声色に変わったことで青年もただならぬ何かを感じていました。ただ彼女が座っているのが青年の頭の上だなんて、想像の範疇外です。
そんな彼は、彼女の身にどんな災いがふりかかっているのかを考えていました。彼女は何者かに追われていて、藤籠に隠れていたのも命からがらやり過ごそうとしていたのかも……などと考えてしまうのは、元来が真面目な性格の青年だからでした。
ぼそぼそと喋る一団が足を止めます。彼の位置からは見えませんが、ふたりが身を潜める藤籠を指差して話しあっているかのようです。
「……逃げるわよ。準備はいい?」
「準備っていわれても、そもそも動けな……」
小声で返していましたが、女の子が腰を浮かし籠から飛び出そうとしているのを感じ、抗議はあきらめました。
「…3……2……」
「どんな準備を!?」とは青年の心の声、まぎれもなくツッコミの声でしょう。
横になった片目をつぶると、藤の隙間から男たちの足元だけが見えます。3人のダークスーツの男たちは、今にもふたりの隠れている籠に手をかける寸前なのかもしれません。
彼女ひとりで行っていたカウントダウンがゼロに至り、女の子は籠のふたを開いてすっくと立ち上がりました。目の前まで来ていた男たちに、にこっと笑いかけます。
男たちがひるんだ様子を見せると、青年の腕をむんず、と掴んで「ほら、立って」と立ち上がらせ、そのまま手を引き男たちをかき分けるように突進しました。
「----ジャンプっ!」
立ち止まった女の子の発したかけ声を、青年はかろうじて自分に向けられたものと気が付きました。青年が飛び上がろうとモーションに入ったのとほぼ同時に、女の子の身体が沈み込んでいます。
彼女は、地面についた左手と腕を軸にして、時計まわりに回転していました。彼女の身体をつつんでいた、ふんわりしたロングスカートが青年の浮かぶ真下に広がります。
「わっ!」「とわ!!」
ちょうど追いかけてきた三人組が足元を払われ、同時に尻もちをついていきます。サングラスをかけた顔も、驚きの表情までは隠せません。
「よ……っと、すごいな」
スカートを踏まないよう、ひだを避けて着地した青年は意図せず感慨をもらしていました。
「今のうち、一緒にいくわよ!」
「あ、ああ……」
一瞬どうして一緒に、と思いかけた青年でしたが彼女の後をついて走りながら、まあいいかと思い直しました。
自分の手を、しっかり掴んだ彼女の手のひらが、思いの外あたたかく、小さく、そして柔らかい……そんなことを考えながら、縦横無尽に街を走る女の子の慣れた逃げ足についていきます。
背後から聞こえていた男たちの声は、いつの間にか聞こえなくなっていました。ひとつ青年が気がかりにはなっていたのは、男たちは絶望的な様子で「お嬢様」と呼びかけていたことです。
彼女の逃亡を助けたのは、果たして正しかったのでしょうか。
彼の疑問は、すぐにわかることになるのですが、それを聞いてほっとするのか、それとも後悔するのか、はたまたなんらかの事件に巻き込まれてしまうのか……
それはまた、次の機会に。
⭐あとがき⭐
入院中、リハビリの間の待ち時間に、本ばかり読んでいてふと考え始めた物語です。かつて書いていた本が『ゲームブック』と呼ばれていた頃、こんな風に物語をよく考えていたな、と。
登場人物たちは、記憶の中にいるゲームブックに登場させたオリジナルキャラクターたちを彷彿とさせる、新たに作ったキャラたちです。もう少し長いお話を考えているので、リハビリの隙間時間の執筆ですが、活躍させてあげたいと思っています。