4-1.巫女の責務
──三年前のクライヤマ、巫女の社
太陽が大地を煌々と照らす中、少女は暑さに狼狽える事無く、真南の空に浮かぶ光源に向かって凛々しく立つ。
空には雲ひとつ無く、在るのは青とそれのみである。大幣を手に持ち、あまり音をたてぬよう右、左、右と振った。
「太陽よ、クライヤマに恵みを垂れ給え」
お祓いによって己の邪心を払拭してから、顔と胸の間──喉ほどの高さで合掌し、日輪に祈祷する。そのまま数秒ほど目を瞑った。心が落ち着き小さな音もよく彼女に届く。ふと茂みが揺れるのを感じ、その原因に高揚するリオだが、ここで一名の客が現れた。
「巫女様」
「はい、どうされました?」
その大柄な男性は畑の者であり、野菜の生産を主に活動している。巫女になる前のリオはよくユウキと共に彼の手伝いをしたものだが、今では名前で呼ばれることも無く、他人行儀である。そこに寂しさを感じながらも、リオは男の相談内容を聞いた。
「最近、イノシシが畑を荒らしておりまして。何度も追い払っているのですが、懲りずにまたやって来るのです」
「イノシシ、ですか」
「ええ。このままでは畑がダメにされてしまいます。そこで、私は駆除を考えているのですが……巫女様のご意向を賜りたく、如何なものでしょうか?」
う〜んと唸りながら彼女は思案する。男の話に対して、さてどうしたものかと。
──殺しちゃうのは可哀想だけど
──でも、野菜が採れないとみんな困るもんね
「そうですね……やむを得ませんが、仰る通り駆除をするしかないかと思います。ただし、荒くれのイノシシとて尊い命ですから、尊厳を持って対応してあげてくださいね」
「分かりました、そうします。いつもありがとうこざいます、巫女様」
「いえ。美味しいお野菜を、みんなに届けてあげてくださいね」
「はい、お任せ下さい」
彼女に一礼して社を後にする男。微笑みながら手を振って見送り、ついに先程から気になっていた気配に対して声をかけた。
「おじさんはもう行ったよ、ユウキ」
気を利かせ、周辺に聞こえない程度の小声で呟く。すると、茂みから一人の少年が躍り出た。大人に発見されないよう、家からここまで雲隠れしながらやって来たのである。
「気付いてたんだ」
「うん。ふふっ、今日も来てくれてありがとね」
「ありがとう……?」
リオが日の巫女になって二年。それ以前は難しい事など考えず、ユウキと共に走り回った。そんな彼女にとって、巫女としての生活はかなり精神負荷が大きい。
遊びたい。
走りたい。
笑いたい。
泣きたい。
そんな己の心を全て抑圧し、ただ占いの結果を言葉として放つ。では、クライヤマで生まれ育ったリオという少女はどこへ消えたのか。自分は何者なのか。時折それが分からなくなる彼女は、しかし、ユウキの来訪によって自我を取り戻すことが出来た。
「私も……会えて嬉しいよ、ユウキ」
「リオ……」
ユウキの心臓が高鳴る。これは巫女のお告げではなく、ただのリオが放った台詞だ。
「……ねぇ、リオ」
「なに?」
少年は決意をした。どうせ緊張しているのなら、これに乗じて伝えてしまおうと。数年間一人で抱え続けたリオに対する恋慕を、ここで暴露してしまおうと。
「リオ、ぼ……僕は──」
しかし、非情にもそれはまた妨げられる。
「こら、ユウキ!」
「うわっ、父さん?!」
「お前はまた! 申し訳ございません、巫女様。すぐにつまみ出しますので、ご容赦ください」
「い、いえ私は──」
「ほら、帰って仕事を手伝え」
想いを伝えられないまま父親の脇に抱かれ、少年は社から離れていく。
「あ──」
自身の方へ掌を向ける少年に、リオもまた別れを惜しんで手を伸ばす。無論届かず、右拳を胸に当てて俯く。
──また明日も、会いたいな
しかし、それを口にする事は許されない。受け継いだ巫女という役職があるからだ。自分の想い一つ、言葉一つでクライヤマは天国にも地獄にもなる。そんな重い責任が、彼女をがんじがらめにしていた。
「……あれ?」
ふと空に目をやると、青の中に黒に近い灰色が流れてきていた。
「おかしいな……今日はずっと、晴れるはずだったのに」
占いの結果と異なる出来事に困惑しつつも、集落の人々に雨が降ることを伝えに出た。誰か一人に話せば内容はすぐに拡散される。
「ユウキ……」
とうとう降り始めた大粒の雫から逃げる様に社の中へ駆け込み、戸を閉める。雨音がざんざざんざと喧しく喚くが、この轟音はリオにとって好都合であった。
「……なんで、会っちゃいけないの?」
己の心を大声で吐露しても、誰にも聞こえない為だ。
「なんで引き離すの?」
雫を受けて濡れた掛襟など気に留めずに叫ぶ。
「一緒に居たいのに!」
社の角に膝を立てて座ると、襦袢まで染みているのを発見した。
「寂しいよ……会いたいよ……」
稲光が一つ。
「ユウキ……っ!」
リオが想い人の名を言うと同時に、外で雷鳴が轟いた。己の恋慕を告げられず苦しむユウキだが、それを抱いているのは彼だけではなかった。豪勇さの不足ではない。日の巫女という大役に課された責務が、恒久的に彼女を責め苛むのだ。
「………………」
やがて掛襟も襦袢も乾ききった。
しかし、この雨が止む気配を見せることは無かった。




