8-9.日没の訪れ
狂ったように高笑いを続けたセレーネは、息をきらしながらユウキの方へ歩む。
彼女が生成する武器は、剣などの知性的な物から野性的な爪になった。
「あははははは! ほ〜ら、斬り裂いてあげるから大人しくしろ! ぎゃははははは!」
「セレーネ、止まれ! 落ち着くんだ!」
その爪を振り回して無鉄砲に突進する姿は、月の巫女という高尚なものではなかった。
──これじゃ、まるでバケモノだ
左右の突きを躱しながら、反撃の機会を窺うユウキ。しかし、もはや思慮無しに繰り出される攻撃には逆に隙が無く、ただ攻撃を食らわないよう振る舞う事しか出来ずにいた。
「ほ〜ら、ほらほら! 死ね、死ね!」
「──っ!」
引っ掻きが彼の頬を僅かに掠めた。攻撃のスピードが次第に上昇している。暴走しながらも、月の力が彼女の身体に馴染み始めているのだ。
──このままじゃ、押し切られる!
ユウキは自身の必勝パターンに持ち込む事にした。セレーネが本能に支配されている今なら通じるだろうと考えての事だ。
「終われ! 終われ! 邪神の遣いめ!」
右手、左手、また右手。そうやってユウキの胸を標的にした突きを繰り返す。少年はそれを後方への回避で躱し続け、距離を作った。
「──サン・プロミネンス!」
日輪のオーラをセレーネに向けて放つ。既に次の突きを始めていたセレーネは勢い付いており、回避できる状態ではない。
「ごめんよ、セレーネ。本当は君を救い──?!」
慈悲の言葉をかけていたユウキに対して、セレーネは彼の攻撃を無視して突っ込んだ。全身を強烈なオーラで包み、プロミネンスをかき消しながら進んだのである。
「ナ〜ニか言った〜?!」
このままでは突きを食らってしまう。ユウキは後ろに下がりながら、セレーネと自身の間に無数のバリアを作った。彼女はそれをバリバリと割りながら、次第に勢いを落とす。
──サン・プロミネンス!
──やっぱりダメか
そこへもう一度オーラを飛ばすが、やはりセレーネのオーラと相殺して無へ帰す。
「ううっ?! だ、黙って、私に従え!」
次の策を考えながらセレーネと睨み合っていた少年は、彼女が時折苦悶するのを見た。
その度に、彼女の意思とは無関係に身体の一部分からオーラが溢れる。
──力を抑えられずに、苦しんでるんだ
──今のセレーネは……
ジュアンがそうであったように、許容を超えた力により侵食されようとしている。
セレーネはそれを強靭な精神力で以て抑制しているだけであり、身体は既に悲鳴を上げているのだということは自明であった。
「うふふふふ、あはははははは!」
オーラの漏出を押さえ込んだかと思うと、セレーネは突然笑いだした。
そのまま壁に向かって跳躍し、蛙の様に引っ付く。手足を巧みに動かし、壁や天井を這ってユウキへ迫る。
「ほらほら、どうしたの?! 私を止めるんじゃなかったのかな〜?!」
セレーネによる、人と言うよりも動物に近い奇想天外な連撃を受け、少年はまた防戦一方になる。
──くっ! 速くて重い!
自制の効かなくなりつつあるセレーネの攻撃は、彼女自身の身体の事など考えていない。
肉体的な限界など無いものとしているのだ。故に、攻撃のスピードや角度、力加減などはそれまでとは比にならないほど予測が困難であった。
「さっさと死んでくれない? 執拗いと嫌われるよ!」
息切れとオーラ漏れに苦しみながら、セレーネはユウキに言った。太陽の少年もまた、猛攻を防ぎ続けて大きく消耗している。
「セレーネ……取り込まれる前に、石を吐き出した方が良いんじゃないかな。もう、見てられないよ」
その瞬間も、セレーネの口から月輪のオーラが煙のように出ている。彼女の呼吸に合わせて強弱を繰り返す。可憐な少女は、月の獣に成り果てようとしていた。
「うるさい、これは私の力だ! 全部私のものなんだ! あはははは!」
情緒までもが侵食を受け、セレーネは笑ったり怒ったりを繰り返す。そんな状況のまま、セレーネは攻撃に転じた。
「……分かったよ。君がそうまでして悪に徹しようと言うのなら、僕はもう躊躇わない!」
そう決心し、セレーネの攻撃を弾き返した。迷いを破棄し、反撃を織り交ぜて対処にあたる。
しかしその意思は討伐ではなく、太古の時代より続く苦しみから彼女を救おうというものであった。力の放棄が不可能なのであれば、救う方法は一つしかないのだ。
「ぎゃはははは! ザ〜コ、ザ〜コ!」
それでも、セレーネの力は強大であった。数多の攻撃を観察しても隙やクセは見られず、セレーネは無作為に爪を振り回す。
「ほら、早く止めてみなよ! ぎゃはははは!」
「そうさせてもらう! サン・フレア!!」
ユウキを中心に、日輪の力が爆発を起こす。巫女の間全体が震えるほどの衝撃であるが、セレーネは構わず突進した。
オーラを纏ったりバリアを張ったりなどの対策をしつつ、爆風の中を進む。だが防御は叶わず、彼女の力は打ち消され、身体は融解と再生を繰り返した。
「効かないよバ〜カ!」
「そうだろうと思ってたよ!」
彼女の猪突猛進は、ユウキの想定内であった。少年は今のセレーネならそう動くだろうと考え、爆風の向こう側でオーラの手刀を創って待機していたのである。
「ぐっ! ウザい! 私の綺麗な肌を傷付けるなんて!」
ユウキの手刀は、セレーネの左胸から右脇腹にかけて傷を付けた。だが、その傷は一秒も経たないうちに塞がり、元の白い肌へと戻る。
「ぎゃはははは!」
セレーネは狂気的に笑いながら、ユウキの両手を自身の両手で掴んだ。両者とも力が打ち消されるのを感じる。だが、今のセレーネの力は圧倒的であるため軍配は彼女に上がるだろう。
「ほらほら、ごっつんこ〜! あはははは!」
「──なっ?!」
幼稚な台詞を吐き、セレーネはユウキの顔面に自身の額を叩きつけた。ユウキは思わず手を離して数歩下がる。顔面への衝撃は、少年の視界をボヤけさせた。
「死んじゃえええええええ!」
「─────っ!!」
グチャという惨い音が鳴った。それまで騒々しかった巫女の間は、一瞬にして静寂に包まれる。
「ふふふ。死んだね、お前」
「…………?」
セレーネが何を言っているか分からなかったユウキだが、ジワジワと温かくなる自分の胸を見て現実に気付いた。
──刺さ……れてる…………?
実感すると、次第に痛みが湧いてきた。足から力が抜け、視界はグルグルと回り出す。
「バイバ〜イ!」
「うがぁ?!」
セレーネは不敵に笑いながら、ユウキの胸に刺さっている爪を勢いよく抜いた。瞬間、少年から更に血が溢れ出す。
彼は堪らずその場に倒れ、笑いながら四つん這いで覗き込んでくるセレーネの顔を見た。
──ぼ、僕……は…………
やがて瞼は落ち、彼の目には何も映らなくなった。