6-13.堕落の象徴
月の騎士ジュアンを取り逃したユウキらは、ヴェルクリシェス国へと帰還。守護者との戦いの結果が腑に落ちず、暗い顔のままとぼとぼと歩いていた。
「あっ! お帰り、ユウキ様!」
そんな彼らを、相も変わらず元気なピュラーが門の前で迎える。自分たちの気分とあまりにも真逆なその姿を見て、少年は気分を沈めていることがバカバカしくなった。
「うん、ただいま」
「その他もちゃんと頑張った?」
少年の周りを跳ね回りながら、旅のメンバーに問う。出会った時からそうだが、ユウキ以外をその他と称する彼女に悪意は無い。極めて純粋に、欲のまま、思うがままに言葉を放っているのだ。
「ねえアインズ殿。あの子、そろそろ斬っちゃおう」
「……………………そうね」
だがそれは、時として最も巨大で最高峰の悪になりえるものである。
──ヴェルクリシェス国、長老の間
鎖の守護者クタベというバケモノを撃退した事と、ヴェルクリシェス近郊の鎖が崩壊した事を、ユウキの口から長老へ報告。
「本当だ、鎖が無くなっている……!」
話を聞いた人らは窓から外を眺め、歓喜の声を上げた。
「確かに鎖は無くなりましたが……今回は、僕が斬ったわけじゃないんです」
「なんですと?」
日輪の戦士が駆る日長石の力以外に、鎖を破壊する方法があるのか。それを成したのは何者だと、長老らはそんな疑問を帯びた顔でユウキに視線を向けた。
「先程話したジュアンです。奴が現れて、鎖の核として使われていた月長石を回収して行きました。目的は分かりませんが……」
「月長石を? セレーネめ、何を企んでいるのだ……」
月の二人が何の目的で動いているのか判断できず、その場の者たちはただ呻くばかりである。
「いやしかし、今日のところは、かのバケモノと戦って生還なさった事を祝させて頂きたい」
「いえ、お構いなく」
形式ばった言葉を返すユウキだが、既に日は落ち始めている。出来ることなら、厚意に甘えてヴェルクリシェスで一晩明かしたいというのが本音であった。
「ねえねえ、泊まっていってよユウキ様!」
「えっと……」
どうしようかと、ユウキはアインズと目配せをする。
「そうね。今から出ても、すぐに馬車を停めなきゃいけないだろうし。お言葉に甘えさせて頂きましょうか」
そう聞いた長老は数回頷き、付き人の男に部屋の準備をさせた。
「そうだ、ちょーろー」
「なんだい?」
ピュラーは何やら嬉しそうに、長老を呼ぶ。赤い髪をヒラりと翻しながら、彼の耳元に寄った。
「そうだな、それがいい。では、お前が案内してあげなさい」
「うん!」
やがて話を終えると、彼女は少年らの方へ向き直った。姿勢よく立ち、腹の前で左右の手を重ねている。目をつぶって一度深呼吸をした。
「これからユウキ様を、我々のルーツである月の神殿にご案内します」
おてんばなピュラーとは思えない、落ち着いた表情と声であった。だが、数秒後には再び元の彼女に戻る。
「さ、着いてきて!」
「うわ、ちょっと!」
楽しげに小さく跳ねながら、ユウキの腕を引く。疲労が残り、また身体に痛みが走るのではないかという心配を残すユウキ。節々の感覚を気にしながら、彼女に引かれるがまま進んで家の外へ出た。
陽が落ち始めたヴェルクリシェス国を進む。長老の家のすぐ背後にあるかと思われた真っ白な神殿は、見た目よりも奥にあった。
「あれ、綺麗な花だね」
何軒かの家が建ち並ぶ中に、ユウキは小さな花畑を発見した。淡黄色の花弁が五枚で一輪の花を成し、茎の先に二輪ずつ咲いている。
「この辺りでよく咲いてる、月下香っていうお花だよ。ユウキ様が居たクライヤマでは咲いてなかった?」
「月下香? 聞いたことないや」
花畑に近付くにつれて、甘く神秘的な香りがユウキらを刺激した。思わず吸い寄せられるように近付く少年だったが、「待って」というピュラーの言葉を聞いて途中で思いとどまった。
「月下香はね、夜になるとこの匂いを放つんだよ。あまりにも甘いから、ヴェルクリシェスでは堕落の象徴とされてるんだ」
「堕落?」
ピュラーが語った内容に、少年は違和感を覚えた。月下香が堕落の象徴であるといのは、ヴェルクリシェスに住む民の共通認識であるようだ。
「じゃあ、どうして咲かせてあるの?」
そのような不謹慎なものであるなら、刈り取ってしまえば良いではないかと、ユウキはそう考えたのだ。そんな彼の言葉を、ピュラーは首を横に振って否定した。
「一種の戒めみたいなものだよ。堕落は、誰の心にも潜んでる。私やちょーろー、ユウキ様にだって。それに……」
少し声を詰まらせるが、少女は咳払いをしてまた口を開く。
「巫女にも、ね」
クライヤマで起きた出来事は、一体何だったのだろうかとユウキは考えた。日の巫女であるリオが堕落したから惨事が起きたのか。民の信仰心が堕落したが故に起きたのか。
ふと、少年の脳裏にジュアンを名乗る者の言葉が蘇る。
──言ったろ?
──ボクとお前は同じだって
「同じ、か」
神殿に近付くほど、道は荒れていく。踏み固められていない土が、歩く者の足をとった。草は好き勝手に茂り、虫共は自由に跳ね回る。ポリアと桜華は、それらに逐一大袈裟な反応を示した。
「さあ着いた。ここが、月の神殿だよ」
遠くからでも見えるだけあって、その存在感は凄まじい。鎖の守護者たちと戦った場所を、そっくりそのまま現世に持ってきた風な様相である。
内部に届く光が少なく、廊下は薄暗い。ピュラーが持っている松明の灯りを頼りに、奥へ奥へと進む。大きさのわりに何も無く、ただ無の部屋が並ぶのみである。
「あそこだけ、木の扉があるね」
進行方向の先に、朽ちて崩れた扉があった。風化したのか、木材の中身はほとんど空洞で、タヂカラでなくとも容易に破壊できるだろう。
「この奥が巫女の間だよ。大昔、ここに月の巫女様が居て、占いをしたり、みんなの相談を聞いたりしてたんだって」
「へえ、ここで……。広いな」
日の巫女の社を思い出し、ユウキはその差に唖然とした。
──それに、みんなとの距離が遠い
──ここからじゃ声も聞こえないだろうな
月の巫女は、日の巫女よりも孤独感が強かっただろう。クライヤマはヴェルクリシェスほど広い集落ではなかったが、その事がむしろ良い点だったのかもしれない。そう考えながら部屋を見渡したユウキは、奥に大きな椅子を発見。
「月の巫女様が座っていた玉座だよ」
──これも、クライヤマとは違うな
少年の故郷では、巫女は「象徴」として存在した。対してここでは、巫女が「偉い者」として崇め奉られていた。信仰と服従という、似て非なるものを感じさせたのである。
「ユウキ様」
「うん?」
「太陽の力、私も見てみたい」
「え? うん、いいけど」
目を輝かせるピュラーに押され、少年は剣を抜いた。心を落ち着かせて祈り、手に力を込める。
「サン・フラメン!」
すると日長石の首飾りが輝き、刃が炎を帯びた。暗い室内は、ピュラーの松明が存在した事を忘れさせるほど明るくなった。同時に、温かさがその場にいた人間を包み込む。
「これが、太陽の力……か、かっこいい……!」
初めてその身で温かさを受けた少女は、予想を遥かに超えた神々しさに涙さえ流した。
「な、なにも泣くこと──」
「ユウキ様!」
「はい?!」
すぐに泣きやんで目を拭ったピュラーは、初めに出会った時と同じ顔で少年を見つめていた。不穏なものを感じたユウキは、剣をしまって後ずさる。
「日輪の戦士様! 今度こそ本当に、私と結婚してください!」
「だ、だから! 僕にはリオという人が!!」
ピュラーは唇を尖らせ、逃げるユウキを追い回した。広い広い巫女の間を縦横無尽に走る。
「うわっ! 強い! 力が強い!」
「お願い、副妻でもいいから!」
「ちょ、誰か助けて!」
アインズらはその様子を、微笑みながら見ていた。