6-6.月長石の力
セレーネとジュアンがルナリーゼンの人々を騙す形で密会をするようになって、約半年が経過した。
彼女の寂しさはすっかり解消し、月の巫女という退屈な役をこなす事も、以前より幾分か苦ではなくなり始めていた。
「ふふっ。今日は貢ぎ物の日だから、日中もあの子に会えるよね。楽しみ〜」
ジュアンとの顔合わせが、彼女の生きる糧となっていたのである。しかし──
「巫女様、巫女様。貢ぎ物をお持ちいたしました」
──あれ?
貢ぎ物を持ってきたと言うその声は、どう聞いてもジュアンのものではなかった。少し年老いた男の掠れた声であり、セレーネは怪訝そうに眉をしかめる。
「どうぞ〜」
木製の扉を開けて入ってきたのは、声のイメージから逸脱しない中年の男である。果実で一杯の籠を持ち、巫女の間に入った。
「ありがと。ねえ、ジュ──いつもの子は?」
「倅は体調を崩しておりまして、体に力が入らないようでございます」
重い籠を持つことが出来ないため、父親が代わりに運んで来たのだ。
「そうなんだ……。ねえ、お家に案内してくれる? 快復をお祈りするから」
「かしこまりました。お手を煩わせてしまい申し訳ございません」
玉座から降り、セレーネは男の背中を追って神殿を後にした。
──大丈夫だよね、ジュアン
その心は、大きな不安に支配されていた。
神殿から十分ほど進んだところに、ジュアンの住む家がある。導かれるがままセレーネは中へと入り、藁や稲を編んだゴザに寝転がるジュアンの元へ。
「み、巫女様……貢ぎ物を持っていけず、申し訳……ございません……」
彼が絞り出す声は非常に弱々しい。二人は昨晩も密会をしていたが、その時とはまるで比にならないほど衰弱していた。
「いいの、気にしないでゆっくり休んで」
セレーネはそう慰めながら、少年のすぐ隣に正座した。彼の両親は、心配そうに二人の様子を眺めている。
──ちょっと邪魔かも
やりにくさを感じたセレーネは内心で毒を吐いた。神妙な顔を作り、二人へ向かって言う。
「祈りの儀式をするので、御二方は屋外へお願いします」
何も知らぬ彼らは、巫女がそう言うならばと頷き、指示に従った。出て行ったのを確認した後、セレーネはジュアンの耳元で囁いた。
「心配で来ちゃった」
「ありがとう、セレーネ……」
「どこか痛い?」
「ううん……体が熱くて、力が入らないだけだよ」
今のジュアンにとっては、声を出すことも大変な行為であった。しかし、見舞いに来たセレーネをこれ以上心配させないよう、必死に喉を震わせていたのである。
「ちょ〜っとだけ待っててね。月にお祈りするから」
少年の耳元から離れ、セレーネは目を瞑り合掌。月長石の首飾りを通じて、月に祈りを捧げる。
──月輪よ。我らが大いなる月輪よ
──病に侵された少年に救いを垂れ給え
──尊き命を救い給え
大きく深呼吸をし、彼女は目を開けた。少年はなおも苦しそうにしている。
「今、お月様にお願いしたから。だんだん良くなってくと思うよ」
セレーネはまたジュアンの耳元に顔を近づける。少年の拍動が病とは無関係に早くなった。
「今夜は無理して神殿に来なくても良いからね。ゆっくり休んで、元気になったら、またい〜っぱい遊ぼ?」
「……うん。本当にありがとう、セレーネ」
返事を聞き、セレーネは微笑みながら姿勢を戻す。安心してねという意図を込め、ジュアンの手を強く握った。
──本当は、ずっと隣に居てあげたいけど
──やっぱり、ウザい役割だなぁ
静かに立ち上がり、彼の両親に祈祷は終わったと告げる。しばらく安静させるよう伝え、彼女は重い足取りで神殿に戻った。
それから三週間程が経過した。月に祈り続けているのにも拘わらず、ジュアンは一向に良くならない。むしろ悪化していて、どんどん衰弱していっている。
「ジュアン、気分はどう?」
「……セ、セレーネ? どこに居るの?」
──目が見えてない?
──瞳は綺麗だけど……
少年を蝕む不気味な症状に身震いしながら、セレーネはジュアンの顔を真上から覗いた。
「あ、居た」
「ふふっ。ちゃんとジュアンのそばに居るよ」
視力はあるが、視野が極端に狭まってるのだろうとセレーネは考えた。
「今日も、お祈りするからね」
目を瞑って合掌し、彼女は今までよりも強く長く祈った──否。もはや祈りではなく、セレーネ個人としての懇願に等しかった。
それでも、ジュアンは一向に回復しない。少女はその事に腹を立て、巫女の間で癇癪を起こしていた。
「なんでよ! なんでジュアンを治してくれないの?! 月の加護ってのがあるんでしょ?! ねえ、何とか答えろよ!」
首飾りを強く握り、石に向かって怒鳴った。いくら祈祷しようと、薬草を煎じて飲ませようと、少年は弱る一方であった。
恐怖と不安と怒りが混ざり合い、彼女の内心は混沌と化した。
「……もう、いい」
しかし、今度は至って静かに呟く。
「救ってくれないなら、私はもう祈らない」
首飾りの紐の部分を左手で掴み、もう一方の手で月長石を握った。怒りをぶつけるかのように強く引っ張り、石を外す。
「寄越せ。月の加護とか言う力を、私に全部寄越せ!」
そして、取り外した月長石を口に含み──
「うっ?! うわああああああっ!」
異物の侵入に苦しみながら、セレーネはそれを丸呑みにした。石床に横たわり、胸を押えながら暴れる。口の中や喉の奥に切り傷が出来るも、その痛みでは彼女を静止するには役不足であった。
「はあ……はあ……はあ……」
苦痛のピークを超えて落ち着いたセレーネは、己の内から沸き起こる力の存在に気付いた。
それを絞り出すイメージで右手に力を込めると、濃い紫を基調とする中に無数の輝きを包有するオーラが、彼女の掌に現れた。夜空を凝縮したかのようなそれは、月の力であると主張するようであった。
「やった、手に入れた……! 私は、月の加護を支配した! これで、これでジュアンを治せる!」
力を手に入れた喜びに打ち震えながら、セレーネは扉を閉め忘れるほど大急ぎでジュアンの家へ向かった。夜道は暗いが、彼女は止まらない。
やがて、もう目的地へ到着しようという頃、進行方向に二つの灯りを見た。近付くと、その顔は最近よく合わせたものであった。
「み、巫女、様……?!」
目を真っ赤にしたジュアンの両親は、力無くセレーネとすれ違ったことに驚いた。セレーネもまた、このような時間に何事だと驚く。
「どうしたの?」
「巫女様……息子が、ジュアンが」
震えた声で、少年の父は続ける。
「──死にました」
「………………え?」
彼の口から彼女に告げられたのは、無惨にも、愛おしき少年の訃報であった。