6-5.天ノ恋慕
それからしばらく、二人は巫女の間で和気藹々と会話をした。石材の神殿で一人佇む事に飽き飽きしていたセレーネは、その時間をかけがえ無いものであると感じていた。
少年はこの時を楽しみながらも、気が気でなかった。セレーネに対する気持ちが、信仰心から全くの別物に変わっていたからだ。神殿を訪れる目的が、貢ぎ物の運搬から顔を合わせる事に変わっていたからだ。ルナリーゼンで唯一、自分だけがセレーネと特別な会合を開いている事実に背徳感を抱いているからだ。
「あ、ジュアン! 誰か来るよ!」
セレーネはふと、誰かが近付く気配を感じた。ジュアンと特別仲良くしている所を、他の民に見られる訳にはいかない。
「えっ、どうしよう……!」
「椅子の後ろ、早く早く」
「うん!」
大急ぎで少年を隠し、セレーネは椅子に座して月の巫女を演じた。
「巫女様、失礼します」
「ど〜ぞ〜」
呼び掛けに返事をすると、一人の男が巫女の間に足を踏み入れた。
「すみません、ジュアンは来ませんでしたか?」
「ジュアン? えっとね……」
いきなり痛いところを突かれた彼女は、少し言葉をつまらせた。
「さっき来たよ。ほら、その籠」
回収し損ねた果物入りの籠を指さし、言い逃れに利用する。
「ちょっと前に出ていったけど、すれ違わなかった?」
「ええ。まだ戻っていないので、こちらで巫女様の邪魔をしているのではないかと思ったのです」
「そうなんだ。心配だね」
そう白々しく言い、セレーネは目を瞑って合唱。ジュアンを探すために占うフリをしたのだ。
「……ま、少なくとも神殿には居ないよ」
「かしこまりました。お手を煩わせてしまい申し訳ございません」
そう謝罪を口にして一礼し、男は部屋を後にした。木の扉が軋む音と共に閉まり、ペタペタと足音が遠ざかっていく。やがてしんと静まり、ジュアン以外の気配は感じなくなった。
「ふふっ、危なかった」
「うん……あはは。おじさん、騙しちゃったね」
「いいじゃん。私たちの時間は、誰にも邪魔させないよ」
「セレーネ……」
ジュアンの目を真っ直ぐに見て、妖艶な笑みを浮かべるセレーネ。
「こんなコソコソしないで、もっと堂々と遊べたら良いのにね?」
妖艶で可憐で悩ましげ。いくつもの成分を同時に持ったセレーネの姿に、少年はますます惹かれていくのであった。
二年後。相変わらず嫌だ嫌だと言いながら、セレーネはなおも月の巫女を演じ続けている。
「巫女様、巫女様。貢ぎ物を持って参りました」
あまりに退屈で項垂れていたセレーネは、ジュアンの声を聞いて気分が一転した。
「いいよ、入っておいで」
ギィと音を立てて扉が開く。恐るべきバランス感覚でもって山盛りの貢ぎ物を運び込む少年。セレーネは急いで彼の方へ向かい、支えるのを手伝った。
「ありがとう、セレーネ」
「ううん、こっちこそありがと。はい、一緒に食べよ?」
山の頂点付近にあった果物を手に取り、二等分してジュアンに渡した。少年はそれを受け取り、玉座の方面へと進む。
だらしなく床に座るセレーネのすぐ近くに、彼も座った。割った果実を食べながら、たわいもない話に花を咲かせる。そんな中、セレーネはここ数日考えていた作戦をジュアンに告げる。
「コソコソ話すのも疲れちゃったでしょ?」
「……ちょっと、大変だよね。貢ぎ物がある時じゃないと来られないし」
うんうんと頷き、少女は続ける。
「だったらさ、夜中に会わない?」
「え?」
「みんなが寝静まったあと、こっそり抜けておいでよ。そうしたら、もっと堂々とたくさん遊べるじゃん」
ルナリーゼンの住民は、ジュアンがセレーネと個人的に繋がることを許さないだろう。ならば、目を盗んで会ってやろうと。
発覚すれば叱られるのなら、逆に、バレなければ叱られない。二人きりの時間を楽しむという、正の部分だけを享受できる最高の手段である。
その夜。ジュアンはセレーネに言われた通り、夜中に家から忍び出た。昼間は荷台が盛んに行き来する往来も、今はまれに夜行性の動物が通るのみ。小さな灯りを右手に、花束を左手に持って巫女の座する神殿を目指した。
「巫女様、巫女様。ジュアンです。お言葉を賜りに参りました」
少年がそう言うと、冷えた石材が声を反射してセレーネに届けた。
「いいよ、おいで」
毎度のように軋む扉を開け、ジュアンは巫女の間に入った。玉座の周囲だけ灯りが設置されており、彼女の意図を察した少年はそこへ向かって歩いた。
自身の持ってきた灯りを置く。次に、左手で持っていた花束を両手に持ち直し、セレーネに向かった。
「それは?」
「えっと……なんとなく、セレーネにプレゼントしようと思って」
彼が手に持つそれは、長く伸びた茎の先に黄白色の花を二輪咲かせ、甘い香りを強く放っている。
「月下香っていう花だよ。ボクの家の裏に咲いていたんだ」
花の説明をし、ジュアンはセレーネに月下香の束を差し出した。丁寧に刈った五本程度の束である。
「ありがとう、ジュアン。大切にするね」
彼女はそれを笑顔で受け取り、空になった飲水用の瓶に挿した。すぐに枯れてしまわぬよう、少し水を追加する。
「さ、ジュアン。何して遊ぼっか」
「そうだなぁ……この状況なら何でもし放題だよね」
走り回ろうが、大笑いしようが、何をしていようが二人を妨げるものは存在しないのだ。彼らは迷った挙句、いつもの様なお喋りから事を始めるのであった。
かなりの長時間にわたって密会を楽しんだ二人は、今日のところは解散することにした。両者とも、もうじき不意に眠ってしまいそうであった。セレーネは良いが、ジュアンが巫女の間で寝ているという事態は不自然極まりない。
「じゃあ、またね」
「うん。次の貢ぎ物は明後日だよ」
「えぇ、一日寂しいじゃん。次の夜も遊びに来ちゃう? って言うか、来て欲しいな〜」
この日は熱帯夜であった。汗が一雫滴るのを感じたセレーネは、羽衣の襟を掴んでパタパタと扇いだ。
「本当? じゃあ、明日も来るよ」
「やった。また、いっぱい遊ぼうね」
少年はうんと返事をし、手を振りながら巫女の間を後にした。
彼を見送り、セレーネは玉座へ。日中あまり会えない事を寂しく感じるセレーネだが、夜になれば必ず会えると思うと幸福であった。
「ああ、ジュアン。ジュアン、ふふっ」
初めは、ただからかって反応を楽しんでいるだけだった。少年がセレーネに対して抱いている感情に気付いていたからこそ、彼女はそれを面白がったのだ。
「ありがとう、ジュアン」
誰の耳にも届かない独り言は、夜空へと消える。
「寂しさから救ってくれて、ありがとう」
いつの日かセレーネは、からかう以外の目的で少年と顔を合わせたくなっていた。巫女としての不自由な生活の中に、救いが見えたようだった。
──また会いたい
──たくさん話して、たくさん遊びたい
その気持ちが何なのか、今晩の密会で彼女は理解した。
「ああ、そっか。そうなんだ。これが──」
セレーネは、恋に落ちたのだ。