5-19.恩人に感謝を
──ブライトヒル王国城、一室
医務室から駆け出したユウキは、いつもの部屋に戻り、一人で項垂れていた。頽れながらも、必死にアインズの言葉の意味を考える。
──僕の命は、他の誰の命よりも重い?
──僕なんかが、ツヴァイさんより大切?
「分かんない、分かんないよ……」
なおも理解できず、頭を抱えた。そんな折、戸を叩くノックの音が聞こえた。
「久しぶりだな、少年。メーデンだ」
「メーデンさん……お久しぶりです」
来客にもかかわらず、少年の声には気力が籠っていない。
「全て、聞かせてもらった」
「……」
「あまり気を落とすな。騎士の世界ではよくあることだ。ツヴァイだけが、特別な訳じゃない」
「僕は騎士じゃありません。ただの、何も出来ない無能です」
扉一枚を挟んだ状態で、会話が進められていく。失礼な話し方だと分かっている少年だが、今の顔を他人に見せるのは、もっと失礼だと感じていた。
「何も出来ないことなどないさ。君は、しっかりと目的を持って行動し、立派に戦っている」
ただ国をまわっているだけではない。鎖を壊す。リオの潔白を示す。そんな目標を掲げ、ユウキは旅をしているのだ。
「僕なんて、みんなに……アインズさんに助けられてばかりで。僕にしかできないことなんて何一つ──」
「旅の仲間から聞いたぞ。鎖の破壊は、君の力無しでは成せないことだとな」
「それだけなんです。僕の価値なんて、その程度なんですよ。リオから貰った石がないと何も出来ないし、戦う技術を持ってる訳でもない」
少年は、メーデンが思ったよりも深く落ち込んでいた。ツヴァイという存在が、ユウキにとってどれほど特別な存在だったか、メーデンは察する。
「要するに、ただの役割って事ですよね? 世界の誰にとっても、僕はそれだけの人間で、価値なんかない。この事件が片付けば、まったく不要な存在じゃないですか」
「確かに、人には役割がある。私には王に遣えるという役割が。アインズやツヴァイには、隊長という役割がある。しかしそれは、騎士団に所属した事で与えられたモノだ。私もそうだが、自ら選択したのではない。むしろ選択されてそこに立っている」
少年に数秒の考える時間を与えた後、メーデンはさらに続ける。
「だが、君はどうだ?」
「僕は……リオから首飾りを貰った。同じく、選ばれただけです」
「いいや、違うな。君は確かに日長石を託されたのだろう。しかし、ただそれだけだ。力の使い方までは、決められていなかったのではないか?」
あの日の光景が、またしてもユウキの脳内に蘇った。
籠に無理やり押し込まれたリオは、運ばれるがまま集落から岩戸へ向かって移動。男たちの進路に割り込むユウキに気付いた彼女は、朦朧とする意識の中で、首飾りをすれ違いざまにそっと落とした。
メーデンの言う通り、「力をこう使え」と言う指示は無かった。
「バケモノと戦う。鎖を破壊する。その役割は誰かに与えられたものじゃない。ここで目を覚ましたあの日、君が自ら選択したものだ。違うか?」
「僕が、選んだ……。だとしても、それは僕の独りよがりです。自分のせいで彼を亡くした事を割り切る理由には──」
「少年。少し手厳しい事を言うが……ツヴァイの事に関しては、あまり増長しないでもらおう。彼は、我がブライトヒル王国騎士団の隊長を務める男だ。人ひとりを背負ったくらいで潰れるような、ぬるい人間ではない」
そう語るメーデンの声は、幾分か語気が強い。少年は、いかにツヴァイが信頼されていたかを思い知った。
「すみ、ません……」
「……話が逸れたが、君にはもっと、自分で選択した事を誇りに思って欲しい」
「誇りなんて……世界から見れば、クライヤマから出てきた僕はバケモノと同じく恐怖の対象です。そんなのが一人出しゃばったとて、誰に感謝されるわけでもありませんし」
そもそも、ユウキが鎖を壊す旅に出たのは、クライヤマ出身である自分の保身をする為ではない。
「それに、僕はリオが悪く言われなければ良いなと思ってやってるだけですから、自己満足なんです。やっぱり誰かに感謝されることなんて……」
「おや、アインズからは何も聞いていないのか?」
悲観していた少年の言葉を、不思議そうな声色のメーデンが遮った。
「……え?」
「彼女は昔から優秀な騎士だ。しかし、どこか迷いを感じているようだった。それが、つい最近変わった。君が光を放ったあの日からだ。温かさを感じて、救われたのだと言っていた。君に感謝しているのだと、出発の朝、晴れた顔で語っていたぞ」
「アインズさんが……?」
アインズは、少年に対してその様な素振りは一度も見せなかった。想像だにしなかった事を聞かされ、ユウキは単純に驚いた。
「少なくとも、君の選択によって救われた人間が、一人は存在する。素晴らしいじゃないか。騎士として、私も見習いたいくらいだ」
鎖の破壊は想い人の為。そんな個人的な理由で、ユウキは旅に出た。なのに、どうして仲間たちは自分を助けてくれるのだろうか、と。
「僕は……」
ポリアの夢を実現した。
桜華が自分の意思でやりたい事を見つける手助けをした。
タヂカラが一度手放した責任を、再びその手に取る勇気を与えた。
だが、アインズは? 彼女には、自分は何も出来ていない。むしろ助けられた事ばかり。少年はずっと、そう思っていた。
「僕は、選ばれても良い人間……なのでしょうか……?」
「当然だ。自分の役割を自分で選び、何人もの人間を救っているのだ。そんな尊い君が、命の選択肢から除外されるハズが無かろう?」
──僕は、誰かの役に立てる
──誰かに、何かをもたらせる
ふと、クライヤマでの暮らしを思い出す。おじさんの薪拾いや、兄貴分の畑の手伝い、おばさんの荷物運びをした時。
『おう、ありがとなユウキ!』
『助かるぜユウキ!』
『あら、ありがとうねユウキ』
そして、編んだ藁の布をリオの元へ持って行った時も。彼女の体調を、本人より気遣った時も。
『……うん、嬉しい』
『ふふふっ、ありがと』
何かをして感謝される。その経験は、昔から幾度となくしていたのだ。喪失にばかり囚われて、自分で自分を卑下し過ぎていた。
そう気付いた少年は、おもむろに立ち上がり、袖で涙を拭ってから部屋の扉を開いた。
「気は晴れたようだな、少年」
「はい。メーデンさん、あり──」
「おっと、その言葉をかけるべき相手は、私ではないぞ?」
「そう……ですね。まずは、救ってくれた恩人に!」
ブライトヒル王国城の廊下を、ユウキは前のめりになって早足で歩む。目指す場所は医務室だ。気持ちが逸った少年は、曲がり角のインコースを足早に通った。
「うわっ! ご、ごめんなさい!」
同じく前のめりになって歩いていた、金髪の騎士と衝突し、尻もちをついた。
「こちらこそ……って、ユウキ君?」
「アインズさん……」
立ち上がり、互いの顔を見合った。改めてそうしていると、両者とも、僅かばかりの気恥しさを感じた。
「えっと、その……」
やがて意を決し、二人はほとんど同時に口を開いた。
「ありがとう、ユウキ君」
「ありがとうございます、アインズさん」
余計な言葉は無い。ただ一言の感謝だ。
ユウキが右手を差し出す。アインズはそれに応じ、自身の右手を出した。
固く強く結ばれたそれらは、二人の内心が現に顕現したものであった。