5-16.救済の温もり
さらにその一年後。到底現実とは思えない緊急事態に際し、騎士団は王国城前に招集された。
「見ての通り、月が落ちるという異常事態が起きている! 現象の中心地は、集落クライヤマだと思われる!」
各隊の隊長が横に並び、彼らを先頭にして隊員が二列で整列している。全騎士の視線が向かう先には少し高い壇があり、その上から国王が言葉を発している。
「先程も伝えたように、我がブライトヒルはこの事態の調査を率先して行う! 第一部隊はクライヤマへ急行! 他の部隊は混乱する国内の治安を維持せよ!」
その様に指示を受け、アインズらは国を出て東へと向かった。
「ここからは、馬じゃ行けないわね。仕方ない、自力で登るわよ」
永らく人が出入りしていないその場所には、舗装された道など無い。木々に紐を括り付け、馬を停める。
「アルニム、後方にも伝達を頼むわ」
「了解」
──さて、いったい何事なのかしら
山に近付くにつれて、景色は暗くなっていった。山の麓まで来た今、近辺はもはや夜と違わない。近くは夜で、遠くは日中。そんな異様な光景を見ながら、第一部隊はクライヤマを目指して荒れる斜面を登っていった。
一時間ほど登った。落ちた月による影は更に濃くなり、同時に圧迫感も増す。
「アインズさん、家が」
「ええ。ここがクライヤマみたいね」
集落に入ると、悲鳴や逃げ惑う声が聞こえ始めた。ただ事ではないと判断し、アインズは部隊に指示を出す。
「各位、散開! 何が起きているのか、数人組で調査して!」
隊員たちが散ったのを確認し、自らも集落の奥へと向かう。そんな彼女の目に、異形の存在が映った。
「な、なにアレ……?」
濃い紫色の体をした、大柄な人型の生物。強固な肉体をしていて、手には刃のように鋭い爪が見られた。そして何より、その存在の足元には、喉元から腹までを引き裂かれた人間の姿があった。
「なんてこと……。生存者を探さないと、これじゃあ全滅よ」
バケモノはアインズの存在に気付き、不気味に呻く。
──ギュルル? グギギガガガ!
「来る?!」
彼女に爪が迫る。咄嗟に剣を抜き、攻撃を受け止めた。想像の何倍も重く、思わず一歩下がった。
「はあああっ!」
敵の足を払い、バランスを崩したところに追撃。体が裂けた程度では死ななかったため、首を落とした。
「こんなのが、世界に飛び出したら──」
人を襲うバケモノを見て、アインズは戦いの構図が変わると考えた。人間同士で殺し合いをするから、困惑する。
──けど、こいつらは違う
この出来事により、闘争は「人間 対 バケモノ」へと変化する。この場合、敵の命に対する慈悲は存在しない。そのおかげで、アインズの自己矛盾が解けた。
──私たちとあのバケモノ共は、等しくない
母の言葉の内、「平等性」の部分が明確に否定されたのである。バケモノは人間の命を奪う存在であるし、人間にとってこの危険生物は滅するべきモノだからだ。
「……っ!」
ふと見た家屋から、鎧の男が飛び出た。彼は一切動かず倒れたままだ。数秒経つと、呻き声と共にバケモノが歩み出た。
「よくも……よくも仲間を!」
残った「尊さ」の部分が膨張し、仲間を殺したバケモノに対して激しい憎しみを抱いた。
彼女の捻れていた価値観は今、「命は尊い」に落ち着いたのである。しかし、それが正しいのか否かは、まだ分からずに居た。
さらに進んだ場所で、岩にもたれかかった少年を遠くから発見した。その子の元へ、バケモノが迫る。大怪我をしている様子は見受けられないが、かと言って生きようという意思も見られない。
──君は、死のうとしてるの?
──そんなの、ダメ!
「ブリッツ・ピアス!」
亜光速で距離を詰め、彼に迫っていたバケモノを突き殺した。
「……え?」
剣を抜き、アインズは少年に声をかける。
「君、無事? ケガは無い?」
「貴女、たちは?」
「うん、気にする余裕があるなら上出来よ。生存者を発見!」
──自ら命を棄てようなんて絶対にダメ
──なぜなら命は尊いものなのだから
クライヤマ唯一の生存者である少年を救出し、第一部隊にその場から撤退するよう命じた。
「僕は……僕はっ!!」
「落ち着くのよ。あそこに居たら、君も奴らに——」
「死なせて、くれよ……。リオの所へ、行かせてくれよっ!!」
「君……」
尊い命を自らうち捨てようとする……そんな摩訶不思議な存在が、アインズはやたらと気になった。
ブライトヒル王国城に連れ帰り、何日も眠る彼を見ながら、アインズは思考に耽っていた。
それから暫く経って、助けた縁から少年の世界行脚に同行する事となったアインズ。
出発の前夜、なかなか眠りに就けず、彼女は風呂で体を温めていた。浴槽の壁面に寄りかかり、右膝を立てて、そこに右肘を乗せる。
「ユウキ君が放った、あの温かさ……」
少年は、日の巫女に執着していた。家族や友人……故郷に居た全ての人間が死んだのにも関わらず、リオの事だけを嘆いたのだ。
不公平な評価を下したユウキが、あの様な温かい心の光を持つ事ができる。
それならば、きっと。
──きっと、私は間違ってない
──命の重みに差を付けることは、悪じゃない
その考え……強盗殺人犯を前にして、アインズが自ら思考した価値観を、言葉に依らず心で肯定された様な感覚を抱いた。
「んん〜!」
湯の中で両脚を伸ばした。掌を外に向けて組んで前へ押し出し、形はそのまま、今度は手相を天井に向けた。
「ふぅ……」
伸びを解くと、体がスッと軽くなった様に感じた。
「ありがとう、ユウキ君」
アインズもまた、ユウキによって心を救われた一人であったのだ。
「何か、お礼をしなくっちゃね」
自分がユウキにしてやれる事は何か。そう考えて出した結論が、彼の旅を徹底的にサポートすることであった。
国王の命令だからではない。個人の気持ちとして、彼が目的を果たすまで手助けをしようと。
そう、アインズは心に誓ったのであった。
───アインズ 過去編 完───