5-2.巫女の選択
それから一週間。占いは地道に不正確になり、今や五度に一度は正しくない答えを導き出す。連続ではずれる事もあり、正誤は無作為である。
──うっ!
──また、なの?
衰弱していく日の巫女の力に対して、この苦痛だけは何も変わらない。何度も何度も、時も場所も弁えずに襲い来る。
それは、ユウキと話せる時でさえ例外ではない。
「リオ、大丈夫?」
「え? う、うん、大丈夫だよ」
「……嘘だ。苦しそうな顔してたよ」
「あはは……バレちゃった?」
普段から堪えようと努めているものの、不意に襲われれば、抗う術は無い。一瞬、苦痛に歪んだ顔をユウキに見られた。
「心配してくれて、ありがとう。このところ雨が多いし、濡れることもあったから……風邪ひいたのかも」
「それじゃあ温かくしなきゃ。ちょっと待ってて」
そうとだけ言い、少年は草むらへと消えた。呼び止める間も無かった。
数分待つと、再び草むらが揺れた。
「ただいま」
「こちらは家じゃないですよ」
「うん、家じゃない。僕は、リオのところに帰ってきたんだ」
「……もう」
「それより、ほら」
小脇に抱えた布を両手で広げる。藁を幾重にも編み込んだものだ。
「ありが──あっ」
手を伸ばして受け取ろうとしたが、ユウキの行動は予想と違った。少年はそれを、彼女の正面から腕を回して肩にかけたのである。
「どう?」
「……うん、嬉しい」
「温かさは……?」
「まぁ、さっきまでよりは」
「そう言うと思って、これも持ってきたよ」
占いよりも確かな精度で、リオの発言を予測した少年。懐から火打ちと打ち金を取り出し、社の焚き火跡に着火。ゆっくりと煙が上がり、次第に炎が大きくなった。
「焚き火を見に誰か来たら、ユウキ、怒られちゃうよ?」
「構うもんか。リオの風邪がこじれるくらいなら、怒られた方が断然良い」
「ふふふっ、ありがと」
火にあたるリオのすぐ左に立ち、少年も暖をとる。次第に身体が温まり、顔まで熱くなる。
「……ねぇ、リオ」
「うん?」
「ふと思ったんだ。皆が寝静まった後なら、堂々と君に会えるなぁって」
「あ……」
「なにも、こんなにビクビクしながら来る事はないんじゃないかな……ってさ」
以前、リオもたどり着いた思考。それをユウキが提案したことで、彼女は少しだけ嬉しいと感じた。自分の想いが一方的でないことを確認できたからだ。
「私は……」
しかしリオは、つい先日に心を決めたばかりである。自分はクライヤマに座する日の巫女なのだと。慕ってくれる人がいる限り、その希望であり続けるのだと。
「私もね、ユウキ。実は同じ事を考えたの」
「え?」
「辛くて辛くて……ユウキに会いたくて。夜中なら、ここで気兼ねなく遊べるんじゃないかな〜って」
「リオ……」
リオの言葉を聞いて、ユウキも同様に安心した。もう何年も抱え続ける恋慕が、一方的ではないと予想できたからである。
「でも、ごめんね。私にはできないや。本心では、やっぱり一緒に居たいよ? こうやってお話したり、二人きりでご飯を食べたり。けど、さ。私は、クライヤマの巫女だから。意図的にみんなを騙すような事は……できないや」
「……そっか。じゃあ、僕はいつも通り忍び込むよ」
「うん。待ってるね、いつでも」
それが、彼女の答えである。己の心を抑え込み、クライヤマに座する日の巫女として生きること。自身の感情に従うよりも、集落の伝統を維持すること。
この自己犠牲こそが、リオの選択した道であった。
かれこれ、一週間弱の雨が続いている。占いによれば、次の晴れは、この日の夕方に訪れる。しかし、それ以降の夜からはまた雨が続く。いくら日輪に祈ろうと、結果は覆らなかった。
「巫女様」
「はい」
ずぶ濡れの男が一人、社を訪れた。低い声で、唸るようにリオへ問いかける。
「どうして、晴れないのでしょうか?」
「……ごめんなさい。私も祈り続けているのですが、どうにも晴れに変わらず」
「次の晴れは、いつなのですか?」
「次は今日の夕暮れごろと……その先は、一週間後です」
「それでは……それでは、困るのです」
——そんなこと言われても
——私だって、天候を操れるわけじゃないのに
天候が良くならないことに対して怪訝そうにする男。クライヤマの中でも低い場所に家を持っている彼は、このまま雨がやまねば、自身の住処が水没するのではないかと心配しているのだ。
「ごめんなさい……。どうにか晴れをもたらして下さいますよう、祈祷致しますね」
「お願いします」
暗い顔のまま男は振り返り、濡れた地面をビチャビチャと鳴らしながら去った。
申し訳ない気持ちを抱えたまま、彼女も振り返って屋内へ戻る。
——どうして、晴れてくれないの?
「どうして——ううっ⁈」
不意に、激しい不快感に襲われた。思わず横に倒れてしまう。運よく社の中にいたため、泥まみれになることはなかった。しかし、これまでにないほどの苦痛が訪れたという事実は、彼女を大いに心配させる種となった。
「はあ……はあ……何なの、これ……?」
外の空気を吸おうと、胸を押さえながら戸を開けて再び外へ。雲にわずかな隙間があり、そこから白夜月が顔を出していた。見た目は得意に変わった様子のない、いつも通りの月。
しかし、リオは感じていた。何か危険な力を。嫌な気配を。彼女を襲う苦痛が、まるで月から襲って来ているかのような感覚があった。
「……いったい、何が起きてるの?」
苦しさの原因は。晴れぬ理由は。
無念なことに、リオにそれらを知る術は無い。
ただただ、苦しみながら崩壊の時を待つことしかできないのであった……。