5-1.巫女の苦悩
──数年前のクライヤマ
薄い雲が、南の太陽を隠す。曇天とまでは言えないものの、主祭神の輝きは少々遮られていた。
「日輪よ、どうか我らの大地を照らしたまえ。日輪よ、どうか我らを導きたまえ」
天へ向かって大幣を振りながら、少女は祈る。このところ、占いと異なる出来事が頻発している。その改善を求めての祈祷であった。
──うっ!
──また、この感覚
日の巫女リオを襲う不快感。苦痛とも言える。ただし、肉体的なものではない。己の内から何かを吸い取られるかのような、気持ちの悪い感覚である。リオは顔を歪めた。
──誰か、誰か
──助けて
「巫女様?」
「あ、はい! どうされました?」
気付かぬ間に、社へ客人が来ていた。背丈の小さな、中年の男だ。期待した人物ではなかったが、困っているのであろうと耳を貸す。
「近々、山菜を採りに山へ入ろうと思うのですが、いつ頃が良いでしょうか? 最近は強い雨が多くて恐ろしいのです」
「そうでしょう、そうでしょう。少しお待ちください」
太陽に向かって、大幣を左右に数回振る。柄の部分を脇ではさみ、掌を合わせて祈った。
──次に天候が安定するのは
「お待たせしました。山へ入るのは、明後日が良いでしょう」
「明後日ですか。分かりました、ありがとうございます」
男は感謝を述べ、深々と頭を下げた。
「ただし、山には天候以外にも危険が潜みます。どうか、お気を付けて」
「お心遣い、感謝致します」
最後に軽く頭を下げ、男は社を後にした。
彼を見届けたリオは、数段の階段を登って室内へ戻り、壁に大幣を立てかけた。
「巫女様〜!」
「はあい!」
呼び声が聞こえ、急ぎ外へ。先程とは別の、若い男が立っていた。
腰に小さな籐籠を下げ、糸の付いた長い棒を持っている。その装備から、釣り人であろうと、すぐに分かった。
今度も期待の人ではなかったが、相談事に耳を傾ける。
「どうされましたか?」
「私は釣りをやっております。今度、山中で川釣りをしようかと思いましてね。最近は天候が不安定ですから、安全であろう日を伺いたく」
──また天気の相談
──それだけ、みんな不安って事だよね
──占いが当たるように、お祈りしないと
置いた大幣を再び手に取り、また天候の占いを行う。結果は変わらず、格好の日は明後日であった。
「お待たせしました。次に晴れるのは明後日ですよ」
「おお、ありがとうございます」
彼もまた深く頭を下げた。はずれる機会が増えた事を自覚しているリオは、少し申し訳なさを覚えた。
「晴れていても、川は危険です。くれぐれも、ご注意くださいね」
「はい。巫女様にも、立派な魚を献上させて頂きます」
「ふふっ、楽しみに待っていますね」
リオが笑顔で返事をすると、男は会釈とともに去った。彼が見えなくなるまで手を振る。
──当たって欲しいな
──ううん
──当たってくれないと困っちゃう
日の巫女の占いは、いつからか趣旨が変わった。出来事の「答え」を告げる言葉から、出来事を「予想」する言葉へと成り下がったのである。
──翌々日
平和な集落、クライヤマの静けさが、一時的に失われた。二人の遭難者が出た為である。
一人は背の低い中年男。山菜を採りに出たところ、大雨に見舞われた。土砂崩れで道が塞がれ、帰れなくなった。
一人は若い男。釣りに出たところ、増水し濁流に囲まれ、中州にて孤立した。
「ごめんなさい、私の占いでお二人をこのような目に……!」
住民総出で、二人は命からがら助かった。しかし、此度の出来事がトラウマになってしまった。
頭を下げる巫女を見るも、彼らはただ震えるのみ。
「ごめんなさい。本当に、ごめんなさい……」
リオもまた震えながら謝罪を続ける。
──私のせいだ
──山菜採りが怖くなっちゃったのは
──川釣りが怖くなっちゃったのは
──全部、私の占いのせいだ
うっすらと涙を流しながら、何度も頭を下げる。その間も、気持ちの悪い感覚は容赦無くリオを襲った。
俯いたまま社へ戻った。雨で濡れた衣装を脱いで、身体を拭く。代えの巫女服に着替え、膝を抱えて座り込んだ。
「もう、嫌だよ」
大粒の雨が屋根を打つ音と共に、リオは苦言を呈した。
日の巫女と言う役割は当初、彼女の誇りであった。クライヤマの為に、無力な自分が何かを施せる。それは占いであったり、象徴として佇む事であったり……そんな希望に溢れていた。しかし、現実はどうだろうか。
──つらい
──苦しい
──ユウキに会いたいよ
占いは当たらず、その結果、民を苦しめた。リオの中ではもう、誇りよりも苦痛が大きくなっていた。
──気持ち……悪い…………!
「会いたい……会いたい会いたい!」
感情に身を任せ、幼子のように手足を振って暴れる。即座に冷静になり、また膝を抱えた。
「あ、じゃあ、会えばいいのか」
ふと、誰にも邪魔されない方法を思いついたリオ。自分しか入る事を許されていない、都合のいい場所があるではないかと。
「この社に、ユウキを呼べばいいんだ。みんなが寝静まった後なら、誰にも邪魔されないよね。ふふふっ」
リオの口元だけが、妖しく笑みを浮かべる。おおよそ正気とは思えない様相だ。脳内で、ユウキを呼び出す計画が練られていく。そこへ──
「巫女様!」
「巫女様〜!」
「あれ、寝ちゃったのかな?」
今のリオと対極とも言える明るさの声が響く。外から彼女を呼んだのは、集落の子供らであった。
──そう言えば、雨音が聞こえない
いつからか雨は止んでいた。
「はぁい、どうしたの?」
戸を開けると、三人の子供が立っていた。とある家の長男と次男、それと、彼らの妹である。
「これ、お父さんが巫女様にって!」
「いつも僕たちを見守ってくれる巫女様にお礼だよ!」
「あら」
幼い子供が持つにしては大きな籠に、沢山の果物が入っている。貢ぎ物を持って来た三人は、満面の笑みを浮かべる。占いが当たらなくても、純真な子供たちにとって日の巫女は、大切な存在であった。
──私、まだ巫女でいいんだ
多少の自尊心を取り戻したリオ。同時に、自分がやろうとしていた事は、巫女を慕う子供たちへの冒涜であると考えた。
──もう少し、頑張ろうかな