4─30.陽光と月光
──真っ白な神殿、玉座
黒衣の少女は、拳を強く握った。南側の鎖を任せていたバケモノが死んだ為である。同時に、己の力が未だ戻らない事への怒りでもある。玉座に座って片膝を立て、日の巫女に選ばれた男をどう始末しようかと思案を続ける。
「あのユウキとか言う奴はもう、ジュアンの手には負えないよねぇ……」
過去に己を封じたのと同じ存在なのであれば、遣いでの処理には期待できない。バケモノを使役したとて同じ事で、現に、鎖の守護者は次々に破られている。
「日長石……はぁ、ほんとウザい」
太古の記憶が何度もよみがえる。
——それは所詮……紛い物
——貴様が石を使っただけの偽物で
——俺が巫女様に選ばれた本物だからだ
己の指を見る。かつて月長石の飾りがついていたリングは、もう無い。
「……そっか。また、アレをやれば良いんだ」
結果的に封じられはしたものの、一気に力を手に入れる手段は把握している。ユウキは未だ、選ばれし者の力を自在に操れていない。敵が覚醒する前に。真の力を手に入れる前に。
「小石くらいで、あんなに力が出せるなら……。あ~あ、最初っから私がやっとけばよかった」
鎖など作らず。人形など作らず。バケモノになど頼らず。ただ自分だけを信じていれば、ここまで拗れることはなかったのかもしれない。選ばれし者の再臨など、なかったのかもしれない。今頃はもう、世界の破壊は完遂されていたかもしれない。
握った拳に、彼女の後悔が滲む。
「なんで、いつも気付いた時には遅いのかな、私」
鎖は三本も破壊された。そんなことの為に使った月長石があれば、力はとうに戻っていたであろう。
「失ったものはもう、戻らない……。どれだけ力をつけても、神に近づいても、それだけは、どうにもならない……腹立つ」
もう片脚も立て、両膝を抱える。こうして何度、袖を濡らしたか分からない。
「セレーネ様」
「……どうしたの? あ、入っていいよ」
部屋の外より、声が聞こえた。半覚醒したユウキとの戦闘で瀕死の重傷を負い、療養中のジュアンである。泣いていたことを悟られぬよう、セレーネは目をこすった。
「セレーネ様が癒して下さった体ですが、もうじき元通りに動くようになりそうです」
「ほんと? 良かった。じゃあまた、私のためにお仕事してくれる?」
「はい、もちろんでございます」
まだ全身を包帯で覆っている。そんな状態でも、セレーネを見上げる瞳は真っすぐで力強い。
——ちょうどいいや、持って来させよ
やる気と忠誠心に満ちたジュアン。片膝をつく彼に、次の任務を告げる。
「鎖はもう、三本壊されちゃったね」
「申し訳ございません、ボクが不甲斐ないばかりに」
「残りは西側の一本と、憎たらしい集落の一本だけ。次は、この西側に行ってほしいの」
「かしこまりました。次こそはユウキを殺して——」
「違うよ」
「……え?」
揣摩臆測を冷ややかなトーンで否定する。彼に戦わせたところで、また重傷で帰るだけ。そうとわかっているが故だ。
「戦わないで、鎖から月長石の回収をするだけ」
「回収……ですか?」
「そ。お願いね、ジュアン」
わざとらしく、脚を組む動作を彼に見せる。少し前かがみになった。己に向けられた欲を煽って利用する。もはや信者に近い彼を、さらに己へ依存させる目的だ。
「……っ‼ セレーネ様の仰せのままに‼」
「うんうん、いい子だね~」
何かに感謝し、深々と頭を下げるジュアン。数秒間その体勢を維持したのち、誇らしげな表情でもって部屋を後にした。自分に対して怖いほどに従順な存在。これではまるで、飼いならした犬ではないか。
「……違う」
——私が欲しいのは、こんなのじゃない
——もっと近くに居てくれる人
——それなのに、ねえ、君はどうして
遣いの気配が完全に離れたのを確認し、再度、両膝を抱え込んだ。
——どうして、死んでしまったの?
何年たっても忘れない顔。寂しさから救ってくれた顔。二度と拝めぬ顔。脳裏にその顔を浮かべながら、セレーネは眠る。その寝顔は、世界を混乱させた存在とは到底思えない、ただ一人の少女のようであった。
──トリシュヴェア国
鎖を破壊した翌日、ユウキらは次の目的地へ向けて出発する。来た時よりも同行者が一人増えている。タヂカラは、岩石を運搬する用の大きな馬を使ってついて行く。
「んじゃ、行ってくる。トリシュヴェアの事、任せたぞ」
「行ってらっしゃい、兄さん。うん、任せてよ」
弟の言葉に無言で頷き、目線を進行方向に向ける。その先には馬車があって、ユウキやアインズ、ポリアに桜華が乗っている。
生まれてから一度も国を出たことがなかったタヂカラは、これから旅に出る事を少し不安に感じた。
「では、出発しますよ」
「おう」
アインズが馬を操り、進み始めた。それに数秒遅れてタヂカラも前へ。
──あれは……
車窓から景色を眺めていたユウキ。ふと市街地の方面を見ると、住人たちが集まっていた。旅立つ馬車を見送っている。手を振ったり挨拶を叫んだりはしていない。しかし、暗い顔の者は一人も居ない。
「あの女の人」
見覚えのある女性を見つけたユウキ。幾分か明るくなった彼女を見たのち、彼は少し天を仰ぐ。
「君も、こんな風に信頼を取り戻せたら……」
あの時。大雨が降り注ぐクライヤマの社にて、日の巫女が信頼を取り戻す道はあったのだろうか。
「いや、無い物ねだりしても仕方ないか……」
「……どしたの?」
ぶつぶつと独り言を吐いていたところを桜華に見られ、少し恥じながら口を閉じる。
「い、いえ……なんでもないです」
馬車の車輪が岩場を走る音。重い馬の蹄が岩を叩く音。周期的に聴こえるそれらを、ユウキは心地よく思った。
疲れからか、瞼が落ちる。しかし、閉じきる前に彼の目を閃光が刺激した。胸元にある石が太陽光を反射した為である。
──リオ
日長石を手に取り、陽光にかざす。相も変わらず美しい輝きを放つ。内部で複雑に光を反射している為、まるで石そのものが光源であるかのように見えた。
「あれ……?」
ふと、石の手触りに違和感を覚えた。リオの形見である首飾りには、何度も何度も触れた。その記憶が告げる。
──日長石が、縮んでる!?
第四章 責務 完
日本神話
〇高皇産霊神 タカミムスビノカミ
造化三神のうちの一柱
〇天手力雄神 アメノタヂカラオノカミ
岩戸に引きこもった天照大神を引っ張り出した神様