4-29.大きな右手
──トリシュヴェア国
なんとか崩壊から逃避したユウキら。目を開くと、景色は無機質な白から岩肌の目立つ大地へと変わっていた。未だ座する巨大な鎖の根元には、輝きを失った月長石が見られた。
「悪かったな。結局、助けられちまった」
「そんな、助けられたのは僕らの方ですよ」
「ええ。我々だけだったら、どうなっていた事やら……」
──さてと
安心をしている場合ではないと、ユウキは鎖へ向き直る。
「サン・フラメン」
日長石の力を帯びた剣を構え、それと同時に、少年はタヂカラに話の続きを始めた。
「タヂカラさん」
「なんだ?」
「僕は、貴方の様に大きな人間じゃないです。だから、クライヤマの皆の為だとか、そんな大きなものは持ち上げられません」
刃を頭上に持っていき、狙いを定める。
「だがボウズは──」
「僕が背負ったのは、日の巫女の……あの子の潔白を示すと言う責務だけです。決して大きくない、一人の少女だけなんです」
クライヤマという小さな集落は、しかし、決して容易に背負えるほど小さな存在ではない。
「彼女が悪く言われない様に誤解を解く。それは、クライヤマ唯一の生き残りにして、あの子を知る僕にしか出来ない事だから」
集落一つに比べて、リオという少女一人を背負うのは幾分か容易い──否、リオを背負う事に対する意欲はもはや無限大に等しい。
「僕がやらなきゃいけないんです」
剣を振り下ろし、刃が石を捉えた。
「ボウズ……」
大きな鎖と背中を見ながら、タヂカラは目を見開いた。自身の事を大きな人間と表現した小さな少年が、大きく見えた為だ。崩れ落ちる鎖。ふと、タヂカラは呟いた。
「お前さん、かっけぇな……」
「……え?」
「その子のために、自分にしか出来ない事だから、自分がやる。かっけぇよ、ボウズ。いや──」
ユウキの、リオの潔白証明に対する真っ直ぐな責任感を目の当たりにし、彼は心打たれていた。目を輝かせ、少年の両手を掴んで言い放つ。
「アニキ!」
「ア、ア、アニキ?!」
「ああ、アニキと呼ばせてくれ!」
「よかったね、弟分ができて」
「いやいや、おかしいですよ! ボウズでいいですボウズで!」
「いいじゃない。他人から尊敬されるなんて、簡単な事じゃないのよ?」
「アインズさんまで……」
やめろやめろと照れ隠しをしながら、タヂカラ邸への帰還を目指して歩む。力を覚醒した反動により、時折、千鳥足になるタヂカラ。
──すごい体力だな
自身やポリアの覚醒時が思い返された。ふらふらすると言った域ではない。膝から崩れたり意識を無くしたり、それなりの代償があったものだが、タヂカラは終始自らの足で歩いていた。
「あれ? なんか人が集まってますよ」
市街地に入った頃、ユウキは進行方向に人混みを発見。
──なんだか、平和な空気感だ
焦燥や危機ではなく、何か一仕事終えたような雰囲気が漂う。その中にハルを発見し、タヂカラを先頭にして彼の元へ歩み寄る。
「おかえり、兄さん」
「ああ……ハル、こりゃどう言う状況だ?」
「兄さん達が鎖に行っている間、バケモノの襲撃があったんだ」
ツルハシやシャベルが散乱しているのが見て取れる。体に傷のある者も居る為、ハルの言葉には信憑性があった。
「でも大丈夫。みんなが手伝ってくれたから、トリシュヴェアは無事だよ」
「お前たち……どうして……」
なぜ逃げなかったのだと。なぜ守る責任を背負ったのだと。訊きたい事がいくつもあったタヂカラは、言葉を詰まらせた。
「タヂカラ、俺たちはお前に謝らなきゃなんねぇ」
「……謝る?」
ハルの隣に居た男を皮切りに、戦いに参加していた住民や見ていた者達が次々に頭を下げ始めた。
「お、おい、やめ──」
「済まなかった、タヂカラ。全部、ハルから聞いたよ」
「……」
「あの日から、お前が一人でここを守ってたんだってな。それなのに……何も知らねぇで俺たちは──」
「いいんだ、そんなこと」
涙ながらに謝罪を続ける男の言葉は遮られた。同じく涙目の大男は、弟を含む住民立ちに向かって言う。
「俺はさ、卑怯者なんだ。最初にオヤジ達の背負った責任から逃げたのは、事実だしな」
──タヂカラさん……
「そこにバケモノ共が現れて……チャンスだと思ったのさ。これで、俺はここを守ってんだと言い張れる……って。だから手柄を独り占めして……笑えよ、とんだ卑怯者だろ?」
──嘘だ
──そんな事のために命をかけられる人は居ない
──それに、守護者と戦っていた時の言葉は間違いなく本物だった
タヂカラは天を仰ぐ。そんな彼に、一人の男が疑問を呈した。
「だったら何で」
「……?」
「何でお前は、その人たちの申し出に乗った?」
「……なに?」
「一人で戦って手柄を独り占めして、それで俺らに自分を誇示したいだけだってんなら、鎖を壊すのはマイナスのはずだろ?」
鎖は一連の出来事の象徴だ。月が落ち、それが大地に刺さった事で人々は恐怖した。タヂカラの本心が自己顕示なのであれば、鎖の破壊は目的とは相反する行動だ。
「……なんで、だろうな」
鎖のなくなった空を眺める。久しぶりに見る純な夕空は、その場の誰にとっても美しく感じられた。
「俺からも一つ、言いてぇ事がある」
視線を空から落とし、トリシュヴェアの人々やユウキらの方へ。
「急だがよ、俺はちぃとばかし、旅に出たい。遊びに行くんじゃねぇぞ? 他の国を見て勉強すんだ。トリシュヴェアを、もっといい場所にする為にな」
「兄さん……」
嬉しさと寂しさが半分ずつ混じった表情で、ハルは兄の言葉を聞く。兄が初めて、自分のやりたい事を吐露した瞬間であった。
「悪いがアニキ、同行させちゃくれねぇか? もちろん、残りの鎖をぶっ壊す手伝いはする」
「えっと……」
「いいんじゃない? 賑やかになって」
「賑やか要員は桜華さんで間に合ってますが」
「は?」
「ユウキ君の旅なんだし、貴方が決めるといいわ」
タヂカラの申し出を承認するか、否か。その選択を迫られたユウキは俯いて思案する。
──タヂカラさんが、僕らについて来る
その事に関して嫌な気はしていない。むしろ、戦力の増強は歓迎されるものだ。
──けど、タヂカラさんはここを守ってたんだよね?
バケモノからトリシュヴェアを防衛していたタヂカラが、居なくなる。それが何を引き起こすか考えると、彼には躊躇いが生じた。
──タヂカラさんが居なくなったら……
トリシュヴェアの防衛は、どうなるのだと。その不安があったユウキは、顔を上げて住民らの姿を見た。汗を流す者。傷付いた者。息をきらす者。余裕そうな者。様子は十人十色だが、誰にも共通して絶望を抱いていない。
──いや、杞憂だった……かな
現に、彼らはタヂカラが不在の間に防衛を成し遂げている。トリシュヴェアの心配をする必要は無さそうであった。
「タヂカラさん、是非、お願いします」
小さな右手を出す。
「おう。よろしくな、アニキ!」
それを、大きな右手が握った。