ひとりはみんなのために
──今日はみなにとって晴れの日になる筈でしたのに。
サフィアは表情を平然と保っていたものの、内心では泣きそうになっていた。
王子から告げられた言葉が悲しいからではない。
既に述べた通り、この学園での卒業パーティーとは、五年間学んだことに対する最終試験に等しいものである。
それはこのパーティが正式な社交界デビュー前の準デビューに相当するものだから、というだけではなく、このパーティを構成する全ては卒業する学生が手配をしなければならない──とされている為だ。
例を挙げていこう。
まず会場の装飾やドレスコードについてだ。
今回それらを取り決めたのはこれも既に述べた通り、エイスの傍らで震える委員令嬢である。
流行りの最先端を征く海千山千の社交界の猛者達に認められるには流行を抑えただけでは足りないと、委員令嬢が提案したのは現代で云う「レトロモダン」だ。
自分たちの祖父母の頃に流行った風合いや形を原型に、当時は存在しなかった最近流行の装飾を取り入れたスタイル。
新しさに目を向けつつも、貴族として国の伝統を守ることを忘れずに大人になる──という決意表明である、と委員令嬢は同窓らに説明したが、簡単なことではない。
服飾一つとっても付ける位置によっては不敬に当たるだとか、組み合わせによって当時の醜聞を揶揄する意味があるだとか、「やってはいけないこと」が山のようにあったりする。
それらを調べ上げて資料にまとめ衣装を用意するのに間に合うよう卒業生全員に通達し、必要な会場の装飾品もリストアップし同窓の中で用意が可能な家を探し依頼しなければならない。
当然一人の令嬢の手には余る仕事量のため、資料作りには文官を志すものなどから協力者を募り準備を重ねてきた。
実際卒業パーティの為に委員が選任され準備が始まったのは3年生の終り頃、今から約2年前である。
長期に渡り計画を練らねばならない催しであるのに、今回委員令嬢が提案したスタイルは直前まで細かな調整が必要となる特に難しいお題だ。過去の流行は変わらないが現在の流行は変わって行くため、ある程度パーティの準備が進んだ段階で用意したものが無駄になる可能性が高い。
だが、現在の流行をコントロールできれば話は変わる。
自分たちが用意する方向に世の流行が進んでしまえば、自分たちの用意するものこそが最先端だ。
委員令嬢と彼女の協力者達が目指す形を幾つか用意し、同窓の令嬢・令息の協力のもと各自の実家にアピール。
特にウケの良かったものを服飾や装飾の事業を持つ同窓の実家で扱ってくれるよう依頼し世の中に広めていく。
たかが学生が目論むにしては無茶な手段ではあるが、委員令嬢は社交界デビュー前ながら高位貴族までもを魅了し、後援になりたいとの申し出が殺到するほどのセンスの持ち主である。
当然、委員令嬢の提案は素人のものとは言い難いものがある。
更に大人たちも自らの子供たちが何かを企んでいることは理解している。
理解した上で出してくるものが真に良いもの――何らかの利益を齎してくれそうなものであれば協力を拒む理由もない。
協力の範囲が事業にまで及ぶ家に関しても実際当たってくれれば儲けものだし、当たらなくても『引く手数多の才能ある令嬢の最初の後援』を名乗る機会や『今後国を支えていくであろう若い世代の為、損を厭わず協力した理解ある寛容な貴族』として株を上げるなど、メリットがある。
余程根回しが下手だとかセンスの欠片もない提案でさえなければ何の問題もない。
実際委員令嬢らが仕掛けた企みは上手く進んだし、委員令嬢の担当である装飾やドレスコード以外の部分――料理や音楽など全ての部分で各家の協力を取り付け、協力に対して見事利益を返す形で万事準備を整えた為に「今年の卒業生は優秀である」と期待されるに至ったのである。
――それなのに……一体何故、こんなことに!
実務を取り仕切るのが委員令嬢であれば、その実務が滞らぬよう、誰に妨げられることの無いよう政治を担当したのは誰あろうサフィアだ。
学生たちが一丸となって取り組んだことは嘘ではないが、実際の利益も絡んでくるとなれば諍いや揉め事がないわけがない。
事実競合した事業を持つ家同士の確執や、親からそれとなく利益が増すような方向へ向けられないか言い含められたものもいた。
それらを宥め、牽制し、より良い条件でことが進められるよう、サフィアは尽力してきた。
ひとえに卒業生の中で王子を除けば最も位が高いからでもあり、ゆくゆくは国母として立たねばならぬのだからという責任感。
──みなが、あれほど努力したというのに……
そして年齢相応の「友達との素敵な思い出を残したい」という願いのためだった。
確かに確執や家の利益を優先しようとする動きはあった。けれど最後には『今年の卒業生が優秀と認められるため』ならと、矛を収め、親を説得し、全員が一つの目的のため手を取り合ったのでる。
この先大人になれば、そんなことは起きないだろう。
子供でいられる最後の一瞬だからこそ叶ったみなの約2年近い努力が、今、乱心以外の何物にも見えない王子の暴走で踏み躙られようとしている。
自分が気に入らないのならば、個室にでも呼び出して話せば済む話だろうとサフィアは思う。
なぜ。どうして。
目線を動かさず、視野を広げようと意識し視界に映る同窓の顔を見回していく。
誰も彼もが泣きそうな表情を浮かべ、身体を強張らせている。
冷静に──どうにかして、この場を収めなければならない。そうでなければ、みなの頑張りが台無しになってしまう。
ただ、こんなにも愚かなことを仕出かした乱心者に自分の言葉が通じるのか──?
緊張の所為か、目眩がする。
サフィアは足元が揺れるのを感じた。
──いけない!
このまま倒れそうだと感じた瞬間、足に力を込めた事で誰にも気付かれず持ち直した。
はずだったのだが、誰かが動いた。
誰もが王子の不興を恐れて身動ぎできずにいるというのに、その誰かはサフィアの僅かなふらつきに反応し、ほんの少し身を屈めたようだった。
思わずそちらを見れば、そこにいたのは憤怒の表情を浮かべたアムドだった。
サフィアは困惑する。
その場の誰もが悲壮感と諦め、絶望の表情を浮かべているというのに、たった一人アムドだけは違う表情を浮かべているのは何故なのか。
王子という絶対の権力者の乱心により、自分たちのこれまでの努力だけでなく、これからの行く先さえ潰されてしまうだろう状況。
確かに怒りたくもなるだろう。
だけれど、アムドの表情はそういった怒りでは無いようにサフィアには見えたのだ。
そう、なんというか……
──どことなく、悲しげな……?
上手くこの場を収めることができれば、卒業パーティだけは守れるだろう。それには自分の将来が引き換えになるだろうとサフィアは考えている。
もしかしたら、アムドはそれを案じてくれているのかもしれない。
そうでなければほんの僅かなサフィアのふらつきに気付いて、反応することなど──そう、恐らく彼はサフィアを支えようとしてくれたに違いない。
サフィアは前を向く。
そこには、王子と、もう一人の乱心者──メモリエラ・ダンプ男爵令嬢が共に悪意に満ちた眼差しをサフィアに向けていた。
責任感と絶望で泣き出しそうだった心は、既に落ち着いていた。
4年も寝かせてました。