親友の目線
さて、話を卒業パーティーの最中に戻そう。
アムドの無二の親友であるエイスは卒業パーティーを取り仕切る委員に選ばれており、騒ぎが始まった際には会場の壁に近い位置で同じく委員を務める令嬢の一人と、早急に調整が必要な場所はないかと、今後の段取りをそっと確認している最中だった。
当然騒ぎに対し傍らにいた委員令嬢と共にすぐさま対応しようとしたのだが、騒いでいるのは王子だと気付き周囲と同じく足を止めてしまっていた。
自然と出来上がって行く人垣の最後方で「なんてこと」と呟き青褪める委員令嬢の横で、エイスも「なんてことだ」と呟き青褪める。
同じ言葉をつぶやいてはいたが、委員令嬢とエイスで意味は違っていたのであるが。
委員令嬢は服飾に対する造詣が深く、手先も器用で彼女の刺したハンカチやリボンは同窓のみならずその家族さえ虜にしてしまう程美しく素晴らしいと評判を受けていた。
社交デビュー前の現在でも貴婦人・令嬢達の注目を集め、後援になりたいと既に幾つもの申し込みが殺到している程。申し込みの中には公・侯の高位家格も含まれてさえもいる。
それ程の評判とセンスは自分たちの世代を象徴するものだと卒業パーティ全体を統括する委員の中でもメインのデザインやコンセプトの担当という、委員の中でも最上位の役職を任されているのだが、実家の位は低く、子爵である。
故に彼女の呟きは上位の委員という責任ある立場であっても、相手が王子である以上周囲の学生らと同じく話しかけることが出来ずに場を納められない事へのもの。
エイスだって委員令嬢と同じく、パーティを取り仕切る立場である。
むしろ伯爵家という、子爵令嬢よりも高位の家格を持つ以上、委員令嬢が対応できないことは自らが担当しなければならない。
だのに相手が王子となれば、同じく手が出せない。その事を嘆く気持ちは当然ある。
だが、エイスはアムドの体質を理解しているのだ。
ということは、現在親友が弩級の危機に陥っている事態を理解しているのである。
何せ一緒に礼服を仕立てに行った半年以上前から「礼服って落ち着かないよ、特に今回の卒業パーティーでしくじったら一生何か言われるようになるって聞くし……」と熊みたいな厳つい顔と大きな体を萎れさせ弱音をこぼし、日が近づくにつれ不安を募らせていたのを間近で見て来たのだ。
これまでの人生で一番と言えるほど緊張していただろう上に、誰もが身動きすることすら憚られるような予定外のことに見舞われてしまったのだから、腹の痛みも普段の比では無いだろうと予想もできる。
エイスは不運にも委員としての責任と親友の社会生命の死、二つの深刻な問題に悩まされることになってしまった訳だ。
委員に選ばれた際、同窓達の将来を背負う一大事を仕切る役目を与えられたのだから、相応の覚悟はしていたつもりだ。
でもこれはちょっとどころではなく予想の埒外にも程があるし、このままだと自分の腹まで痛くなってくるんじゃないか、とエイス軽く眩暈を覚えた。
せめて自分の出来ること、親友を助けることだけでも、とエイスは周囲に視線を走らせ、想像以上に事態がまずい事を悟り息を飲んだ。
――アムド、お前なんでそんな最悪の位置に立ってるんだよ!?
アムドは体格に恵まれた歴代ライゼン家男子の中でも背が高く、その上国内準最強の父に鍛えられた身体はそれなりの筋肉に鎧われて――一言で言えば、めっちゃでかくて目立つ。
そんな目立つ大男は、なんと騒動を囲む人々の最前列に立っていたのである。
騒ぎ始めた王子と因縁をつけられたサフィア嬢をぐるり円状に囲う人垣の向こう岸。
エイスの居る方向に身体を向けている集団の最前列。
何人もの同窓らに隔てられているのに。
中央の舞台じみた空間の向こう側にいるのにも関わらず、一番に視界に飛び込んでくる位置に、一際目立つ大男がそこにいる。
ただ大きくて目立っているだけにとどまらず、飢餓に苦しんでいる最中に親の仇である猟師を見つけた手負いの熊のような表情とそれに見合う気迫を漂わせ立っているものだから、存在感が凄い。
エイスと同じ方向を向いているものたち――つまりアムドと対面の位置に立っている同窓のものたちは騒動に注目すると最悪なまでに飢えた熊の様な大男を否応なく視界に納めなくてはならない状態に陥っている。
実際のところアムドを正面から見なければならない位置にいるものたちの顔色の悪さは、騒動のまずさよりアムドの形相と気迫が原因である。
顔さえ見えなければ単なる背景と割り切れただろうが、ただでさえ目立つ大男が只ならぬ凶相を浮かべたそれは高い位置にあり、後方に居てもよく見えている。
アムドの事情を理解し、怒っているのではないと知っているエイスでさえ生命の危機を疑いたくなる程だ。
如何にこの場にいる全員がアムドの同窓であり、共に学んだ5年間でアムドが見た目にそぐわぬ温厚な性格の、非常に礼儀正しい少年であることを十分知っていても、耐えられるものではない。
だから、皆同じく思ってしまったのだ。
――目が合ったら確実に、頭から丸ごと食べられる。
……と。
もし彼らが『有史でも稀なほどに優秀と期待をかけられた世代』という誇りと、『評価に相応しい貴族たれ』という矜持がなかったら、既に泣きながらアムドに対して命乞いを始めていたことだろう。
今後の人生がかかった卒業パーティーへの緊張と予期せぬ事態への不安という、過去にない腹痛を抱えたアムドの形相はアムドの体質を知らないものから見れば『目に見える死』と言って差し支えない位に、凄まじく恐ろしかったのである。
悲しいかな、当の本人は腹痛を耐えるべく精一杯身を小さくして、目立たないようひっそりしているつもりだったりする。
同窓生の優秀さを現在進行形で証明している恐怖の化身である自覚は微塵もない。
同窓生の誤解と、懸命に小さくなって耐えているアムドの真実の姿、両方を正確に理解しているのはこの会場でたった一人、アムドの親友エイスだけである。
故に、誰のためにも早く騒動を収めなくてはならないことを誰よりも理解している。
だが──手が出せない。
委員という立場、それに加えて親友が助けを求めていることを理解しているのに何もできない悔しさがエイスの胸に募り、思考を忙しなく搔き乱す。
せめて親友の抱えた痛みが和らぐよう心配の念を送りつつ、出来ることを模索すべく辺りに視線を巡らせるのだった――。
偉い人の話を遮るのって躊躇うよね……




