苦難の始まり
先日、会議中に苦しんだのでせめてネタにしようと思いました。
宜しければお付き合いください。
「そなたとの婚約を、今この瞬間を持って破棄させてもらう!」
突然ホール中響き渡った声の大きさと内容の非常識さに、場にいた全員が驚き静まり返る。
今は王立学園の卒業パーティの最中。
この国では全ての貴族子息令息は10歳から15歳までの5年間を王立学園で過ごす事が定められており、卒業と同時に社交界への出席が解禁されるのが慣例となっている。
つまり卒業パーティとは卒業を迎える貴族子息子女が「こんなに立派になりました」と示すいわば最終試験の場に等しく、また国王を筆頭に訪れる通常面会が難しい位を持った来賓達に存在を認識して貰えるかもしれない非常に稀な機会でもあるのだ。
特に「今年の卒業生は誰もが学園史に特別名を刻むに相応しく優秀である」と褒められ期待されている自負もある。
幸い、今はパーティの最中とは言っても来賓や教員達が入場する前、学生たちだけの時間。いわば最終点検の場だ。
この最後の最後で問題が起きたことが来賓らに知られれば、今後「ああ、あのしくじり世代ね」と嗤われる一生の恥を背負う事になる。故に早々に騒ぎを収めなければ、と全員が騒ぎの起きた方に目を向け――絶句した。
視線を集めたのはこの国の王太子、ブルース・クリーン第一王子その人だったのである。
となれば、当然婚約破棄を言い渡されたのは当代の生徒代表にして学年首席のサフィア・グラフィーク侯爵令嬢。
王立学園での生活においては、身分による制限は取り払われる。
けれどそれはいちいち煩雑な礼儀や手順を踏んでいては授業進行の妨げになるからであり、そう言った例外を考慮する必要のない場面であったり、茶会やパーティなど、礼儀作法を守らなければならないような催しでは本番同様、各々の身分に応じた振る舞いが求められる。
そしてこの国では公の場で王族との会話が許されているものは、侯爵以上の家格を持つもののみ。
現在会場にいる学生の中では、当事者であるサフィア以外に該当者はいない。
会場内で最も地位の高い貴人が騒ぎを起こしただけでも目眩がするというのに、よりにもよってその貴人に唯一物申せる人物に絡んでいるとなれば……。
当然誰もが止めなければと思っているのだが、身分による制限撤廃など授業中の例外であって、貴族たるものいかなる時も礼儀礼節を弁えなければならない、と全員が理解していたことが災いした。
今はパーティの最中であって例外には該当しないという常識が、貴人の暴走という非常識に対しても働いてしまい声をかけられずに逡巡してしまったのだ。
いかに優秀とはいえ――いや、優秀だからこそ下手に動いて騒ぎがこれ以上予測できない方向に転がってしまっては自分だけではなく、家にまで被害が及んでしまうと全員が理解できてしまい、咄嗟の動きを止めてしまった。
家の事だけではない。みなで作り上げたこのパーティが自分の迂闊さで取り返しのつかないことになってしまったら、という五年間を共に過ごした仲間のことを考えてもしまったことも原因ではあった。
なまじ責任というものの重さを理解していたことが仇となってしまったのである。
気付けば、王子とサフィア嬢を中心とした円状の空間がすっかり出来上がってしまっていた。
――なんてことだ……どうしたら……
当事者を除く会場内の皆が胸中で揃って呟く。
如何にして場を収めるべきか、と。
……だが、たった一人違う意味で呟いた男がいた。
運悪く騒動を囲む形に出来上がった人垣の最前に立ってしまったアムド・ライゼン伯爵令息である。
アムド自身も、当然この騒ぎを止めたいとは思ってはいるのだが、ただ他とは動機が異なるというか……。
一刻も早くこの場を離れなければ抱えた爆発物――そう、正しく爆弾!――が炸裂してしまうとの焦りからである。
ふと中央のサフィア嬢が目だけを動かし、固唾を呑みつつも王子と自身を囲むしかできない同窓らを見回す。
助けを求める訳ではなく周囲へ落ち着くようにと示しているような力強い眼差しだった。
アムドを含め、目線を受けた者達に――情けなくはあるが――『サフィア嬢に任せれば大丈夫だ』と安堵が広がり、直接目線を受けてはいないものの、変化を感じ取った周囲も落ち着きを取り戻していく。
来賓と教員達が来るまでにはまだ時間があるし、サフィア嬢ならば直ぐにこの場を収めてくれる。
または、サフィア嬢が何らかの介入する機会を作ってくれるだろうから、すぐに動けるようにしなければ。
そんな周囲の信頼に満ちた空気は漏れなくアムドも無事感じ取った。
だから。
――頼む……耐えてくれよ、俺の……腹……!
こうして後に王国の歴史と王立学園史に刻まれ、またアムドにとって生涯で最も長くなる一日が始まった。