第六話 女神の生まれ変わりとの出会い
森の中、ラルバは水がめを片手で担ぎ、ステラと手をつないで歩く。焼きたての白パンのようなステラの手はあたたかくて、兄弟分の中で末っ子だった自分に妹ができたようでとても嬉しかった。
普段はラルバを嫌う彼女の母親に邪魔されてしまうから、色々なことを話した。お気に入りの髪留めのリボンのことや、最近咲いたお花のこと。
やがて、二人は森へ続く獣道の果てに開けた場所へたどり着いた。花が咲き乱れるも、寂れた教会のような家。塗装の剥げた屋根の上でカラカラと風見鶏が回る。
ラルバはドアノブに手をかけるが────開かない。ガチャガチャ回しているうちにドアノブが、取れた。
「あ……」
ラルバが左手のドアノブを見つめていると、後ろから裾を引っ張られる。
「ラルバ、ねこ!」
ステラの視線の先を見ると、木陰から黒猫のノックスが琥珀の目を光らせ、こちらの様子を伺うように見つめていた。
「またお前かよ」
「ついてきてって言ってるのかな」
ステラが引き寄せられるように森の奥へ歩き出したので、ラルバも慌てて後を追いかけた。
霞がかった朝の森に、ノックスの瞳が浮かぶ。彼女は二人が見失ってしまわぬよう時々立ち止まりつつ、更に奥地へと彼らを誘う。ステラは普段行かない場所に心踊らせて、弾むように走っている。一方、ラルバは彼女が転ばないか後ろで内心ひやひやしていた。
「ステラ、迷子になったらどうしようって思わないのか?」
彼の問いかけに、彼女は満面の笑みで振り返る。
「ラルバがいるからだいじょーぶ!」
「……」
言えない。言えるわけがない。ここで迷子になって死にかけたなんて。
ノックスが導く先に、ラルバはなんとなく察しがついた。
やがて霞の中で、いつかの泉が静かに姿を現す。そして────
「こんにちは、ラルバさん。ずっと待ってましたよ」
泉の前で彼らを待っていたのは、ラルバと同年代かやや年下に見える少女。顔は幼いが、白い透き通るような肌や若草色の瞳はイデアと瓜二つだった。
顔を少し紅潮させ、目を輝かせる彼女の足元で、ノックスが暇そうに目を細めて身体を丸めている。
自分が水がめを落としたことにすら気づかないほど呆然としつつも、ラルバは胸の高鳴りを感じていた。
この子って、まさか。
「……なんで、オレの名前を……?」
「昔、あなたの姿を見てからお話してみたいなってずっと思ってたんです。だから、イデアお姉様に色々聞いちゃいました」
「じゃあ、この間扉の隙間から見ていたのも、お前?」
「はい、のぞき見しちゃってごめんなさい」
小鳥がさえずるような声だった。
突然ステラは思い立ったように、ノックスの側に駆け寄る。
「ねこちゃん。あっちでステラと一緒にあそぼ!」
耳をぴくりと動かして目を開けるノックス。あくびをしながらもステラの手招きに応じる。
「泉に落ちるなよー」
「うん、ありがとう!」
「あの子は、ラルバさんの妹?」
走り回るステラとノックスを眺めながら、問いかけるイリス。
「いや、血は繋がってないよ。でも、家が隣だったから時々子守してたんだ」
「そっかあ……いいなあ。私は、外に出たりお姉様以外の人とお話しちゃいけないって言われてて、いつも一人だったから……遊び相手は人形や動物しかいませんでした」
「嘘だろ? なんでそんな」
「……だって、私は、私の名前は……」
一拍置いて、震える小さな声で、でもその目線はラルバから逸らさずに言った。
「イリス=ハルモニア・ラ・ルーナエ。女神ハルモニアの生まれ変わりと言われているから」
「あ、やっぱりそうなの?」
「えっ?」
思っていた反応と違っていたらしい、イリスが目を丸くした。
「え? だって、こんなちっせえ村で顔知らない奴っていったら女神の生まれ変わりくらいしかいねえもん」
「いや、そうじゃなくて……仮にも私、女神の生まれ変わりなんですけど敬語使ったりとかしないんですね?」
「嫌だよめんどくせえ。別に女神とかどうでもいいし」
ラルバはこんな人間だ。自分が信じた者に対しては悪人だろうが子供だろうが優しいが、それ以外に対してはたとえ神を相手にしても反抗的になる。
しかし、イリスが怒り出すかと思いきやくすくすと笑いだしたので今度はラルバが驚いた。
「お姉様から聞いていた通り……でも、嬉しいです。私を普通の人のように接してくれて」
「じゃあ、このままでいいんだ?」
「はい!」
ふわっと笑うイリスに、どきりと心臓が脈打つ。
────かわいい。
姉が才色兼備で、妹が女神の生まれ変わりで子供のようあどけなさを持つ美少女。奇跡のような姉妹だ。
「そういえば、あなたに謝らなければいけないことがあるんです」
「へ?」
「ほら、出てきなさい、ピッコロ!」
彼女が呼びかけると、森の方から青く小さな鳥が姿を現した。
「覚えてますか? 前に泉で何かとぶつかって怪我をしたこと。実はこの子があなたをひと目見ようとして、勢い余ってあなたのおでこに────」
イリスの肩の上でぴいぴい甲高い声で鳴くピッコロ。
「こら、ちゃんと謝りなさい」
「その鳥はなんて言ってんの?」
「ボクは悪くないよ、あいつがよそ見してたのが悪いって……」
「あ? なんだよ鳥のくせに」
ラルバがむすっとしてピッコロを睨むと、ピッコロも羽を逆立てて威嚇する。
こらこら、と彼女は諌めながらピッコロの頭を人差し指で優しくなでる。
「この子はすっごく気まぐれなんです。素直な時もあるんですけど……今日はちょっと機嫌が悪かったみたいですね」
「ふーん」
興味なさげに、ラルバは聞き流した。
そんなことより、彼はイリスの方に興味があった。こんなに可憐でかわいらしい女の子と仲良くなれたなら、退屈な日常にも花が咲くに違いない。
しかし、心なしかイリスは落ち着きがない。顔も少し曇っている。挙動不審なのはピッコロやノックスも同じで、ステラも不思議そうにノックスを見つめている。
「あの……ラルバさん、そういえば他に用事があってここに来たんじゃないですか?」
「ん? なんで?」
「あれ」
彼女は、泉の入り口で忘れ去られて寂しく倒れている水がめを指差す。
その瞬間、病床のオニキスの姿がラルバの脳裏に蘇った。
「やっべ、早く帰らなきゃ!」
「そうですね、私達もそろそろ帰らなきゃフォルテに見つかっちゃう」
「フォルテ? たしか、お前の護衛……だっけ?」
顔をイリスの方へ向けたまま、水がめに歩み寄る。
「はい。でも……怖い人で、私は正直きら────」
彼女は途中で言葉を止めた。目を見開いたまま、固まっている。
「……どうした?」
ラルバが彼女の視線の先を見ると……
目の前にはラルバより更に背の高く肩幅もある、長髪の大男。ラルバのことを青く鋭い眼光で睨みつけている。
こいつが、護衛。
殴られようものなら、ラルバなら吹っ飛んで骨の数本くらいバキバキに粉砕してしまいそうだ。生意気な彼もフォルテの威圧感に押されていた。
「あー……どーも」
どうすればいいかわからず、とりあえず挨拶してみるが、フォルテは冷たい光を瞳に宿したまま何も言わない。張り詰めた空気が流れたままだ。
が、突然フォルテが片手でラルバの首を締め上げた。
「うっぐ……!?」
「貴様、イリス様に何をした?」
「待って、フォルテ。その人は私の敵じゃないの!」
「私はイリス様にはお聞きしていない。それに、此奴は以前にもここに来ています。貴方様に近づこうとする者は、排除しなければなりません」
「ぁ……う……」
手を振りほどこうにも、フォルテの力は強すぎる。暴れても蹴りを入れてもぴくりとも動かない。息もできず、段々力も出なくなって意識が遠のきかけた時。
イリスとステラが横からフォルテに体当たりを食らわせた。
フォルテがバランスを崩した拍子に、ピッコロが更にラルバを捕らえた手を鋭いくちばしで突き、彼を開放させた。
その場に倒れたラルバをイリスがすばやく助け起こす。
「ラルバさん! この人、私に近付こうとする人をすぐ殺そうとするんです! 私達が足止めをしますから、早くステラちゃんを連れて逃げて!!」
「う……わ、わかった……!」
ステラを担ぎ、片手に水がめも抱えて走り出す。すかさずノックスが彼らの前に躍り出て、エスコートをする。
しかし。
ラルバとノックスの足に砂が絡みついた。そして、周囲を取り囲むのは宙に浮かぶ幾つもの尖った岩。
これは、フォルテの放った魔法か何かなのだろうか。
とっさに、ラルバは岩の外へステラを放った。
「ラルバ!」
「ステラ! オレは大丈夫だから、お前だけでも逃げろ!!」
彼女は目に涙を溜めてふるふると首を横に振る。そうしている間にも、岩は彼らを一突きにしようと飛んでくる。
一か八かだ。
ラルバが大きく息を吸うと、緑色の目が一際強く輝いた。
「あああああああぁぁぁっ!!!!」
彼は近くに生えていた木を引っこ抜くと、見境なく振り回した。
怖くて目は閉じたままだったが、固いものが砕ける音がした。自分に突き刺さる気配はない。
拍手の音が聞こえて、彼は目を開ける。
「ラルバ……! すっごーい……」
呆然とした面持ちのまま、ステラが手を叩いている。
ラルバが照れくさそうに笑ったのもつかの間、砕けたはずの岩が今度は砂の大蛇のようになって全員に襲いかかる。しかも、足に砂は絡みついたままで身動きが取れない。
「……!!」
木で払っても砂の大蛇は何度でも再生する。投げてみても、やはり武器が無くなるだけで無駄だった。
「ステラ、オレのとこに来い!」
そのままステラを抱き締めて、目を瞑る。今度こそ死ぬと思った。
やがて、砂の大蛇がとぐろを巻いてラルバ達に襲いかかった。
刹那、強風が吹き荒れた。
風は砂の蛇を散らし、足元の砂をも吹き飛ばしていく。
「走れ!!」
森に凛と響き渡る誰かの声。
上空から聞こえたような気がしたが、もはやラルバ達には空を見上げる余裕などない。風が彼らの味方をするように、追い風となる。風に乗り、飛ぶように森の中を駆け抜けた。
フォルテが彼らを追いかけてくる様子はない。
そして、とうとう教会まで戻ってきた。最初に目に飛び込んだのは、イデアの姿。
彼女の姿を見るなり、ラルバはその場にへたりこんでしまう。
「ラルバ君!? ステラちゃんやノックスまで……」
「イデアさん、助けてください! フォルテに殺される!」
「フォルテが……わかったわ、とりあえず中に入って」