第三十一話 差し伸べられた手
ジェイドが処刑された夜、ファドは再び目を覚ました。
ベッドが沢山並んでいる大きくて真っ白な部屋の真ん中で、ぽつんと立ち尽くしていた。
結局、ラルバはまた生き残ってしまった。僕が今、ここにいることが何よりの証拠だ。
その彼は今ベッドの中で、うつろな目で遠くを見つめていた。
それもそうだ、日中の記憶は全て僕が奪い去った。イキシアでの一件も、災厄の日もとっくに忘れた。ラルバに残されたのは誰かがいなくなったという漠然とした事実と、いつ開いたかもわからぬ心の穴だけ。何故こんなとこにいるのか、何故傷だらけなのか、何故イデアもジェイドも消えたのかわからず、ただ呆然としている。
今僕ができるのはこれくらい。悲しみを少しでも和らげるには忘れるしかないのだ。そうじゃないと、壊れてしまうから。
けれど思い出を一つずつ忘れさせる度、ラルバが消えていくのを感じる。主人格であったはずの彼は人形になり果て、今は僕────ファドが主導権を握っていた。
……僕はどうして生まれ、どうして生きているのか。今ならその答えがわかる気がする。
僕の役割は代理。彼の生命力を吸い取る代わりに、負の感情も、悲しい記憶も、そして罪も全て肩代わりする。僕は、彼を守るために生まれた存在だったんだ。
(疲れたね、ラルバ……でも、僕が終わらせてあげるよ)
神にどれほど縋ろうと、許しを請おうとどうにもならないことだってある。
それでも彼を救いたいのなら、禁じられた方法を使うしかないのだ。
ファドは願う。黒の魔女の降臨を。
イリスとルークの思いは知っている。立て続けに大事な人を失う辛さも、仲の良かった人が転落していくやるせなさも、誰よりわかっているつもりだ。二人には同じ思いをしてほしくはなかったけど、でも…………もう限界みたいだ。
ラルバに見守られ目を閉じようとした瞬間、黒い人影が背後に現れた。
(!)
「ごきげんよう、ファド・サウダーデ様」
魔女じゃない。
危険を察知して振り返ると、ぼろを纏った小男────タナトス・ド・カローンがそこにいた。
「おっと、ワタクシは貴方がたのお迎えに参ったわけではないのですよ。前に痛い目に遭いましたからね……なので、その糸をしまって頂けませんか?」
(……)
丸い目を鋭くして、睨みつけるファド。
「貴方がたは拝見していた限り、相当思いつめられているご様子。よろしければワタクシめがお話をお聞きしましょうか?」
(……魔女の差し金?)
「まさか! ……魔女様よりも、貴方がたと取引した方が互いに有益かと思いまして。一人で考えても解決策は浮かびません、誰かに相談することこそが大切なのです。ワタクシは基本中立ですから、ルーナエ様とも魔女様とも違う意見をお出しできるかと存じますよ……いかがです? ご相談は無料ですが」
……少なくとも、敵意はないみたいだ。
糸をしまったファドに、タナトスは口元に赤い三日月を浮かべる。
「ありがとうございます、ファド様。それでは、このような場所では気が滅入りますから、表に出ましょうか」
彼に促され、病院の屋根まで飛び上がった。地上の人工の光で満たされ、空の星々はいつかイリスと見た時よりくすんで見える。
「ここならお話していても誰にも聞かれはしないでしょう。気分転換にもなりますし、ウォラーレ様からもさほど離れませんしね」
(……一つ聞かせてほしいんだけど。魂を奪いに来たわけじゃないなら、どうしてここにいるんだ?)
警戒心を解き切れないファドなどお構いなしに、彼は「どっこいしょ」と腰を下ろす。
「強いて言うならば、女神様御一行を監視していた、といったところでしょうか。最近は純粋な好奇心で後をつけている節もありましたがね……イデア様とウィンチェスター様の件、誠にご愁傷様でございました」
(……そう思うならどうにかしてよ)
「恐れ入りますが、それは難しいご相談でございます。死んだ者は生き返らないのが自然の摂理ですから。それにイデア様に関しては魂諸共どこかへ消えてしまいましたし……」
そっか、とファドは俯く。
イデアがどこへ行ったのかはおおよそ見当がつく。大部分は魔女に取り込まれ、一部はイリスの中に光の魔力として。
「ところで……魔女に会おうとされていましたよね。もしワタクシより先に現れていたら、何を願うつもりだったのです?」
(時間を戻してほしい。兄貴が町からいなくなる、それより昔まで……)
「……なるほど。詳しくお話を伺っても?」
黒の魔女の存在を知ったその日から、ずっとラルバが考えていたことだ。
でも今までイデアとイリスがいてくれたから、魔女に魂を売らずにいられた。
しかし、守ると誓った人も失い、左の目も腕も失い、能力までもを失ったラルバがもうこの世界に希望を見出すことはできない。だから全てを最初からやり直すのだ。
そして、もう一つこの願いには狙いがある。
通常なら魔女を取り込み、操られることになる。その果てに待つのは新たな悲しみだけだ。時間を全て戻すのならばその心配もない。
「しかしながら、時間を戻すと、貴方様はまた同じ苦しみを味わうことになる。願いが叶うまで何度も何度も……叶う前に貴方様が壊れてしまいますよ? それに、魔女だったら願いを叶える前に、必ず見返りとしてルーナエ様を要求してくるに決まっています。しかも、ルーナエ様を渡したとして、彼女が本当に願いを叶えてくれる保証はどこにもございません」
(まあ……たしかに。でもさ、それ以外に方法が浮かばないんだ……やっぱり死ぬしかないのかな)
その時、タナトスがファドに手を差し出した。
「それならば、ワタクシと組んでみませんか。流石に時間を戻すことはできませんが、あの酷い怪我を一瞬にして治すことくらいはできますよ。それから……人智を超えた力を使えるようになります。その力をもってすれば、死者の魂を呼び出すこともできるかもしれません。ただし、契約を結ぶのは貴方ではなく本体のウォラーレ様になりますが……いかがされます? 決して悪い話ではないと思いますが」
……もしかして、僕達を狙っていた? この瞬間のために、虎視眈々とタイミングを見計らっていた?
タナトスの何が不気味って、魔女よりも意図が読めないところだ。表情も仮面のせいでわかりにくいし。
その不信感を悟ったかのように、タナトスは口を開く。
「本当はこのような機密事項を安易に教えてはいけないのですが、貴方様には特別にお教えしましょう。ウォラーレ様は更なる喪失の果てに、寝たきりのまま春が来る前に死亡します」
────は?
唐突の余命宣告にファドは凍り付いた。
(ルークは? イリスは? 更なる喪失ということは……)
「おっと、他の方の状況につきましてはお教えできかねます」
……ありえない、とファドは思わず首を振る。
なんで僕達ばかりこんな目に遭うんだ? 僕達はそれほどの大罪を犯したっていうのか? 全て因果応報で片づけていいのか?
「ええ、悲劇そのものです……人生のピークは七歳で終わっており、これ以上生きていても希望なんかありはしません。これまで二百年近く人々を見送って参りましたが、そんなワタクシから見てもあまりに哀れで……少しでもお力添えできないかと、こうして思わずお声がけしてしまった次第でございます」
時には淡々と、時には天を仰いで大げさに嘆く素振りをしながら饒舌に語り続けるタナトス。
(つまり、同情?)
「そんなところでしょうかね……しかしながら、人の世から外れた存在であるワタクシがお声がけするなんて、本来あり得ないことなのですよ? この話に乗らない手はないと思いますが」
クスクスと彼は笑う。
怪我が治るなら、腕も目も再生するかもしれない。車椅子生活からも、全身の痛みからも脱却できる。しかも死者を呼び出せるなら、ジェイド達にまた会えるかもしれない。イリス達が死んでも、それは永遠の別れにならない。そうすればラルバもきっと、希望を取り戻してくれる。
(……ちょっとラルバに話してくる)
「それでしたらご本人と直接お話しますので、連れてきて頂けると助かります。なるべく、人目につかないところに行きましょう……。それでは、外でお待ちしておりますよ」
◆
開けておいた窓から建物内に侵入したファドは他の人間達を起こさないよう、ラルバのベッドに忍び寄る。
(行こうラルバ、僕達にはまだ光が残ってたんだ!)
「……え」
背中から糸を出してラルバを包むと、窓から彼を出す。その瞬間────地面に落ちてボスッと大きな音を立てた。
(やば!)
「……ファド君?」
隣で寝ていたルークが目を覚ましてしまった。
半分しか開いてない目をこすり、固まるファドを凝視する。
「戻ってきてくれたんだ……よかった。ところで、ラルバは……?」
(え、えっとね……夜の散歩に行きたがっていたから、連れて行ってあげようと思って)
「それなら、僕も同行するよ……ここは夜でも人が沢山いるから、姿を見られちゃ色々とまずいだろう?」
(え、あ、いやそれは……)
ルークは一度言ったら聞かない人だ……本当は手荒なことしたくなかったけど、しょうがない。
────全ては主人格を救うため!!
ファドは咄嗟にルークに糸を放った。
「ッ……!? ────!!」
不意を突かれた彼は、あっけなく手足と口を塞がれ動けなくなる。
(ごめん……さよなら!)
もがくルークを後目に、ファドは窓から飛び出した。
繭と化したラルバを連れて走っていると、タナトスも横に並んで飛び始めた。
「おや、そのご様子は……随分と強硬な手段をとられたようですね。それで、どちらに向かわれるのです?」
(わかんない、とりあえずルーク達が追ってこれない場所まで!!)
黒い服を纏った蛾の青年とカラスは夜に溶け込んで、誰の目にも映らない。そのまま、どこかへ姿を消した。




