第四話 見つめる瞳
「あ、気がついた」
気づけばラルバはベッドに横になっていた。
目を開けると、見知った顔があった。オニキスと、もう一人。
真珠色の艷やかな髪、若草色の輝きを持つ潤んだ瞳に長いまつげ。通った鼻筋に雪のような白い肌。
ラルバも文句のつけようのないくらいの絶世の美女だ。
そして何より────
「こんにちは、ラルバ君。調子はどうかしら?」
イデア・ルーナエが微笑み、前屈みになってラルバの顔を覗き込む。
ふわりと花のような甘い匂いがした。
「あ……いや……」
ラルバはちらりとイデアを見やるとすぐに目を逸らし、気まずそうに黙り込む。
「あら……大丈夫? まだ意識がはっきりしていない?」
少し後方にいるオニキスが、今にも吹き出しそうになっているのをこらえている。
イデアが前屈みになったことで、ラルバは思わず彼女の豊満な胸の谷間に目が行ってしまったのだ。しかも、距離が近い。
意識は朦朧どころかはっきりしているわけだが、言い出せそうもない。
そのすらりとした長い肢体と胸のせいだろうか、オルミカや爺婆も着ているようなイモ臭い服さえ彼女が身に纏えば、より一層美しさが際立つから不思議なものだ。
「イデアさん、ラルバ君は大丈夫だと思いますよ。目を覚ましたらいきなり場所が変わっているからびっくりしたんでしょう」
「あら、そうなの?」
「あっそうだ、どうしてオレはここに? だってオレ……はう」
起き上がろうとして、ラルバは痛みにうめいた。倒れた衝撃で額だけでなく後頭部も打ったようだ。
「おでこから流血して、仰向けに気絶してたんだよ。あの障害物無い場所でどうしてそうなったんだかわからないけど」
「オレもわかんない……なんか変なのがデコに刺さった……と思うんだけど」
「不思議ね……でも、とにかくそんな風に倒れてるところを、フォルテが連れてきてくれたの」
「フォルテ? そんな奴いたっけ?」
「あれ、知らない? 女神の生まれ変わりの護衛だよね、イデアさん」
「……ええ、まあ」
「身体大きいし、この村で一人だけゲムマ族じゃないし、一回見たら忘れないよ。どれだけラルバが他人に興味ないかがわかるね」
「うるせえ」
オニキスはくすくすと悪戯な笑みを浮かべた。
痛む頭を抑えながらラルバは考えていた。
女神の生まれ変わりの護衛が近くにいたということは、やはり彼女も近くにいたのかもしれない。
もう一度あの場所に行ってみる必要がある────と思ったが、今日はもう無理そうだ。
「そういえば、オニキスさんはもう薬もらったんすか?」
「僕の用事はとっくに終わってるよ。ラルバがなかなか来ないってイデアさんと話してたら、この始末だもん」
「マジか……」
「でも、大きな怪我がなくてよかったわ。お母さんも心配してるでしょうから、今日は帰った方がいいわね。はいこれ、替えの包帯と消毒薬。何が刺さったのかわからないし、傷が塞がるまで毎日塗ること。もしも傷口が化膿したり、体調が悪くなったらすぐ私に言うこと。いいわね?」
「は、はい」
言われるがままに薬を受け取って、部屋を後にしようとした瞬間だった。二階へ続いているのもう一つの扉が細く開けられていて、その隙間から二対の目が光っているのが見えた。
「!」
ラルバと目が合うと、光が消える。
「どうしたの、ラルバ君。そんな目を丸くして」
「えっ、あ、今イデアさんの後ろの扉から、誰か見てて……」
イデアが訝しげに振り返るも、当然ながら、もう誰もいない。
「……ノックスかもしれないわね。引っ掻いたりしちゃいけないから、二階に行っているよう伝えていたんだけど」
「でも猫って感じじゃ……」
「私の家にはノックスしかいないわ。疲れているんじゃないかしら?」
「そうだよ、今日はもう帰ろう?」
ラルバはいまいち納得できなったが、最初ラルバ達が森に入ったときは真上にあった太陽が、西に傾いている。オルミカに「こんな時間までオニキス君を引っ張り回して」と理不尽に怒られるかもしれない。とにかく一刻も早く帰った方がいいのはたしかだった。
イデアが見送ってくれる中、ラルバは振り返って二階の窓を見上げたが、カーテンで閉ざされていて中の様子をうかがい知ることはできなかった。
◆
鮮やかなオレンジが空を染め上げる頃、二人は帰路についた。
扉を開けるなり、どんっと現れたのは真っ赤な顔をしたオルミカ。思わずたじろぐ二人。
「遅かったじゃないか!? 一体何やって……」
ラルバの頭に巻かれた包帯を見て、言葉を止める。
「……どうしたのそれ?」
「なんだっていいじゃん」
「ラルバ君が頭打って怪我したから、イデアさんに治療してもらってたんだ」
「あれま、バカだねえ。ま、大事にならなくてよかったじゃないか」
今夕飯作っているから食べたらさっさと寝な、と言いながら彼女は台所へ戻っていく。
なんだか、肩透かしを食らった気分だ。
オルミカはオニキスびいきだから、絶対長時間連れ回したことで文句を言われると思ったのに。まあ、面倒なことにならなくてよかった、とラルバは内心安堵もした。
◆
日が暮れれば、辺りは闇に包まれる。明かりになるようなものは小さなランタンくらいしかないので、ゲムマ族は一般的に太陽と共に目覚め、太陽と共に眠りにつく。
静かな月明かりが窓に差し込む中、ラルバは固いベッドに腰掛けてぼんやり考え事をしていた。
しばらくして、彼はおもむろに顔を上げると隣のベッドで仰向けになって寝ているオニキスに話しかけた。
「……オニキスさん」
「ん?」
まだ眠ってはいなかったようだ。目を開けて、目線だけこちらに向ける。
「イデアさん、なんかおかしくなかったっすか?」
「おかしかったね。僕もあの人影、見えたよ。でも、それを無理やり無かったことにしているみたいだった」
「今度、もう一度あの家に行ってみませんか」
「そこまでして女神の生まれ変わりに会いたいの? なんで?」
「えっ?」
ふいをつかれ、ラルバは黙り込む。
────あれ? なんでだろう?
天井を睨みつけて考え始めるラルバに追い打ちをかけるように、オニキスは無邪気な笑みを作って迫る。
「ラルバは昔から女神の生まれ変わりに興味持ってたよね? 村人はみんな、彼女に会おうだなんて厚かましいにも程があるって考えてるのに、君はなんでそんなに会いたいの? 女神なんかどうでもいいっていつも言ってるのに会おうなんて考えてるの? ねえなんでなんで?」
ラルバとしては、何故オニキスがそんな疑問に思ってるのかが逆に気になる。
しばし考え、たどりついた結論をぽつりぽつりと口にする。
「……昔、森でそれっぽい影を見かけたからかな? 兄貴やオニキスさんと遊んでたとき、知らない女の子がこっちを見てたんだ。でも、誰も信じてくれなかったしあれっきり見かけることもなくて……。オレが何を見たのか気になるし、結構可愛かったから話してみたい」
「結局そこかよ」
オニキスが吹き出す。顔を真っ赤にするラルバ。
「しょうがないじゃないすか! 村に女の子が少なすぎるのが悪い!!」
「まあ、たしかにね? でも、その話まだ信じてたんだね」
「当然っす!」
「わかったよ。物陰で見ているってあたり、今日の人影と共通しているし僕も気になってきたよ。ラルバの傷が治ったら、また行こうね?」
その瞬間、ラルバの目がぱあっと輝く。
「やった!! 絶対行きましょう!?」
オニキスが「ちっさいガキかよ」と苦笑いした。




