第二十三話 全てはキミのため
夜が明けても帰ってこない彼らの事を、イリスとイデアは案じていた。
「お姉様、調子はどうですか?」
「……ええ、大丈夫よ。それにしても……皆遅いけど、大丈夫かしら……」
「きっと心配ないですよ」
「そう、かしら……」
そうは言ったものの、イリスは強い胸騒ぎを感じていた。
ロタスが言っていた事だけれど、どうやら山が何者かによって酷く荒らされていたらしい。頂上付近にある芽吹きの大地さえ、山の地肌が見えるくらいに……
イリスは薄々気づいていた。多分、彼らの身に何かあったのだ────だから彼女は決断を下した。
「それならお姉様、私も月華草を探してきます!」
その言葉に、イデアより早く反応したのがフォルテだ。
「……本気で言っているのですか?」
仏頂面に僅かに驚きの色が滲んでいる。
「もちろん、本気ですよ」
「しかし……」
「そろそろ戻ってきてもいい頃なのに誰も帰ってこないのですよ? それに、あなたもロタスさんから山が荒らされていた事を聞いたでしょう? ……私は皆の身に何かあったのだと考えています。このままでは、お姉様どころか他の人達も危ないかもしれません。もう一刻の猶予も無いんです、お願いします、フォルテ!」
フォルテはちらとイデアを見る。
イデアの身体の大部分は透き通ってしまっている。ベッドから起き上がれなくなり、食事さえも摂れなくなった。もう、いつまでもつかもわからない状況だ。
「……わかりました。そこまで言うのなら」
「ありがとうございます! お姉様……一人にしちゃって申し訳ないんですが……必ず月華草を持って帰るので待っててください!」
「……イリス、ごめんね……ありがとう。ね、少しだけこっちに来てくれる?」
寂しそうな目をするイデアを、イリスはそっと抱きしめた────少しでも力を入れたら手が突き抜けてしまいそうで。
「忘れないで。離れていてもいつも貴方を見守ってるから……」
冷たく震える手で撫でられたその感触が、いつまでも残っていた。
◆
山はロタスが言っていたとおりの殺風景になっていた。何も無い山地に何もない空。自然が絶えた大地には生き物の気配もない────
「思ったよりもひどい……まさか私達が月華草を探しているのを知ってて……!!」
でも、イリス達の旅の目的を知っている人物はそういない。ましてや、一晩で山一つの自然を壊滅させる力を持っているなんて……
「……イリス様、いかがいたしますか」
「とにかく進みましょう。私達にはそれしかできません」
寒さと不安に耐えながらひたすら進んでいると、青い空に小さな鳥の姿が見えた。
「あ、ピッコロじゃないですか……!?」
向こうもイリス達に気づいたらしく、ふらふらとこちらに飛んでくる。
しかし……青い翼の左の付け根はべっとりと血に濡れ、羽毛にもまだらに血痕が染みついていた。
「ピッコロ!! その血は……」
(あ、イリス! ずっと探してたんだ)
「何があったんです?」
そこから、急に黙り込むピッコロ。
「ピッコロ……?」
その刹那、ヒュッと掠れた笛のような音がした。
「え?」
ほんの一瞬の出来事だった。
次の瞬間には隣にいたフォルテの頭部が、跡形もなく消失していた。
「……」
頭を切り離された人間が動くはずもなく、フォルテは大きな音をたてて地面に崩れ落ちた。
「え……フォルテ、フォルテ!? 嘘でしょう!? 今、一体何が……!!」
状況を飲み込めないままフォルテを揺すり続けるイリスに、人影が迫る。
「アハハハハ、ご臨終?ご臨終?随分とあっけない最期だったね?」
ピッコロがいたはずの場所に、いつの間にかジルエットが立っていた。
彼は屈託のない笑顔を浮かべているが、顔も服も翼まで赤黒い返り血に染まっている。
「やあ、イリス様。皆いなくなって、やっと二人きりになれたね♪」
「皆……いなくなった……?どういう事です?」
「そのまんまの意味だよ。ラルバ君も虫けらも始末した。フォルテの奴もこれで死んだ。イデアが死ぬのも時間の問題だよね?」
「……え……え?」
頭が真っ白になって、何も言葉が浮かんでこない。ジルエットの言っている意味がわからない。
「……なんで?」
その言葉しか出てこなかった。
「なんでそんな酷いことするの? 私達の村を焼いたのもあなたが竜の封印を解いたせいなんでしょう? 私達が何をしたっていうの……?!」
「全てはキミのためさ」
「……村を焼いたのが私のため? ふざけないで!」
「フォルテがこの世にいる限り、誘拐してもすぐ連れ戻されるじゃん? だから帰る場所を失くしてしまえば、誘拐なんかしなくてもイリス様は解放されると思ったのさ! 実際、今、キミは自由だろ?」
「……」
イリスは顔を逸らす。
認めたくない。ジルエットのおかげで自由を手にしたなんて。
「で、でも! それならもうあなたの目標は達成されてたじゃない!! 皆を殺すことはなかったでしょう!?」
「いいや、イデアは厄介な存在だから、消えてもらわないと困る。ラルバ君はイリス様を解放してくれると思ってたけど、期待外れだった。もう足枷にしかならないから、死んでもらった。フォルテは……言わなくてもわかるよな? あの諸悪の根源は絶対この手でブチ殺すって決めてたんだよ……ッ!!」
たしかに、フォルテは今まで良い護衛とはいえなかった。イリスを教会に幽閉し、逃げようものなら制裁を加え、脱走に使えそうなものは本から椅子まで全て破棄された。ただの村人であったラルバを本気で殺そうともした。最近やっと少しだけ丸くなったとはいえ、イリスもその所業を忘れたわけではない。
「……イリス、ずっとずっと昔から、ボクはキミを見てたんだよ。暗い目をしてさ、狭い部屋から窓越しの世界ばっかり見ていたね。ずっと助けたかったけど、あの時のボクは無力だった。だからボクは魔女に、イリスを解き放つ力が欲しいって願った!そしたら、この風を操る力を手に入れたんだ! まあ魔女の力が完全じゃないから、中途半端な姿になっちゃったけど……でも、やっと……やっとキミを自由にできた!! ボク達の邪魔をする奴はもう誰もいないんだぁ……アッハハハハハ!」
彼は大空と荒地を背景に両腕を広げ、高らかに笑う。心から自由を謳歌するように。
「昔から? ……まさか、あなたって……」
ジルエットが翼を広げて一回転すると、瞬く間に青い小鳥に姿を変えた。
「そ、ボクだよ! キミがピッコロって呼んで可愛がってた、あの」
────なんてことなの。
「あれ、イリス泣いてるの? 嬉しかった?」
「ごめんなさい……私を助けるために、魔女に魂を売ってたなんて……!!」
「謝らないでよ。これはボクが選んだことだからさ」
半人半鳥の怪物に戻ったジルエットは泣き崩れるイリスに、フサフサの手を差し伸べた。
「イリス。ボクと一緒に行こう? ボクはあいつらと違って秩序だの道徳だの、そんなつまんないものに囚われたりしない。ムカつく奴、気に入らないもの、全部このボクが壊してあげる。あの緑目狩りとかいうゴミ共をアジトごと殲滅させたようにね────だから、一緒においで。ボクだけがキミを幸せにできる。どんな手を使ってでもキミを守ってあげるから」
しかし、その手は幾多の血にまみれている。
「……ありがとうジルエット。それじゃあ、早速一つお願いをしてもいい?」
「なんなりと」
差し出された手を引っ叩き、イリスは顔を上げた。
「今すぐ消えて」
「……えっ?」
「あなたが手を汚す原因が私にあったことは、謝ります。でも、大事な人を殺しておいて、私が喜ぶとでも思ったの!? 私どころか、周囲の人の人生まで滅茶苦茶に踏みにじって……そんな犠牲の下に手に入れた自由なんかいらないわ!! 絶対に許さない……!!」
そのときジルエットは、初めて悲しそうな顔をした。
「……そんなぁ。そこまで言われたら流石にへこむよ。全部全部、ボクはキミを思って動いてきたのに……」
しかしその時、彼は黄金色の目を見開いて、血濡れた翼を大きく広げる。
「でもいつかイリスもわかってくれるよ、ボクの気持ちが誰にも負けないってこと!!」
「いや! 来ないで!!」
ジルエットに無理やり肩を掴まれた瞬間、彼の目に光を放つ。
「グッ……目が……!」
彼がイリスを放し目を押さえて苦しみだした。
「はぁ、はぁ……」
ジルエットに構っている暇はない。嘆いている場合でもない。誰もいなくなった今、お姉様を救える人はもう私しかいないのだから……!!
イリスはよろよろと立ち上がって山頂目指し歩き出す。
「待って! やりすぎたのは謝るからさ、そんなに怒らないで!」
後ろから追いかけてくるジルエットに掌を突き出した。
「私はもう自由なんでしょう? 私の邪魔しないで」
「はぁー、しょうがないなぁ。ホントはこんなことしたくないけど……ちょっとだけ大人しくしててもらおうか!」
「!」
ジルエットが腕を上げると上昇気流が巻き起こり、イリスが空中に浮かび上がった。
「風よ、静まれっ!!」
腕の一振りだけで斜面に叩きつけられ、痛みに悶えるイリス。
「はうっ……!! うぅぅ……」
「手荒なことしてごめんね」
イリスを捕まえようとした瞬間、ジルエットは突然形相を変えて空を仰いだ。
彼につられて上を見たイリスの目に入ったのは、太陽に照らされて輝く刃。
回転しながら降ってきた剣は晴天を切り裂き、咄嗟に剣を弾こうとしたジルエットの右腕をも貫いた。
「グギ……!!」
「はぁ、はぁ、間に合った……これ以上、お前に手出しはさせない……!!」
上から二人を見下ろしていたのは、ルーク・ソーリスだった。
「ルークさん……無事だったんですね……!!」
「ケッ、あのガキ竜巻で死んだと思ってたのに……まあいいさ。一発で片づけてやっからよ!!」
ジルエットが空気の刃を放つも、ルークの頬を掠めていっただけで虚空に消えていく。
「今の怪我が効いているみたいだな」
ルークは僅かに口角を上げた。
ジルエットは舌打ちしながらも笑っているが、左肩と右腕からは血が噴き出している。
明らかに威力の落ちた攻撃とフラフラと低空を飛んでいる様子から見ても、衰弱しているのは明白だった。
「……僕らは時間がないんだ。そろそろ蹴りを付けようか」
右手に炎を纏い、ジルエット目掛けて駆け下りる。
ジルエットの左腕から撃ち出される無数の羽根を焼き払い、破れた深紅のマントを翻して大きく飛び上がった。
「地獄に落ちろ、ジルエット────!!」
そのとき、ジルエットの目が俄に赤く輝きだし、音を轟かせて風が吹き荒れ始める。
ルークの放った炎はすんでのところで風に流され、彼自身もイリスも空高く舞い上がった。
「きゃあああああぁぁぁぁっ!?」
「今度こそ……空まで飛んでけ!!」
雲も森の残骸も、全てが青空の塵となる。
ジルエットが制御しているのか、イリスだけは風に流されながらも上空を浮遊している。しかし、身体の自由は利かず、ただ見ていることしかできない、が……途中で山が揺れていることに気づいた。
最初は自分が揺れているのかと思っていた。けれどしばらく見ていると、やっぱり山が横に揺れ動いている────地震?
「イリス!! 今度こそ一緒に────」
その声を遮るかの如く山が割れ、中から砂の大蛇が飛び出した。民家なら丸呑みにできそうなくらい巨大な……。
「!?」
大蛇は身体をしならせてジルエットを地面に叩き落すと、空の塵となりかけたルークを裂けた口で咥え、真下に落ちたイリスを丸々とした胴体で受け止める。
「……」
イリスは、心臓が高鳴っているのを感じていた。
浮き上がったり突き落とされたりしたためでもあるが、それ以上にある種の恐怖と興奮がせめぎ合っていた。
大蛇の出現によって引き起こされた砂嵐が治まり、砂ぼこりから男の影が現れる。
「イリス様、ご無事ですか」
イリスは、フォルテが地の神ファロテウスと同一人物である説に対しては懐疑的だった。
ファロテウスの存在を肯定してしまうと自分の存在意義がわからなくなってしまうし、伝承のファロテウスの人物像からフォルテはあまりにかけ離れていたから。
しかし……こんな光景を見たら、信じずにはいられようか?
首を落とされて死んだはずのフォルテが何事もなかったように立っていて、山から生まれた大蛇を操っている様を見たら。




