第二十話 結束
フォルテの言いつけ通り、ラルバは二階の窓のカーテンを閉ざしていく。
「あら、何をしてるんですか? ラルバさん」
「え? いや……別に?」
ラルバが言い淀んでいると、イリスが口を膨らませて近づいてきた。
「……ラルバさん。私を守るためとか心配かけたくないとか言って隠し事するのは……嫌ですよ?」
彼の心中を見通しているかのように、彼女の大きな瞳が煌々と光る。その静かな圧に屈してラルバは口を開いた。
「……ごめん。実は今、空に怪しい鳥がいるらしいんだ。フォルテが下で見張ってるから、オレはイリス達が見つからないよう隠してやってくれって」
「……なるほど。それなら、これも消した方がいいですね」
イリスが手に持っていたランタンの明かりを消すと、いよいよ辺りは真っ暗な世界に閉ざされた。
「なんも見えねーな…………うわっ!」
ベッドに向かおうとして床板の釘に躓いたラルバを、イリスが手を取って支えた。
「……夕方、私もあなたと一緒に祈るって言いましたけど……本当は祈っているだけじゃ嫌なんです。あの日、フォルテに幽閉されていた私をあなた達が助けてくれたのと同じように、あなた達が困った時は私が助けられるような、そんな対等な関係になりたいんです」
「……ありがとうな。助かったよ」
ラルバがイリスの頭を撫でると、彼女も小さく笑った。
◆
緊張と不安の中で床についたラルバだったが、幸い何事もなく目を覚ました。
瞼を開けても世界は暗闇だ。嵐の前のような不気味なほどの静けさの中に、イリス達の穏やかな寝息が聞こえる────声をかけるのも憚られて、忍び足で二人が眠るベッドの前を通り過ぎた。
手探りで階段を下りると、一階の部屋は青い月明りが窓から差し込んで仄かに明るい。その窓の傍でフォルテは佇んでいた。今、ここで起きているのは彼らだけだ。
「フォルテ。弟子は来たか?」
「いいや、来ない。鳥の影も山の方へ消えていった」
「……そっか」
…………なんだろう? なんだか胸騒ぎがする。
一方、フォルテはいつもと同じ表情で星空を見上げているが、何を考えているのかは全く読めない。星に見とれたり、物思いに耽るような奴でもないだろう。
「フォルテ」
「なんだ」
「なんか、さ。胸騒ぎがしないか? 虫の知らせっていうか」
「しない」
「……。あっそ」
「…………………」
気まずい空気と緊張感が解けぬまま、長い沈黙が訪れた。
その沈黙が重すぎて、意味もなく戸棚の食器を見つめたり壁を這う蜘蛛を観察してみるけれど、永遠のような夜の前にはあまりに無力だった。
仕方がないから椅子に腰かけ、読めもしない本を開いてみるが……曲線と直線を組み合わせた記号の羅列が規則的に並んで見えるだけだ。
睡眠薬を調合して貰う前、イリスが言っていた。「眠れない時は、難しい本を読むといいですよ」と。……今、なんとなくその意味がわかった。机に肘をつき、あくびをしながら適当にめくっていた時────沈黙を打ち破る小さな足音に飛び上がった。
「!」
フォルテと顔を見合わせて、外に出てみる。
闇に浮かび上がるランタンの灯火。しかし明かりの位置が低くて、その背の低さが窺い知れる。
どんな奴が現れるのか? 二人で固唾を呑んで見守る中、彼らに気づいた”エイドリアンの弟子”が呼びかけてくる────
「遅れてすみませんー! エイドリアン・グリーンフィールド先生のお使いで来ました、ルーク・ソーリスといいま……」
浮かび上がったのはとてもとても見慣れた少年の姿。向こうもラルバに気づいた瞬間、引きつった下手くそな笑顔が一瞬にして崩れ去った。
「……なんだ、ルークじゃん。おっさんの弟子ってお前の事だったのかよ?」
「おっさん……!? あの人結構すごい人なんだよ?! 王国に仕える魔導騎士団の団長を、おっさんって……」
「でけえ声出すなよ。いいじゃんか、おっさんだって好きに呼んでいいって言ってたし」
「……はぁ。傷だらけだし、目の色変だし、少し心配したけど……相変わらずだな」
「お前の身長もな」
「なんだと!」
そんな二人の声を聞きつけて、イリスも姿を現した。
「あっ! ルークさんじゃないですか! お久しぶりですね」
嬉しそうに笑うイリスにルークも表情を一変させ、微笑みを湛えてお辞儀をする。
「イリスさん、お久しぶりです。イデアさんとファドはお元気ですか?」
「ファドならここにいるぜ」
挨拶するようにぴょこんと顔を出すファド。
「ただの蚕蛾に見えるけど……これがファド?」
「虫のせいか成長が早くってさ、変身できるようになったり糸出せるようになったり強くなってるんだけど普段はポケットの中に入ってるんだ。よくわかんないけど、この方が疲れにくいらしい」
同意の代わりにファドの触覚が揺れる。大きな目を細めて笑っているみたいだ。
「へええ、やっぱり変わってるなあ」
ルークが撫でるとファドも一層嬉しそうに翅を動かした。
「それで……お姉様なんですが……」
「こんばんは……ルーク君……」
イリスがびっくりしたように振り返ると、手も膝から下も消えたイデアの姿。
ロタスに支えられ、ルークと目が合ってもほんの僅かに口角を上げるだけ。
「あっ、お姉様! 動いたら駄目じゃないですか!」
「ごめんなさいね。どうしてもイデアちゃんが、あなたに一目会いたいと言って聞かなくて……」
「イデアさん……!? それにあなたは……?」
「このお婆さんはイキシアの長老です。とても良い人なんですよ」
こんばんは、と丁寧に頭を下げるロタス。
「イデアさんは、魔女から呪いを受けているんだ。早く月華草を見つけないと消えちゃうんだよ」
思ったよりも状況が切迫していることに、ルークはすぐに理解したようだ。
「……わかった。すぐに出発しよう」
「ああ。それで、山へなんだけど……オレとファドとルークで行こうと思うんだ」
「え、何故ですか?」
「鳥の影が山の方へ消えていくのを見たのです。念のため、イリス様はここに残った方がいいかと」
「まさか……ジルエットか?」
ルークの目がカッと見開かれた。
「……どうした、ルーク?」
「ずっと前、ハンナさんって人が教えてくれたんだ。森に竜が現れたのはジルエットが竜の封印を解いたせいだって」
「ルークさんも先生に会ったんですか!?」
「ええ、コーラムバインで。ジルエットに大事な物を盗まれたらしくて、ずっと探していましたよ」
「……あいつ、マジで何が目的なんだ?」
「さあ? 知らないけど、とにかく、僕もイリスさんが行くのは危ないと思います。だからイリスさんはフォルテさんと一緒に、イキシアを襲撃された時のためにここを守っていてくれませんか。……僕達の村のようにならないために」
目的も信条もバラバラな彼らだが、一つだけ共通していることがある。
それは全員”故郷を奪われた人間である”ということだ。
残れと言われた時は悲しそうな顔をしていたイリスだったが、ルークのその言葉で顔を上げた。
「……わかりました。私ができる事を頑張ります」
「私も……イキシアが襲われた時は……加勢するわ」
フォルテも無言で頷く。
今まで特に目的もなく生きてきた。旅を始めた時でさえ、行くあてもないから他の人についてきただけだった。
今なら、昔とは違うとはっきり言える。二度と大事な人を失わないように、変わると決めたんだ。
「オレも……頑張るよ。必ず月華草を見つけてみせるから」
(皆を守りたい)
ラルバの言葉に呼応するようにファドも呟く。
結束から程遠かった彼らが、初めて一つになった瞬間だった────しかし、そんな彼らに水を差すかのように、鳥の影が星空を切り裂く。
「ジルエット……!?」
すかさずフォルテとルークが戦闘態勢に入り、イリスはイデアとロタスを家の中に隠したが……ラルバは異変を感じた。ジルエットにしてはだいぶ小さくね? と。タナトスと比べても小さいような気がする。
フォルテが石の礫を飛ばすも、鳥はひらりひらりとかいくぐりながら近づいてくる。しかし、どれほど近づいても鳥の影は大きくなることなく、やがて月光に照らされた小さく青い翼が彼らの目にはっきりと映った────
その正体に気づいたイリスの目が、みるみるうちに大きく見開かれていく。
「まさか……ピッコロじゃないですか!?」
「ピッコロ?」
首を傾げるルークに興奮しきったイリスが言う。
「村に住んでいた時の私のお友達ですよ!!災厄の日に死んじゃったと思ってたのに……」
「そうだ、僕達で探しましたね。見つからないと思ってたら、無事に逃げ切っていたんですね」
イリスが差し出した手に、ピッコロが止まる。
「ピッコロったら!! もう……一体今までどこにいたんですか!! 私……」
涙混じりの声に応えるかのようにピッコロが鳴く。しかし何を言っているのかは、相変わらずイリス以外にはわからない。
「ピッコロはなんて言ってる?」
「『ここら辺に避難してたんだよ~』ですって。よく私達がここにいることがわかりましたね?」
「『ボク、目がいいし、ずっと飛んでたからすぐにわかったよ!』」
ピッコロは心なしかどや顔で胸を張る。
彼の様子を見ていたルークが「そうだ、ラルバ」と耳打ちしてきた。
「この子もいてくれたら月華草探しがすごく楽になるんじゃないか? 空から探せるし」
「え~……オレこいつ苦手なんだけど……ま、しょうがねえか」
正面衝突という最悪の出会い方をしたせいで良い印象がないが、イデアを救うためだ。
「イリスさん。月華草探しにピッコロ君を連れていきたいんですが、いいですか?」
ピチチ! と高く鳴くと、イリスが答えるまでもなくルークの肩へ飛んでいく。
「是非、連れて行ってあげてください。気まぐれなので、飽きたらすぐどこかに行っちゃうかもしれませんけど……」
「その時はしょうがないです」
「ピ!」
心配なところも多いけれど、探索ができる仲間が更に増えたのは心強い。
「あなた方に、神様のご加護がありますように」
「長老様、心遣い感謝いたします」
一見、人智を超えた強大な力に一方的に追い詰められ、先の見えない夜の霧の中を彷徨い歩いているように見える。でも、決して一人ではない。その心強さに、いつの間にかラルバが感じていた胸騒ぎも不安も夕暮れよりも薄らいでいた。
今ならきっと、イデアさんを助けられる。どんな絶望も切り開ける────切羽詰まっている状況は変わらないのに、不思議とそんな希望に満たされていた。




