第十二話 隻眼の一匹狼
彼らは小高い丘が続く道を抜け、薄暗い森林地帯に踏み込もうとしていた。
しばらく誰かが足を踏み入れた形跡はなく、かつて自分達が住んでいた森よりも鬱蒼としていてどこか気味が悪かった。
「なあ……本当にこの先に村があるんだよな?」
「イキシアは、私達の村よりも歴史が古いもう一つのゲムマ族の村と聞いてるわ。でも、過疎化が進んでるのかもしれないわね……」
空は無数の枝葉が覆いつくし、足元は緩やかな坂と湿った落ち葉で歩きにくく、まるで来る者を拒むかのように大量の杭が突き出ている。絶えず漂う血と獣の臭いには吐き気さえ覚えそうだ。
「この杭……ジェイドの仕業かしら?」
「でも、今のところそんな気配は」
イリスが言いかけたその時、周囲の木が一斉に激しく揺れた。まるでケタケタと笑い声をあげているかのように。
フォルテは足を止め、上に向かって岩を飛ばす。
「誰だ……そこにいるなら出てこい」
フォルテが威圧をかけるも、当然ながら返事はない。
周囲を見回しても誰もおらず、辺りには再び不気味な静寂が訪れた。
誰もいない。それなのに、ずっとどこからか視線を感じる。森に監視されているのか、動物かジェイドに狙われているのか────見えない不安が次第に心を支配していく。
それでも杭を避けて一歩歩き出した瞬間、ラルバの肩の上にいるファドが叫び声をあげた。
(あ、足元を見て!!)
「……え? なんですか?」
イリスと、それにつられたイデアが下を見回しているが、何も見つけられないでいる。
視界に映るのは、獣道を埋め尽くす落ち葉だけ。────何も知らない人ならそう見えるだろう。が、ラルバは気づいていた。
「イリス、これはカモフラージュだ。ほらよ!」
落ち葉を蹴散らすと案の定、姿を現す大量のまきびし。小さくて目立たないけれど、踏み抜いた者の靴底に穴を開ける鋭い棘を持っている。
「うわぁ、こんなの踏んだら、歩けなくなりますね……」
「それだけだったらまだマシだ。毒とか糞が塗ってあったら最悪死ぬから、絶対に踏むんじゃねえぞ」
「これもまさか……」
「兄貴の仕業だと思う。多分そこら中、罠だらけになってるから気をつけて。ファド、お前はポケットに引っ込んでろ」
(わかった、潰さないでね)
ファドはラルバの手に乗って、ズボンのポケットの中へと潜り込んでいく。
ラルバを先頭に、彼らは慎重に歩みを進める。その途中にもまきびしや杭、意味深に頭上に吊られた槍や斧も見かけた。矢が刺さって死んでいる哀れな鹿の姿も……森に漂う悪臭の正体は、罠にかかって死んだ動物や人間達の死臭なのだろうか。そう考えたら、背中と額にじっとりと嫌な汗が滲んできた。
たしかに兄貴は昔から罠で人を困らせるのが好きだった。でも、昔作っていた罠といえば泥水で満たした落とし穴に嵌める程度のもので、死傷させるような罠は作らなかった。当時、既に殺傷能力を持つ罠の知識があったにもかかわらず、だ。なぜなら先程披露したまきびしの知識は他でもない兄貴に教わったものなのだから……
今まで、ずっと兄貴の無実を信じてきた。表面上はどれだけ凶悪で歪みきっているように見えても、内面に不器用な優しさを持つ人だと。
でも時の経過と共に、兄貴は本当に悪魔へと変わってしまったのかもしれない────
「……こんなところで夜を明かすことになったらどうしましょう」
「最悪、木の上で休むしかないな。イデアさんとイリスは木に登れる?」
「いいえ……」「登れないわ」口々に答える二人に彼も他の策を考えていたが……ふいにフォルテが口を開いた。
「どこで休もうが、いつものように壁を作れば罠からは守られる。ジェイドだろうが動物だろうが、襲ってくるならこのおれがまとめて始末してやろう。だからお前は、自分の心配だけしていればいい」
「フォルテ……」
いつものような仏頂面で淡々とした語調なのに、かつて、これほどまでにフォルテを心強く感じたことはあっただろうか。
「……でも、オレは?」
「時と場合による」
「やっぱ冷てえな」
それからしばらくして。
再び、木々が一斉に笑い出した。
「!!」
次の瞬間、ラルバの目に入ったのはフォルテの飛ばす岩をかわし、木から木へ駆け抜けていく人影。そして唐突に丸い物が降ってきて破裂、真っ白な煙が噴き出した。
「きゃ!」
「イリス様、こちらに」
どこかでイリスとフォルテの声がする。
「イデアさん、どこだ?」
きっとイリスはフォルテが守ってくれる。オレはイデアさんは守らなきゃ────何も見えない中で彼女の姿を探していると。
「うぁっ!」
ふいに何かに思いきり突き飛ばされ、ラルバの身体は茂みの中に突っ込んでしまう。
抵抗する間もなく地面に押し倒され、首を圧迫されてぷつん、と意識が途切れた。
◆
目を開けると、薄汚れたフードを身に纏った男が馬乗りになってナイフを突きつけていた。
「おっと、変な抵抗はするなよ。さもなきゃ生きたままお前の臓物を引きずり出してやるからな」
「あ……、兄貴……?」
やっと声を絞り出すと、フードから覗き見える口角が片方だけ上がった。
「お前らは一体何しにここに来た? 知ってて来たんだろ? 悪逆非道の殺人鬼ジェイド・ウィンチェスター様がここにいるって事をよ!!」
右目がギラギラと光っている……。
威圧に負けないよう、必死にその目から逸らさないようにラルバも言い返した。
「リリィ山脈にある幻の薬草を探しに来てたんです! 兄貴がここにいるかもって事は知ってたけど、別にどうするつもりもなくって……それで」
目を泳がせ、次第にしどろもどろになっていくラルバを男はただ黙って見つめていたが、突然鼻で笑った。
「……ハッ、とんだ命知らずもいたもんだな。お前がラルバじゃなきゃ、ぶっ殺していたところだ……まあいい、脅して悪かった」
ここに来てようやく男はラルバを解放し、顔を隠すフードを取り去って見せた。
顔は日に焼けて左目には黒い眼帯、鮮やかだった翡翠色の右目は今や茶色く濁りきっていたけれど、彼は紛れもなく十年前に姿を消したジェイド・ウィンチェスターだった。
「歓迎するぜ、ラルバ・ウォラーレ」




