第十話 殺人鬼と兄貴
次の日の朝早く、町を発つ前にミカエラに会いに行った。
決して、別れを告げるためなどではない────昨日、買い物に付き合ってもらった際にこんなやり取りがあったのだ。
ラルバは自分を刺した事をばらすとゆすり続け、旅で使うほとんどの物資をミカエラの金で手に入れることに成功していた。その帰り、運搬を手伝っていたミカエラが言った。
『こんなに沢山買って……これからどこへ行くつもりなの?』
『リリィ山脈ってとこ』
返事が返ってこないことを不思議に思って『……なんか言えよ』と彼女の顔を見返した。
『あそこはヤバいから、やめといた方がいいよ』
『なんで? どうしても行かなきゃいけないんだけど』
『……あんたらってホント変わってるね。ただの旅人じゃないでしょ。どっから来たの?』
『南にあった森』
何かを察したミカエラは、スンッと真顔になった。
『…………帰る場所を探してるの?』
『いいや、別に。とにかく今は一刻も早く山脈を目指さなきゃいけない。帰る場所ならその後考える』
『ふうん、なんか知らないけど大変そうね。良い事教えてあげるから、あんたの仲間と一緒に明日の朝、あたしに会いに来て。じゃないと、皆死ぬかもしれないから。冗談抜きで』
『はぁ……めんどくさ。今じゃ駄目なの?』
『あたしも仕事あるし、あんたの仲間みんな寝てるでしょ! 死にたくないなら、あたしの言う通りにして』
『は、はあ……わかったよ』
その気迫に押され、今、こうしてイリス達も引き連れ彼女について行っているというわけだ。
そして行き着いた先は────大きな公園だった。中央には大きな掲示板が建っていて、沢山の紙や似顔絵が貼りだされている。
「あの……なぜここに?」そう問いかけるイリス。
「ここにはね、色んなニュースや尋ね者の指名手配書が掲示されているの。あたしが見せたいのはあれ。左の端っこにある古ぼけたやつ」
ミカエラが指差した似顔絵は他と比べて明らかに劣化していたが、人物像はなんとか読み取れる。十代前半の少年だが、ツンツンととがった髪に、ナイフのような鋭い目つきが人を寄せ付けないオーラを醸し出していた。
って、あれ? オレ、この顔見覚えがある……
イデアとイリスがその顔の下に書かれた文字を見て、血相を変えた。
「”ジェイド・ウィンチェスター”……!!」
「ああ、やっぱり知ってるんだ? てか、有名だから知らない方がおかしいわよね」
その名前……兄貴と同じ名前だ!
「あれ、でもオレより五歳は上なのに、この絵はどう見ても年下だけど……」
「バーカ、それは十年近く昔の絵よ。ずっと行方不明だから、今どうなってるかわからないの」
行方不明。
時の流れに掠れかけていた記憶が呼び起され、心臓が大きく脈打つ。
毎日一緒に遊んでいたのに、ある朝急にオルミカに告げられたあの言葉。
『ジェイド君はもういないよ。オニキス君のおばあちゃんをうっかり殺して、逃げちまったんだ』
「そ、それで……一体なんで指名手配なんかに……」
「えっ、あんた知らないの? あいつ、殺人鬼だよ」
いや、違うと声を大にして言いたかった。
慎重な兄貴が事故死させるようなヘマをするわけがないし、故意だとしても人を殺すような度胸が兄貴にあるはずがない。結局、誰も信じてくれなかったけど……
「でね、ここからが本題なんだけど……あいつ、リリィ山脈に潜伏してるって噂なんだ」
「それは、どうしてですか?」
「まず、目撃情報が一切ないこと。リリィ山脈なら、普通の人は入ろうとしないから目撃情報が無いのもわかるでしょ」
「それから」ミカエラが声を潜めた。
「ここ数年、物好きな探検家や幻の薬草目当てで商人が何人も入ってるんだけど、だぁれも帰ってこないんだって……ハルモニアの怒りを買ったからって言う信心深い奴もいるけど、山に潜伏しているジェイドが皆殺しにしているから……って話」
指名手配されてるからって、誰も兄貴の事なんも知らねー癖に好き放題言いやがって……
目を見開いたままのラルバの心情を、ミカエラは知る由もない。
「ま、あたしが伝えたかった事はこれだけ」
「……忠告ありがとうございます、ミカエラさん。何故こんなに親切に教えてくれるんですか?」
「リリィ山脈へ行くって聞いたんだもの。あたしだって情が無いわけじゃないから止めたけど、どうしても行くって言うから教えただけ。精々気をつけていきなさいな」
◆
今までの雨模様が嘘みたいな快晴だった。
道は綺麗に整備されていて、周辺には夏の花が咲き乱れ、青々とした木々が並ぶ道となっている。北へ続く道は二つに分かれ、一方は彼方にかすかにお城の影が、そしてもう一方は一際大きな青い山々へ続いている。きっと、そこが次に目指すリリィ山脈という場所だろう。
ファドが心配そうにラルバとイリスの顔を見上げる。
視線に気づいたイリスは、腫れた目で笑みを作って彼の頭を撫でた。心なしか、また少し背が伸びたような気がする。あんなにブカブカだった黒い帽子はすっかりフィットしていた。
「そういえばラルバさん……ずっと気になってたことがあるんですけど」
「うん?」
「ジェイドさんってどんな人だったんですか?」
「────兄貴? 周りの人は全員敵だって思ってて、だからわざと喧嘩腰で話したり人に嫌われるような事ばっかりやってた」
「それなのに、どうして仲良くなったんですか?」
「ずっと昔、雨の中、森で迷子になってたオレを助けてくれたんだ」
ラルバが遠い空に目を向け、ぽつりぽつりと語りだした。
それは十二年前。雨降る森の昼下がりのこと。
母親の手伝いも終わって、暇を持て余していたラルバは一人でニレの町へ行こうと村を飛び出した。
しかし、走ってるうちにうっかり道を外し、自分がどこにいるのかわからなくなってしまったのだ。
森を出ようと歩いていたらますます深く入り込んでしまい、雨脚も強まってきて途方に暮れて泣いていたところ、突然どこかから声がした。
『お前、そんなとこで何やってんだ』
辺りをきょろきょろしていると、木の上からロープが降ってきて少年が下りてきた。
鋭い目つきと、なんだか格好いい黒いマントが特徴的な少年だった。
『ニレまで行こうと思ったのに、迷っちゃったの』
『ハッ、バカじゃねーの? しょうがねーから、今日だけ特別に連れて行ってやるよ。オレ様に感謝しな』
そう言いつつも、少年はずぶ濡れのラルバに自らが纏っていた黒いマントを被せ、ニレまで手を引いてくれた。
『僕はラルバっていうんだけど、名前はなんていうの?』
『あ? 別になんだっていいだろ?』
『じゃあ兄貴! 僕、森の奥の村に住んでるんだけど友達も兄弟もいなくて寂しいの……だから友達になってくれる?』
『はぁ? 調子に乗んじゃねえ。オレ様はクソガキに構ってる暇はねーんだよ。ニレに着いたらとっとと失せな!』
しかし、当時のラルバにそんな威嚇は通用しなかった。
ただ、困っていたところを助けてくれた、濡れないように黒いマントを着せてくれたという事実だけが残っていたのだ。
しかし────ニレに着いた時、ラルバは衝撃を受けた。
あんなに優しかった町の人々が、少年の姿を見た瞬間に態度が豹変したのである。
ラルバを無理やり引き剥がすとマントを捨て、少年をまるで誘拐犯のように捕まえようとした。
しかし少年はそんなの慣れているようで、お礼を言う間もなく颯爽と森の中へ姿を消したのだった。
後に、少年の正体は悪名高き”ジェイド・ウィンチェスター”であることを知った。
「後で『あいつには近づくな』って耳が痛くなる程言われたよ。兄貴もずっとオレから逃げ回ってた。落とし穴に嵌められたり、カゴの中に閉じ込められたりもした。でも多分、オレが一緒に白い目で見られるのを防ぐためだったんだと思う」
「つまり、ジェイドさんは根は良い人というわけですね」
「超大人嫌いだったのはたしかだけどな。それに超人間不信だった。だから兄貴に信じてもらうために、ずっとついて行った。そしたら兄貴も話しかけてくれるようになって、仲良しになれたんだ」
ラルバはここではない遠くを見ていたが、その表情は村が無くなってから一番楽しそうな笑顔だった。




