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イリスの灰色の世界~白の女神と黒の魔女~  作者: 右京 直
第三章 無垢より純黒に
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第六話 黒、黒、黒 ①

 謎の物乞いに案内されるがまま町の外へ向かって、ラルバはファドの身体を抱いて歩いていた。その後ろを、身体を強張らせたイリスがぎこちない足取りでついてくる。


「イリス、怖いのか?」

「怖いに決まっています!」


 彼女はそっとラルバを引き寄せ、物乞いには聞こえないよう耳元でささやいた。


「だって、ずっと誰かからつけられている気がして……」

「……え?」


 辺りを見回すが、こんな夜に誰もいるわけがない。街灯もない道の中、人がいればランタンの明かりくらい見えるだろうが、彼が見回す限りその光も見当たらない。


「誰もいないけど」

「そ、そうでしょうか……?」

「ビビりすぎだよ」 

「だって、魔女がこっそり追いかけてきていて、いきなり襲ってきたら嫌じゃないですか! 万が一、私が魔女にやられたら私や世界はどうなっちゃうのか……想像もしたくないです」

「知らねーけど、皆死ぬんじゃね」

「そうなるかもしれませんね。村を焼いた竜は、ジルエットが解き放ったものだと聞きました。ジルエットの親玉が魔女であることを考えると────実行犯はジルエットだとしてもそれを命令したのは魔女である可能性が高いですから……本当に魔女は神の力をもって、全てを壊すつもりなのかもしれません」

「…………」


 何日もの間この周辺で降り続けていた雨はようやくあがり、今は半分に欠けた朧月が淡く光っている。


 イリスは得体も知れない奴に毅然とした態度で交渉をしていたが、怖いのが自分だけではなかったことがわかって少しラルバは安堵した。が、同時に彼女の言葉に一抹の不安を覚えてもいた。


 魔女は全てを壊すつもり……か。


 ラルバは、マントの中で穏やかに眠るファドを見つめながら考えていた……大事な人を守るためにはどうしたらいいのだろう、と。

 強くなるっていったって、あんな化け物集団にどう立ち向かえというんだ。どうやって……


 少しずつかげっていくラルバの表情を見て心情を察したのか、イリスは微笑んで付け加えた。


「でも大丈夫ですよ、私達にはお姉様がいますから。あとは頑張って薬草を手に入れれば、もう魔女は敵ではありません」

「ああ……そうだな」


 どのみち、イデアさんは魔女と戦う運命にあるらしい。でも、自分は何もできない。


 ふいにずっと黙っていた物乞いが「ああ、そうそう」と口を開いた。


「魔女様の前ではワタクシは下手に動けません故、あなた方にはこれをお渡ししておきましょう」


 そう言って物乞いがラルバに渡したのは、一枚の金貨であった。


「お、おう……」


 今こんなの貰ってどうすんだよ……と眉をひそめるラルバに物乞いは続けた。


「それはただの金貨ではございませんよ。ワタクシが魔法をかけておりまして、空に放ると金色の騎士に変化致します。もし姉上様をお呼びしたいとき、そっと街の方へ投げるとよろしいでしょう」

「ありがとうございます、物乞いさん。優しいんですね」


 笑いかけるイリスに、物乞いは親指と人差し指で輪っかを作ってみせた。


「いえ、報酬のためですので」

「金の亡者じゃねーか」


 つい口が滑って本音がこぼれてしまったが、恐らくイリスも同じ感想を抱いていたのだろう。これ以上は誰も何も言わず、黙って歩いていた。


 町を離れるごとに平坦な道から徐々に緩やかな傾斜がついた坂へ変わっていき、やがて小さな丘がいくつも連なる丘陵地帯に辿り着いた。

 

「さて」


 一番手前の丘の頂に辿り着くと、物乞いは足を止めた。


「魔女様、仰せの通りに女神様を連れて参りましたよ。姿をお見せ下さいませ」

「はいはい、ありがとうタナトス」


 声が聞こえたかと思うと、夜空からとても見覚えのある人影が舞い降りた。

 つばの広い大きなとんがり帽子を被ってはいるものの、その美貌と目を奪われそうになる艶やかな体つきはイデアと瓜二つであった。違いといえば、イデアが金色かかった真珠色の長髪に対して目の前の女は紫がかった黒髪であること、そして瞳の色が鮮やかな紅蓮に染まっていることだ。


 彼女はイデアと同じ優しい微笑みを浮かべ、頬杖をついて椅子に座っているような姿勢で低空を浮かんでいる。


「ごきげんよう。今夜は月が綺麗ね」

「お姉……様?」

「あんなのと一緒にしないでくれる? 私が世界で一番大嫌いな女なんだから」

「は……()()()()? てめえ何様のつもりだ?」

「あらあら、私にお願いする側なのにそんな喧嘩腰でいいのかしら? なんだったら、すぐにでもファドを殺してもいいのよ? そもそも生むつもりもなかったし、生かしといたってすぐ魔力が切れて死ぬような失敗作なんだから」

「う……」


 イリスも何も言わなかったが、顔に怒りを滲ませ、拳を震わせていた。


 オレ達が強く出られないからって好き勝手ほざきやがって────見た目はほぼ同じなのに、こんなにも性格が違うものか。


 抑えきれていない怒りを深呼吸で落ち着かせたイリスは、静かに切り出した。


「……魔女さん、私達が何の為にあなたに会いに来たのかおわかりですね?」

「さあ? ちゃんと言葉と行動で意思表示してくれないとわからないわ」


 思わず殴りかかりそうになるラルバをイリスは手で制し、躊躇なく頭を下げた。


「……ファド君の命を、助けてほしくて会いに来ました。お願い…します……」


 彼女に無言で促され、ラルバも一緒に頭を下げる。


「アハハ! この人間ならまだしも女神様ともあろうものが頭を下げるなんて無様なものね、アハハハ」


 くそ、なんでこんな奴に頭を下げなきゃいけないんだ……!!


 ひとしきり嘲り笑って満足した魔女は、地面を指差す。


「いいわ。助けてあげるからそこにファドを置きなさい」

 

 なんだか嫌な予感がしつつも、言われるがままラルバは青い柔らかな草の上にファドを寝かせる。

 魔女が口角を上げ、三日月のような気味の悪い笑みを浮かべた。その刹那、彼女の輪郭が崩れて空に浮かぶ黒い火の玉になる。


 ん? これ、どこかで見たことあるような…………あ。


 突如、イデアとよく似た女と夜の住宅街を歩いていた記憶が蘇る。

 仲間達には秘密で願いを魔女に叶えてもらおうとしていたラルバを、彼女は優しく抱きしめて受け入れてくれたけど……直後に今のような黒い火の玉の姿になってラルバに入り込んでしまったのだった。

 その後は、断片的にしか思い出せない。気づけば自分を探しに来てくれたルークを『消せ』という心に響く声のままに傷つけようとしていた。ルークがすぐに気づいたおかげで誰も傷つけずに済んだけれど、殴られて失神したせいでそれ以降は何も覚えていない……。


 もし今この魔女がイリスに入り込んだら一巻の終わりだ。それにファドが、そしてオレが操られたら────イリスを傷つけてしまうかもしれない。

 そう考えたラルバは、彼女の腕を掴んだ。


「何するんですか?!」


 夜にこだまする魔女の高笑い。火の玉────魔女が空を舞う。

 

「イリス……ごめん! イデアさんを連れてきてくれ!」

「ちょっとまさか私を投げっ……きゃああああぁぁぁぁっ!!」

 

 甲高い悲鳴と共に町に目掛けて吹っ飛んでいくイリス。

 ここら辺は草原や花畑が多かったし、低めに優しく投げたから大きな怪我はしないだろう……多分。だが、彼女を見送っている暇はなかった。


 魔女が選んだのはファドだった。火の玉がファドの身体に触れた瞬間に溶けていき、崩れかけていた彼の身体がみるみるうちに再生されていく。


 ラルバは数歩後ろに下がり、左手に短剣、右手には物乞いから貰った金貨を握って様子を伺っていると、音もなくファドは身を起こしてこちらを見た。


 あれ、魔女の魔力のせいか、心なしか身長が伸びているような────?


「……ファド? 大丈夫か?」


 ふらふらと起き上がると、突如彼の背中を突き破り二対の真っ白な糸の束が現れた。


「ッ!?」


 糸の束はしばらく触手のようにうねうねと蠢いていたが、更に束が分かれて無数に分裂、意思を持っているかのごとくラルバに襲いかかった。

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