第四話 恋と悪意
時は過ぎ、太陽が雨雲に隠れているせいでいつもより早く空は暗くなる。
束の間の温かな安らぎの中、慣れぬ長旅に疲れた一行は各々寝床についていたが、ラルバだけは眠れずに身を起こした。
コーラムバインを旅立つ直前、イデアが調合してくれた睡眠薬を飲もうと思ったが──────ミカエラの事が頭をよぎって手を止めた。
……どうせ暇だし、行ってみようか。
単独行動はしないでとイデアは言っていたけれど、ミカエラと一緒なら単独行動ではないだろう。
皆が眠っているのを確認して、忍び足で部屋を出ると隣の帽子屋に向かった。
「よう、ミカエラ」
彼女は日中と同じようにカウンター奥の椅子に座り、やる気なさげにツインテールを指にくるくる巻きつけている。
「遅かったじゃない。町を案内しようにも、もう喫茶店しか開いてないよ」
「ちょっと色々あって遅くなっちゃったんだ」
「ふぅん、別にいいけど。しょうがないから、喫茶店でお茶でもしながらお話しましょ」
「喫茶店?」
「あら知らないの? まぁ行ってみればわかるよ」
一つの傘の中に二人で入りながら、夜のローズマリーズを歩く。
花の色も町の明かりも夕闇に滲んで、夢の中の幻想に見えた。
それにしても、距離が近い。帽子屋にいた時から思っていたけれど、この子は色々な意味で距離感が近い。
「ねぇラルバ、ちょっと寒くない?」
「そんな服なら寒いに決まってんじゃん……」
「……。ね、くっついてもいい?」
「え、ちょっ……」
返事を待たず、彼女はラルバの傘を持っている方の腕にくっついた。
「温かいね」と笑うミカエラの顔を見つめ、小恥ずかしいような、でも満更でもないような、なんともいえない気持ちになる。人目もはばからず、喫茶店にたどり着くまでそんな状態で歩いていた。
店内は茶色を基調とした落ち着いた風合いで、人々がカウンター前の席やテーブル席で酒やお茶、コーヒーを手に談笑している。
「ここは酒屋も兼ねてるのよ。だから夜になっても開いてるんだ」
「ふーん」
ミカエラは店内の一番手前の窓際の席を選び、さっさと座る。ラルバも彼女に従うように、正方形のテーブルに向かい合うように座った。
それにしても、なぜだろう。彼女を見る人々の視線はどこか痛々しい。「アバズレ」「まーた男遊びか」とかいう罵詈雑言が勝手に耳に入ってくる。
『大人は、気に入らない人間の事をあることないこと理由をつけて、悪く言いたがるもんなんだ』
ふいに、幼い頃に聞いた言葉が脳裏に蘇る。まさしく、その通りだと思った。
だがそれが一体誰の言葉だったのか、何故だか思い出せなくなっていた。まるで頭の中に靄がかかったようで────
「ねーえっ! 紅茶とコーヒーどっちにするって聞いてるんだけど?」
「あ? ああ、紅茶で……」
「もう、せっかくのデートなのにボーッとしないでよね」
「デ……デートなのか、これ?」
「他に何があるのよ」
心なしかうんざりした顔を浮かべる店員に素知らぬ顔で注文を済ませ、降りかかる白い目線をひたすら知らんぷりをしているうちに、頼んでいた飲み物が来た。華やかに香る鮮やかな紅茶と、木の器に入れられた独特の匂いを放つ赤紫色の液体。これは────たしかワイン?
「お前、酒が飲めるのか?」
「えへへ、飲めるよ」
「へーマジか、すげえな」
ラルバは昔、くすねてきた酒を一度だけ舐めてみたことがあるが、その不味さと喉が焼けるような熱さに咳き込み、それから二度と酒は飲むまいと固く胸に誓っている。
適当な相槌を打ちながらラルバがひたすらお茶に砂糖を入れていると、彼女がおもむろに口を開いた。
「そういえば、あの子とは付き合ってるの? ほら、今日お店に一緒に来た桃色の髪の子と……」
「イリスのことか? あの子とは何もねえよ。好きだけど、そういう好きじゃない」
「女としては見れないってことね。妹とか、そんな感じ?」
「そうそう! まさにそんな感じ」
「じゃあ、好きな人は?」
「いる、けど……」
この感情をどう言い表せばいいかわからず、ラルバは思わず言い淀む。
イデア─────欠点がわからないくらい性格もスタイルも完璧なのだけれど、どこかミステリアスで神秘的な雰囲気を纏っているせいか、ずっと一歩踏み出せない状態にある。優しくて綺麗なまま姿の変わらないイデアがラルバは幼い頃から好きだったが、それが恋なのか、恋を知らぬラルバには未だわからないのだ。
ミカエラは頬杖をつき、なんとも愛らしい笑顔でラルバを見つめる。
「フフフッ、ラルバってウブなのね。遊び慣れてそうなのに意外~」
「……」
「気にすることないよ。誰もは最初はそんなもんだし」
……ウブってなんだろうと花蜜のようになったお茶をすすりながら考えていただけのだが、なんとなく聞けずにいた。
というか、上から目線で腹が立つので逆に聞いてみた。
「で、そういうお前はどうなんだよ?」
「あたし? 色んな男と付き合ったりしてみたけど、なんか誰とも長く続かないんだよねぇ~。一夜限りで終わった男もいるし」
「……それで他の奴らがアバズレだとか言ってたのか」
「あはっ、やっぱ聞こえてた?」
ワインをあおり、テーブルに勢いよく置くミカエラ。
「でもさ、考えてもみてよ。他の同年代の女は結婚してる奴もいるっていうのに、あたしはどうよ。毎日クソ親父と喧嘩して、一日中店番だの呼び込みだのさせられてさ、生きてて退屈なのよ? あたしだって他の子みたいに幸せになりたいだけなのに、なんであたしだけボロクソ言われなきゃなんないの!? 何にも知らない奴らにどうこう言われる筋合いなくない!?」
「お、おう……それは大変だな」
「あー、いっそ、家出しちゃってブバルディアに行きたいなぁ~。ね、ラルバ旅人でしょ? 一緒に駆け落ちしない? あなたとだったら行きたいなぁ」
身を乗り出し、真っすぐラルバを見据える。
「は? ────マジで言ってる?」
「マジだけど」
「いや……それはやめておこう? オレも仲間がいるし、お前も家族がいるんだろ? 急にいなくなったら、びっくりすると思うんだ……」
「あたしがいなくなっても悲しむ人なんかいないわ……親父とは関係最悪だし、町の人もあんな感じだし。もうわかるでしょ? ここにあたしの居場所はないってこと。こうやって接してくれるのはあなただけってこと」
「……」
ラルバは出会ったばかりのはずの彼女に、少しばかり親近感を覚えていた。
「じゃあ、せめて教えて。あなたはあとどれ位でこの町からいなくなっちゃうの?」
「さあ、わかんないけど、明日とか、明後日とかかな」
「やっぱり長居はしないのね……。ね、あなたはあたしの事どう思うの? やっぱりアバズレって思う? 軽蔑する?」
「いや、別に……ヤバい奴だとは思ったけど嫌いじゃない」
「じゃあ、お願い。どうせすぐお別れになっちゃうなら、せめて今は側にいて。できれば……抱きしめて?」
「!」
酔いが回っているらしく、潤んだミカエラの瞳がじっと彼を捕らえて離さない。
そんな目で見つめられたら────────
熱くなる頬を手で隠しつつ、揺らぐ理性を保つために目を合わせずに首を振る。
「でも……イリス達が心配するからオレは帰らなきゃ」
「じゃあ、あたしの家まで送ってくれる? こんな状態じゃ一人で歩けないから……」
「えぇ? わかったよ……」
どうやら、今日はとことん人を介抱しなければならない日らしい。
何もしなくても、勝手にラルバの腕にしがみついて幸せそうな顔を浮かべるミカエラを横目に、どうしたものかと困っていた。
ミカエラの足を見ただけで不機嫌になっていたイリスのことだから、こんな状態を見たらしばらく口を利いてくれなくなるに違いない。それに、いつ彼女達がラルバがいないことに気づいて探しにくるかもわからない。一刻も早く送り届けなければ────
だが、そんな彼の本心とは裏腹に、一番恐れていた事態が発生する羽目になる。
◆
夜も深くなってきた頃、雨は霧雨となり、街灯や町の明かりに照らされてキラキラと輝いている。
うっとりと夢心地な表情を浮かべるミカエラに、ラルバも次第に揺らぎつつあった。
彼女は相当遊び慣れているらしい。彼女にとって、ラルバも退屈と満たされない愛情を紛らわすための遊び相手にすぎないのだろうか? だがこの眼差しはまるで本当に恋をしている乙女のような────
しかし霧の中に、立ち尽くす人影が見えた。まさか、と思った。
「…………ラルバさん?」
現れたのはやはりイリスだった。予感はしていた、だが、一番避けたかった最悪の事態に何も返事ができなかった。
しかし、隣のミカエラは一層腕を強く抱きしめて、余裕たっぷりに手をひらひら降る。
「こんばんは~、子供はもう寝る時間よ? こんなとこで何してるのかな?」
「子供────に見えるかもしれませんけど、あなたの隣の人と同じ十七歳ですよ!? 何してるも何も、勝手に抜け出してきたその人を捜しに来たんですけど!」
この状況、そして子供呼ばわりにイリスは相当頭にきた模様。目を見開き、丁寧な言葉遣いを崩さないながらも怒りに声を荒げる彼女をラルバは初めて見た。
「えぇ~? そんな風に見えない~」
「……って、オレと同い年だったの!?」
「そんな、ラルバさんまで! 知らなかったんですか!?」
「うん、ごめん……てっきり十四か十五歳くらいかなって……」
「………………」
「ひぇっ」
イリスから放たれるオーラがますますどす黒く染まっていく。
「……とにかく。どっちから誘ったのか知りませんが、あまりその人を誘惑しないでもらえますか。残念ですが、彼には他に好きな人がいるんです。そうですよね?」
「な、なんで知ってるんだ?」
「そんなの、お姉様への態度を見てたら言わずともわかりますよ。そういうことですからさっさと離れてください」
「彼に女とすら見られてないあんたが何言ってるの? 決定権なんかあんたにないんだけど」
「ッ……!! 私はただ……心配しているだけなのに……」
急所を突かれたかのようにうつむいて震えだすイリス。今にも泣きそうなのを堪えているように見えて、見るに堪えなくなった。
「あのさ、イリス」
不満げに縋りつくミカエラの腕をそっとよけて、イリスに歩み寄った。
「ねえラルバさん。私、本当に心配してるんですよ? なんで急にいなくなったりするんですか」
「ごめんって……少しミカエラとお茶したらすぐ帰るつもりだったんだぜ? ホントに」
「それなら一言くらい言ってくれてもよかったじゃないですか。また何も言わずにいなくなったりするから……」
「……また?」
「なんでもないです、何事もないなら何よりです。お姉様が起きるとまた心配かけると思うので、さっさと帰ってきてくださいね」
幾分か冷静さを取り戻したイリスはラルバに背を向け、彼が止める間もなく走り去ってしまう。
「あの子、束縛激しいね。ラルバが自分の物って勘違いしてるんじゃないの? ああいう大人しくて清純そうな女に限って、裏でめっちゃ腹黒かったりするんだよねー」
「イリスは知らねーけど、お前もだいぶ腹黒かったぞ……」
「ええー? 私清純ですよーってぶりっ子してるより、最初から表に出してる方がマシだと思うけどなぁ? そう思わない?」
「どっちも嫌だ」
「あーあ、せっかくいい感じに酔ってたのにすっかり白けちゃった。帰って寝よっかなぁ」
さっきまで恍惚とした表情を浮かべていたのが嘘のように、真顔でミカエラは歩き出す。
「ミカエラ……お前、酔っぱらって歩けないんじゃ」
「歩けないわけないじゃん。ちょっとでも触れていたかっただけ……だって、あたしはあなたが好きだもん」
「え」
最後に飛び出したその一言に射抜かれ、ラルバは言葉が出なかった。
「性格悪いかもだし、過ごした時間もあの子よりずっと少ないと思うけど、好きな気持ちと見た目は負けないと思うんだよ。あたし、こう見えて本当に好きな人には尽くすタイプだよ?」
「な、な……なんでそんなオレの事好きなの……?」
「あなた普通にイケメンだと思うし、その見た目でウブなとことか可愛いって思ったし、他にも」
「やっぱやめてくれ。聞いててこっちが恥ずかしくなる」
「あらあら、お酒飲んでないのに顔真っ赤になってるし。それで、女の子から告らせといて、返事はないの?」
「……そ、そうだな。えっと、その、ちょっと考えさせてくれ。明日、返事するから……」
視点の定まらないラルバに、ミカエラはクスクス余裕ありげに笑う。
「まぁ……出会ったばかりだし、戸惑うのも仕方ないよね。わかったよ、また明日待ってるから必ず返事を頂戴ね」
帽子屋の中に入る直前、彼女は呆然と突っ立っているラルバに「バイバイ」と微笑みながら手をひらひら振る。
この時、ミカエラはまだ知らなかった。ラルバやイリスと関わったばかりに、黒の魔女とその使い魔に目をつけられることになろうとは────




