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イリスの灰色の世界~白の女神と黒の魔女~  作者: 右京 直
第三章 無垢より純黒に
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第二話 ローズマリーズで休息を

 ────なんでオレがコイツを助けなきゃいけねーんだ。


 すっかり動きが鈍くなったフォルテの肩を抱き、ラルバはもうすぐ着くというローズマリーズの町へ急いでいた。


 フォルテは倒れたその時さえ、薬師として役目を果たそうとするイデアの手を拒んだ。

 それでも迫る彼女に、フードの中に顔を隠して観念したように言葉少なに呟いた────水が苦手なのだ、と。


「水浴びたらそんなヘニャヘニャになるの? なんで?」

「…………」


 ラルバの問いに答えない彼の様子に「とにかく、急いで町に行った方がいいかもしれないわね」とイデアは言った。それから彼らは、降り止む兆しの見えない雨から一刻も早く逃れようと町へ向かっているというわけだ。


 これほど長い間、雨の中にいたことがなかったのだろう。ましてや、一度に大量の水を頭から被るなんて経験がフォルテにあるわけがない。幾重にも重ねられた衣服は長雨から辛うじて彼を守ってくれていたのだろうが、ファドが思いもがけずとどめを刺してしまったらしい。

 ファドはイリスとしっかり手を繋いで、大人しくとぼとぼ歩いている。イデアは先頭を切って、町を探していた。


「イデアさん……町はまだすか……?」


 フォルテは重いし衣服も水を吸ってラルバ自身の身体も重くなっている。疲労も蓄積してきたラルバは力なくそう尋ねた。


「大丈夫、もう見えてるわ。ほら」


 微笑むイデアが指を指す先に、町の入り口である白い石の門が見える。丸二日、歩き続けてきた甲斐があった。


「ファド君も、町の中に入ったらあったかくしましょうね……って、あ!」


 しばらくファドの顔を見つめていたイリスが、目を瞬かせてラルバとイデアを交互に見た。


「イリス……どうした?」

「ファド君が町に入っちゃったら、皆びっくりしちゃうかもしれないです……コーラムバインを出る寸前に、噂が聞こえたんです、鳥の怪人とか、三つ首の竜とか、化け物が現れ始めてるって……だから私、コーラムバインではこの子をずっと後ろに隠してたんですよ」

「どうりでファドが大人しかったわけだ。てか、もう話が広がってるのか」

「広がってると思います、森や村が一つなくなってますし。このまま人の目に晒されたら、この子は……」


 目をぱちくりさせるファドを、黙ってイリスは抱き寄せた。


「またコーラムバインと同じ感じで後ろで大人しくさせときゃいいじゃん」

「そしたら外へ出た瞬間に羽目を外しちゃってこうなったんですよ。これ以上ファド君に我慢させたくないです」

「何か大きめのフードがついたお洋服とか、帽子があるといいかもしれないわね。ラルバ君、悪いんだけどそのマントを貸してくれるかしら?」

「えー……でも、イデアさんが言うならしょうがないすね」


 差し出したマントで彼女は「ちょっと苦しいかもしれないけど、我慢してね」とファドをくるくる巻いて、彼は包まれた赤子────というより真っ黒な繭のような姿になる。荷物はイリスに託し、真っ黒でツヤツヤ、もぞもぞとうごめく繭をイデアはよろめきながら抱き上げた。


「イ、イデアさん? 大丈夫?」

「う……思ったより重いかも……でも大丈夫。さ、急ぎましょ……!!」


 声が絞り出したような声になっている……。

 フォルテが完全に動けなくなる前に、そしてファドが窒息する前に(そもそも口も鼻もない彼が息をしているかさえも怪しいが……)、夢中で門をくぐり抜けた。





 雨が土と花の甘ったるい香りを運んでくる。色とりどりで可愛らしい小さな家々にも、石が敷き詰められた道にも沢山の花で彩られている。

 森でさえ、こんな強く花の匂いがすることはなかった。背の高い建物が陳列し、排気ガスの臭いが充満していたコーラムバインよりはだいぶマシな光景だが、嗅覚が変になりそうだ。


 町に入ると、ラルバと同年代のやたらスカートの短いツインテールの少女と目が合った。


「あら、お兄さん達旅人? 後ろの人ぐったりしてるけど大丈夫?」

「……これが大丈夫に見えるかよ。とりあえず宿を探してんだけど、どっか知らないか?」

「病院じゃないの? まあいいけど……しばらく歩いたら十字路に出るから、右に曲がればあるわ。宿はよそと比べるとちっさくてわかりにくいけど、真横に帽子屋があるからわかると思うよ」

「そっか、ありがとな」

「あの、ちょっと……」


 さっさとフォルテを降ろしたいラルバは手短に会話を済ませて、ツインテール女が教えてくれた方へ歩き出す。ラルバはわざと聞こえないふりをしたが、イリスもイデアも疲れきっていて気づかなかったようだ。彼女が最後に何か言いたげに、ラルバを呼び止めようとしたことを……。




 全身ずぶ濡れで入ってきた彼らに、主人はすぐに暖炉で暖まった部屋を用意してくれた。

 皆、フォルテを中心に暖炉の前に集まって火に当たっていた────火が苦手になっているラルバも寒さには敵わず、目を閉じて火の恵みに浸っていた。


「ラルバ君、火はもう大丈夫?」

「これくらいの小さな火なら、少しは……」

「そう、よかった。冬が来る前に、少しずつ慣れておかないとね」

「……そうっすね」


 響くのは、雨音と暖炉の火がパチパチと弾ける音のみ。

 太陽はすっかり覆われて見えないが、時間は昼下がりといったところだろうか。

 何もしていない時、眠る前、ふとかつての温かい思い出が蘇る。このくらいの時間、よく母さんが作ってくれた木いちごのタルトを食べていたっけな。あれが豪華なお菓子だったのだと、旅に出てから知った。

 何もない、退屈なあの村が嫌いだった。口うるさい母さんも疎ましかった。ステラとオニキスさんがいなければ、今すぐにでも兄貴のように外の世界へ逃げて自由になりたいと思っていた。でも今は、あの退屈な日々を取り戻せるのなら────


 どれくらいの時間が経ったのだろう。いつしか髪の毛も乾き、甘い夢を見ていた頃。

 ファドに遠慮がちにつつかれて振り向くと、遠慮がちに目を伏せてしまった。

 本当は遊びたがってはいるものの、調子に乗りすぎてイデアに怒られたこと、自ら起こした事故でフォルテを動けなくさせてしまったことに罪悪感を感じているらしい。

 その様子を見ていたイリスが、おもむろに口を開いた。


「そういえば、帽子屋さんが隣にあるって町の方が言ってましたよね? ラルバさん、私とファド君の三人で行ってみませんか?」

「え? オレはいいけど……」


 ちらっとフォルテの方を見る。明らかにフードの奥から青い瞳でこちらを威圧しているのがわかったが、何も言ってはこない。


「フォルテはまだ動けないんでしょう? ねえ、お姉様お願い……」


 上目遣いで、イリスがイデアを見つめた。


「うーん……でも、何かあった時危ないわ……」

「大丈夫ですよ! ラルバさんがいますから!」


 イデアはしばし手を口元に当てて考え事をすると────ついに頷いた。


「わかったわ。でも、怪しい人物を見かけたり魔女やその使い魔の気配を感じたらすぐに逃げるのよ」


 ぱあっと目を輝かせ、満面の笑みと共にイリスは手を叩いた。


「わあい! お姉様ありがとうございます!! 早速行ってきますね! ラルバさんもファド君も早く行きましょう!?」

「い、今すぐ行くの? ちょっと待ってくれ……」


 一番気分が上がっているのは、ファドではなくイリスではないだろうか。

 踊りだすような勢いで部屋を飛び出し、まだかまだかと入口で足踏みしている。

 ラルバは慌ててマントを纏い、内側にファドを隠すようにだき抱えると彼女に手を引かれながら再び雨降る町へ飛び出した。


 ……とはいっても帽子屋はすぐ隣。子供だけの時間は一瞬で終わりを告げる。

 店に入る直前、イリスが呟いた。


「本当は、あなたと二人きりになれたらいいんですけどね」

「……え」


 びっくりして見返すとイリスが、ふっと悪戯な笑みをこぼした。


「あら、私の顔に何かついてます? ……ほら、ぼやーっとしていないで早く行きますよ」

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