第一話 勇者が見るは邪竜の夢
この世界は、今まさに何者かに破壊されようとしているのではないか?
誰もいない街に一人立ち尽くすこの少年は、時々そう思うことがある。
ここは彼が見ている夢の世界。彼は、予知夢を見る力があった。
その能力が発現したのは、彼が五歳になった頃。ある晩、彼は幼馴染が木に縛り付けられるという夢を見た。そして次の日────幼馴染は悪戯が母親にばれ、お仕置きとして本当に木に縛り付けられてしまったのだ。その光景は、少年が見た夢そのものだった。
そんな事が何度も続き、少年は確信する。自分が見た夢は、少なくとも三ヶ月以内には現実になると。
それはつまり────彼が今立っているこの街は、三ヶ月以内に滅亡する運命にあるのだ。信じがたい事だが、全て未来の出来事だとするのならばなんとしてでも止めなければならない。
元々、ここは治安が悪かったものの、王国で一、二を争う大都市で栄えていた。
しかし今、その面影はどこにもない。ただ、広場の噴水の音が虚しく響き渡るのみ。
厚い雲に覆われた空が、赤い不気味な輝きを帯びている。少年は無言で閑散とした街の中を歩き続ける。
彼はあるところで足を止める。
住宅街だった通りは瓦礫と人間だったと思われる赤黒い塊だらけだった。逃げ遅れてしまった哀れな住民達だろう。彼らは皆大きなものに踏み潰されて、あるいは焼かれて────
「うっ……ぐ」
突然喉の奥から苦い液体がこみ上げてくるのを感じた少年は、思わずその場に屈みこむ。
たとえ神から選ばれた者────勇者といえど、その地獄絵図は齢十四の少年にはあまりに耐えがたい光景だったのだ。
早く覚めろ……早く!!
そう念じながらじっとしていると、ふと近くでうめき声がしたような気がした。
少年は思わず顔を上げて見回す。まだ、生存者がどこかにいる。
彼をこの夢で助けることができたなら、現実になったとしても、少なくとも彼を救うことはできるだろう。
「誰か、そこにいるんですか!」
しばらくして、呼応するように「うぅ、あ……」と声がはっきりと聞こえてきた。
少年が注意深く辺りを見回すと、瓦礫の隙間から力なく伸びた腕があった。声からして青年のようだ。
「今、助けます!」
返事はない。急いで彼の元へ行き、青年を下敷きにしている瓦礫をどかしはじめた。少年の力だけでは瓦礫はなかなか動かなかったが、それでも少しずつ青年の身体が見えてきた、そのときであった。
「……ク……?」
「え?」
少年は思わず手を止める。
「ルー……ク……」
少年の目が見開かれ、心臓が大きく脈打つ。
「どうして、僕の名を……」
「……逃げ、ろ……早く、逃げてくれぇっ……!!」
刹那、地面が大きく揺れた。燃えていた建物は崩れ落ち、レンガに覆われた大地に亀裂が走る。
遠くに、大きな影が揺らめいている。熱気と煙で全く見えなかったその身体が、一歩一歩近づいてくるうちに全貌が浮かび上がってきた
「……!!」
鎧のような鱗は、炎によく似た深紅の輝き。その胴体は天を貫く火柱よりも大きく、三つの頭にある二対の瞳は獲物を探して、爛々と光らせていた。
少年は、震えていた。心の奥底から湧き上がる、怒りに震えていた。
また、お前か……!!
僕は、こいつを知っている。あの憎き三つ首の竜を。理性も無く、衝動のままに破壊の限りを尽くす邪竜を。
一人で勝てる相手ではないのはわかっていた。だが、ここで逃げたら、あの青年はどうなる? 間違いなく死ぬだろう────そうはさせない。させるものか!
「こっちへ来い!! 忌々しい邪竜め!」
叫ぶと同時に走り出す。白目しかない竜がこちらを見るのがわかった。
竜は動きは遅いとはいえ、その歩幅であっという間に追いついてしまう。やはり、逃げ切れる相手ではない。仕方なく、彼は剣を抜いて向き直る。
踏み潰そうとする足をかわし、喰らおうと襲いかかる二つの首をすり抜け、白く柔らかそうな腹に斬りかかった、が。
様子を見ていた最後の首が少年に向かって炎を噴いた。
剣先は、竜に届く寸前に赤くなり瞬く間に溶けていった。少年が断末魔の叫びをあげるより早く紅蓮の炎が喉を、全身を焼き尽くしていく。
燃え盛る炎の音に紛れて、遠く悲鳴が聞こえたような気がしたけれど音も痛みも光も一瞬で闇へ消えていった。
◆
「ッ!!」
少年が飛び起きると、そこは旅先の宿の一室。
夢から覚めた後も、あの揺らめく炎が、吐き気を催す光景がまぶたの裏に焼きついて離れない。なんとか落ち着こうと呼吸を整え、水を飲んで窓の向こうを見上げた。
窓から見える空は白んでいて、小さな部屋を明けの明星が照らしていた。
水の中にいるような、青く静かな夜明け。その静寂に動悸が徐々に落ち着いていくのを感じる。
いつか、この夜明けも失われる日が来るのだろうか?
でも、そうはさせない。あの竜を倒すまで、死ぬわけにはいかない。
何が何でも、あの絶望の未来を変えてみせる。
少年はまだ夜の帳に覆われた山々を見つめる。
────そのために、王都からここまで来たのだから。