第七話 真夜中の奇襲
その事件は三日目の深夜に起きた。
このとき、いつもならば辺りは静寂に支配され、フォルテを除いては誰しもが夢の中にいるはずだった。
しかし、その静寂の世界は突如として打ち破られる。
大勢の足音で、イリスは目を覚ました。ただならぬ気配を感じた彼女は口を開こうとして、イデアに人差し指で口を塞がれる。
「動いちゃだめ」
イデアが耳元で鋭く囁いた。
「お姉様……もし敵だったらどうしましょう」
「大丈夫。フォルテの壁はそう簡単に崩れはしないわ」
壁の向こうにいるのは、敵か? それともただの旅人や行商人か?
息を殺し、事態を見守る。イデアが言う通り、足音は次第に大きくなっていく。
やがて、壁の向こうの足音は止まり心臓が鼓動だけが響く。向こう側の誰かは、自分達がここにいることをわかっている。
「これ……ヤバいんじゃねえ……?」
ラルバが震える声で呟いた、その刹那。
打撃音が鳴り響いて、彼の肩がびくりと揺れた。更に二発三発と、四方から壁に攻撃が加えられていく。壁は衝撃で砂煙が立ち、ところどころに亀裂が走った。そこにいるのは、明確な悪意を持った敵だ。
「フォルテさん……この壁、どれくらいもちますか」とルーク。
「これほどの大人数で攻撃されたら、おれが補強しても長くはもたないだろう……この壁壊して迎え撃とうか」
「いや、この人数を相手に戦うのは危険です。街はもうすぐですから、前面突破して街まで逃げましょう────ラルバは武器を構えろ。イリスさんとイデアさんはフォルテさんの側に」
「あ……ああ」
「わかりました」
そして遂に壁を斧が貫いた。
「失せろ!」
フォルテが叫ぶと、砂の壁は瞬く間に無数の石つぶてとなって外側へ弾け飛び、聞きなれぬ叫び声が飛び交った。
攻撃してきた集団は衝撃で吹っ飛んだらしいが、砂埃でどうなっているのかこちら側も確認できない。
「今のうちに逃げるぞ!」
ルークが剣を手に走り出し、ラルバ、イデアとイリスは手を繋ぎ、最後にフォルテと続く。
怯んでいるであろう前面の敵をルークの剣で薙ぎ払えば包囲は突破できるはずだった。
砂埃が収まったその瞬間、「う」と小さな呻き声と共にラルバが足を止めた。彼らを囲むのは、三十人はいるであろう見るからに野蛮そうなボサボサ髪の男達。誰もが松明を持ち、煌々と燃え盛る炎が五人を囲んでいるようであった。
イデアが気が付いて駆け寄った時にはもう遅い。
ラルバは急に全身の力が抜けたようにその場にがくりと膝をついた。
「ラルバ君!」
彼の呼吸は非常に荒く、額に玉のような汗を浮かべている。手足は震え、イデアの呼びかけに応える余裕も無いように見えた。
「イデア、そいつは置いていけ!」
「そんなことできるわけないじゃない!!」
ルークもようやくラルバの異変に気づいて引き返す。
しかし、フォルテに手を引かれるイリスは足を止めることができなかった。
フォルテが岩の矢と砂塵を操り、イリスと共に包囲網を突破して近くの小高い丘に身を隠す。
イリスが戻ろうとしても、砂によって口も手足も拘束されて身動き一つとれない。
「ッ!! ────────!!」
「奴らに気づかれてしまうのでお静かに願います」
逃げ遅れた三人はあっという間に取り囲まれ、イデアが最初に取り押さえられた。ルークは、なんとか剣を振り回して抵抗している。
「くそっ……、おい! しっかりしろ!」
「ラルバ君……キャァッ!」
イデアが男達に腕を捕まれたその時、ラルバがカッと目を見開いた。
「……ハァッ……ハァ……イデア…さん……から、離れろっ……!!」
自らを捕らえようとした男の腕を掴み、地面に叩きつける。
そのまま我を忘れているかのように叫びながら、イデアを捕らえる賊に掴みかかり無理やり引き剥がした。そして賊に馬乗りになると、左拳を振り上げた───────しかし。
多勢に無勢。背後に迫る別の賊。ルークもイデアも助ける余裕は残されていなかった。
響き渡る鈍い打撃音にイリスは顔を背けた。
そこから先はあっという間だった。ルークもいつまでも剣を振り回すことができるはずもなく、動きが鈍ったところで、数人に袋叩きにされてその場に倒れ伏した。
イデアも一瞬自由にはなったが、包囲は変わらず、どうすることもできなかった。
それでも黙って見ているだけのフォルテに痺れを切らし、イリスは力任せに暴れる。
「っ!! ───────っ!!!」
しかし、少女の力が大男のフォルテに通じるはずもない。イリスは力なくうなだれた。
向こうでは倒れたラルバとルークが運ばれていく。イデアも何も抵抗できぬまま、攫われていく。どんどん遠ざかり、やがて見えなくなってしまった。
私は、どうしてこんなに無力なんだろう、と思った。
私は、女神の生まれ変わりではないの? お姉様のような不思議な魔法を使えるわけでもない。そもそも、私の能力は自分でもよくわからない。いつも誰かに守られているばかりで、誰も救えない私はなんなんだ? 私は、私は────
「あら、イリス様また捕まってんねぇ」
唐突に空から降ってくる声。フォルテが眉間の皺を深くして、暗闇に向かって岩を投げ飛ばす。
「うわっ! まだ登場もしてないのに何すんのさ」
「失せろ」
「テメーに用はないの! ねえイリス様」
問答無用に飛ばされる岩をすり抜けつつ、イリス達の目の前に降り立ったのはジルエットだった。
「ごきげんよう、自由の身になった感想はいかが? ……あ、それじゃあ喋れないか。そーれっ☆」
背中の身体よりも大きな翼を羽ばたかせると、たちまち疾風が巻き起こりイリスを捕らえる砂を散らしてしまった。
フォルテが反撃しようとするも、すかさずジルエットはイリスの懐に飛び込み、短剣を奪って彼女に突き付ける。
「動くなよ。イリス様が血まみれになってもいいのかい?」
「……何のつもりだ」
ジルエットは彼を無視し、イリスににっこり笑いかける。
「改めてごきげんよう、自由の身になった感想は────」
「今はそれどころじゃないですよ! お姉様もラルバさんもルークさんも緑目狩りに攫われちゃったんです!!」
「……ルークって誰。まあ誰でもいいけど攫われてどうなんの」
「奴隷にされたり、目玉を奪われて売られちゃうって聞きました」
「……へえ~」
ジルエットの声色が冷たい響きを帯び、短剣の切っ先を緑目狩りが消えた方へ向けた。
「ムカつくよなぁ。他者を圧倒的な力で捻じ伏せる奴って。存在しているだけで虫唾が走るよねぇ。イリス様なら、この気持ちわかるよね?」
その言葉に滲み出ているのは怒りと軽蔑。しかし、不思議と口元には不気味な笑みを湛えていた。
「え? ええと……ひどいとは、思います……」
「それなら、ボクが手を貸してあげるよ。あんなゴミ共、一瞬で片づけてやるからさ」
「……私はお姉様達を助けてほしいだけなんですが、それでも力を貸してくれますか」
「ふーん、つまんないの。でも、イリス様が望むならそれでもいいよ」
「お待ちください、一度は貴方を誘拐した敵を信用するおつもりですか」
「あら、だったらあなたが助けてくれるとでも?」
どうせ他の人間の事はどうでもいいと思っているのだろう、フォルテは何も答えない。
「私は、戦うための力がありません。だから、仲間を助けるためならどんな手段だって使いますよ」
それを聞いたジルエットは狂気じみた笑みから、無邪気な少年の笑顔に変わった。
「さすがイリス様! そうなれば早速出発だぁ!」
「えっ緑目狩りがどこにいるかわかるんですか?」
「視力には自信があるんだ。ついでだからアジトを見つけ出して全員……いや、とにかくアンタらはボクについてくればいいよ!」
ジルエットが勢いよく飛び立ったのを確認したイリスはフォルテを呼び寄せて、そっと耳打ちした。




