第十一話 敵も味方も風任せ
風鳴り岬へは平坦な道のりであまり遠くない。
しかし、いつもより吹きつける風が強いこと、そしていつか聞いた声が気になっていた。
『走れ!!』
一度目にフォルテに襲われたとき、空から響いてきた声である。そして二度目にイリスにさらったあの鳥人間の声。その二つは全く同じ声だったのだ。
何者で何が目的なのか、ラルバには全く想像がつかなかったがあの怪人が現れる直前にはいつも風が吹いていた。
風鳴り岬は、常に潮風が吹きすさぶ閑静な場所だ。だが、岬に近づくにつれ、いつにもまして風が強くなってきている。
ふいに気配を感じて、と雲一つない真っ青な空を仰いだ、その瞬間。
「やっほ────っ!!」
音もなく、あの怪人が大きな翼を広げて急降下してきた。
「うわっ!?」
思わず後退りした拍子に、しりもちをつく。顔を上げたと同時に、シュッと小さな音と共に何かがラルバの頬を掠めていった。
生温かい液体が頬を伝い、ラルバのシャツに赤く染みを作る。足元に暗褐色の、怪人の翼や髪と同じ色の羽根が一本落ちていた。
着地した怪人は大きな口を三日月のように歪ませた。
「しりもちなんてつくから、急所外しちゃったじゃんもう」
「え……」
「駄目だよ、ロクに戦えもしないくせにこんなとこ来ちゃ」
身体は硬直したままだったが、なんとか声を絞り出す。
「イ、イリスは」
「あー、イリス様ね。疲れたから飛んでる間にどっかに捨ててきちゃった」
「え……えぇ────!?」
「ケッケッケ、冗談だよ。でもでもでも、疲れたのはホントだからどっかの木の上に置いてきたよ!」
「ええええ、じゃあイデアさんとフォルテは」
「今から来るよ!」
その瞬間、今度は岬がある方から巨大な岩が二人目掛けて飛んできた。
すかさず鳥人間は飛び上がり、大きな翼で風を巻き起こしラルバを吹き飛ばす。岩はラルバがいた場所で砕け散った。
「あっぶな!!」
少ししてからフォルテが、走ってくるのが見えた。
「言ったんだよ。このボクに傷一つでも付けられたらイリス様がいる場所を教えてあげるって。そしたらなりふり構わず、石ころ投げてきやがって────」
それからフォルテに向き直り喚きだす鳥人間。
「おいどこ狙ってんだっ! ボクが守ってやんなきゃ味方にぶっ刺さってたぞ、バーカバーカッ!」
「そいつは敵だ!」
お互いを指差し、同時に言い放つラルバとフォルテ。
「え……あぁそう」
その鳥人間の声はどこか呆れているように聞こえる。
「ていうか、フォルテ! イデアさんはどこだ!?」
「イリス様を探している。この化け物が居場所を吐かないからな」
「ボクは化け物じゃないっ、ジルエットだっ!!」
「知ったことか」
言うが否や、またもや魔法で岩を次々と投げ飛ばす。
それをひらりひらりと華麗にかわしながらも、ジルエットは言う。
「ラルバか、フォルテ、どっちでもいいからボクにかすり傷一つ付けられたらイリス様は返すよ~ほらほら、かかってきやがれ!」
ラルバもまた空から降ってくる岩の破片から逃げ惑いながら、なんとかフォルテの近くまで来た。
「ハァ、ハァ……おい石頭、オレらにやったみたいに、砂で、あいつを捕まえることはできねーの? ……ゼェ」
「すぐに風で散らされた。あの速さでは、狙いを定めるのも難しい。無能は黙っていろ」
フォルテは攻撃を続けつつ、ラルバの顔も見ずに言った。
「ああん!? 誰が無能だって!!」
フォルテに無駄に怒り散らしているうちに、段々ジルエットにも腹が立ってきた。縦横無尽に飛び回りながらケタケタ笑っている。
あいつ、こっちが必死だってのに余裕ぶりやがって!!
フォルテもフォルテで、協力する気ゼロ。どいつもこいつも頭おかしい……
やけくそになったラルバは危険を承知で自らジルエットに近づいていく。
当然、ラルバにも岩の雨が降り注ぐ。一転、ジルエットは笑うのをやめて、慌てた様子でラルバの元へ飛んでいき風で岩を跳ね除けながら、イリスにしたように彼を持ち上げた。
「アンタ何してんの! 危ないよ?」
「もうオレ、お前の味方になる。あいつ大嫌いマジでぶっ殺してくれ」
「……えっ、いいの?」
心なしか、嬉しそうに声を弾ませるジルエット。
「いいよあんな奴。でも、なんでオレは助けてくれんの?」
「アンタ一般人っぽいし、気が向いたから」
「お、おう……」
心の底まで何を考えているかわからない奴だ。
フォルテは表情一つ変えず、岩を作っては飛ばし、時には無数の岩の雨を降らし、ジルエットはのらりくらりとかわし続けている。
しかし、一体どれほどの時間このやりとりを続けているのだろう? フォルテもジルエットも疲れた顔一つ見せない。
この力はゲムマ族が持つ特有の能力とはまた別のようだが、何も無い村で呑気に暮らしていたラルバはそれが何かもよくわかっていない。まるで違う世界に住んでいるようで、強がり言ってもただ眺めているしかできないのはまぎれもない事実だ。
「おい、ジルエット。お前腕がプルプルしてるぜ」
「アンタをずっと抱えて逃げてたらそりゃ疲れるよ!」
「で、この後どうするつもりなんだ?」
「どーしようかなぁ。ボクそろそろ飽きてきたし、今日は帰りたいなぁ」
ふーん、とあと少しで聞き流すところだった。一拍おいて、ジルエットの顔を見た。
「はぁっ!? お前何しに来たの!?」
「暇つぶし」
「嘘だろ!? なんのためにイリスさらったの!」
「そしたら皆遊んでくれるかなーなんつて」
「お前、ほんと意味わかんない……」
絶句するラルバを差し置き、ジルエットは戦っていた(?)はずのフォルテに手を振る。
「フォルテ~、疲れたからこうさ~ん。イリス様の場所を教えるから、攻撃をやめてよ~!」
「……」
攻撃は止んだが、フォルテの周りにはまだいくつもの岩が浮かんでいる。何か変な真似をすれば、もしくは用が済んだら殺す、という意思表示だろう。ジルエットもラルバを地上に降ろしてくれた。
「ジルエット、前もオレを助けてくれたよな? なんでだ?」
再度問いかけた。気まぐれで、何度も助けるわけがないと思ったからだ。あんなに飄々としていたジルエットの声が一変して低く冷たい響きを帯びる。
「……あの野郎。ボクも八つ裂きにしたいくらい大嫌いなんだよ。アンタを助けたかったというより、あいつの思い通りにさせたくなかったんだ。でも今日はアンタやイデアとかいう邪魔者いたから本領を発揮できなかったんだよ……なんてね」
ジルエットの鷲のような大きな黄金色の目は、こちらを睨みつけるフォルテを捉えていた。まるで獲物を見るような目つきで。
そんな彼にラルバは手を差し出した。
「え、なに? 握手?」
「なんか、変な奴とか思ってごめんな。お前とは上手くやれそうな気がするよ」
つられたのか、ジルエットも羽毛に覆われた手を差し出して握手をする────
「────と言うとでも思ったかバーカ!!」
ジルエットの身体はラルバによって振り回された挙句、フォルテ目掛けて放り投げられる。
「どっちもくたばりやがれぇえぇっ!!!」
「えええええぇぇぇぇぇぇ────!!!」
絶叫しながらジルエットはフォルテに衝突……はしなかった。咄嗟にフォルテは石壁を作り出し、痛々しい音と共にジルエットが激突しただけだった。
彼が頭にたんこぶを作って目を回していることも気づかず、ラルバは大股で近づいていく。弱っている相手にはいくらでも強気でいられるのがラルバという男だ。
「自己中すぎるだろお前。勝手にイリスを誘拐して色んな奴巻き込んで、何が遊んでくれるかなーだよ。ちょっと助けてやったら、自分のしたことがチャラになると思うなよ!」
がばっと起き上がり、涙目でジルエットも叫ぶ。
「助けてやんなかったら、お前とっくに死んでたかもしれないのに酷い!! この恩知らず! 自己中! 人でなし! ド畜生!」
「約束だったよな? 傷一つでもつけたらイリスの場所を教えるって。つけてやったぜ」
「全部無視したな……まあいいさ。今日は最高に機嫌が良いから、全部許してやるよ。ついてきな」
翼にダメージはなかったようで、岬の方へよろよろ飛んでいく。
岬にもまばらに木が伸びており、その中で一際大きな木の下に、イデアが待ち構えていた。少し苛立っている様子で、腕組みをして仁王立ちしている。
「鳥さん、イリスならこの木の上でしょう?でも、貴方じゃないと、危なくて助けることはできなさそうね」
「鳥さんじゃなくてボクはジルエットだよ」
「じゃあ、ジルエットさん。早くイリスを降ろしてあげてくれないかしら」
「わかったよ、もう。人使い荒いんだから」
ジルエットに抱えられて戻ってきたイリスは意識が無かったが、彼曰く、ただびっくりしすぎて失神しただけとのことだ。イデアとラルバで何度か声をかけると、彼女はあっさりと目を覚ました。
「……! え、あの、ここは!?」
「イリス! ここは風鳴り岬という場所よ。誘拐されたの、覚えてる?」
「はい……でも、なんでここに誘拐した鳥さんが!?」
「ボクは鳥じゃなくてジルエット……」
「オレが勝ったから返すってさ」
不満げに口を開くジルエットを遮り、ラルバは言う。
「ああ、もうお前は帰っていいよ」
「コイツ────まあいいさ。笑ってられるのも今のうちだからね」
「あ? どういうことだよ?」
「クケケケケ、おうち……帰れるといいね?」
一瞬不敵な笑みを浮かべたかと思うと、ジルエットは夕暮れに染まる空へ消えていった。
「……? なんだったんでしょう、最後の言葉」
「さあ? とりあえずもう帰ろうぜ、疲れた……」
「何か嫌な予感がする。すぐに戻りましょう」
また走るのか……とラルバが内心思っていた時。
なぜか岬の方へ続々とニレの町にいた人々が走ってくるのが見えた。誰も彼もが憔悴しきった表情を浮かべ、不穏な雰囲気が辺りに漂う。
「何かあったのかしら」
イデアが話を聞きに行き────戻ってきた彼女は顔面蒼白だった。顔を強張らせるイデアに、ラルバは恐る恐る尋ねた。
「どうしたんすか、イデアさん……?」
「……どうか、落ち着いて聞いて……私達の村が……火に包まれている……。周りの森にも燃え移って、ニレの町も危ないから逃げてきた……って」




