②‐第四話
店内は満席、裏庭にも試飲用のグラスを手にしたお客さんで溢れている。あまりの客の多さに、夢でも見ているのではないかと、シルビアは頬をつねった。
「痛ひ……夢じゃないわ」
翌日から、氷入りの冷たいハーブティーを試飲用に出したところ、お客さんの反響は凄まじく、トーマスの予言通り、シルビアの店に客が殺到した。それに乗じて商品も飛ぶように売れたが、歓喜にうち震えたのは最初だけで、シルビアは連日、客の対応に追われるようになった。
接客だけでなく、試飲用のお茶を淹れたり、氷を補充したりと、目まぐるしい忙しさで、トーマスの手伝いがあっても、とても追いつかない。中には、待たされることに腹を立て、試飲すらせずに帰ってしまうお客さんもいた。見かねたイツカが手伝ってくれ、三人で力を合わせ、その日その日をなんとか凌いでいるというのが現状だ。
「今日もありがとう、明日もお願いできるかしら?」
「僕はかまいませんけど。ガジェ様にも許可を頂いていますし」
ちらちらとイツカのほうを見、トーマスは恥ずかしそうにうなずく。
イツカも上機嫌でうなずいてくれた。
「わたしもいいですよ。自分の作った商品がどんどん売れていくのって、見ていて気持ちがいいですし」
閉店後、イツカもトーマスもまだまだ余力を残している感じで帰って行ったが、シルビアは長椅子にもたれかかり、ぐったりしていた。あの二人は自分を気遣い、後片づけまでしてくれたというのに。若さゆえに体力が有り余っているのか、それとも自分があまりにも体力がなさすぎるのか。たとえ疲労困憊でも明日の準備をしなければならず、シルビアは疲れた身体に鞭打ち、立ち上がった。
それからは、休む暇もなく働いた。当初の狙い通り、お客さんも増えて、売り上げも飛躍的に伸びているものの、良いことばかりでもなかった。暑い夏だからこそ、冷たい飲み物を出せば、お客さんは喜んでくれるとばかり思っていたのだが、そう単純なものでもないらしい。「氷なんて高価なものをタダで出して。ちゃんと採算はとれてるの?」と心配してくれるお客さんもいれば、
「うちでもアイスハーブティー作りたいから、ドライハーブと一緒に氷もつけてくれない?」
「申し訳ありません。仮にお持ち帰り頂いても、途中で溶けてしまいますし、当店ではそういったサービスは行っておりません」
「氷は売れないってどういうこと? うちでは熱いお茶を飲めっていうの?」
「当店では氷の販売は行っておりません。申し訳ありません」
「この冷たいハーブティーを家内にも飲ませてやりたいんだが、家内は足が悪くて、家から出られないんだよ」
「申し訳ありませんが……あくまで試飲用に用意したものでして……」
朝方、開店前、扉の向こう側でずらりと列を成すお客さんの姿を見、このままではいけないとシルビアは冷や汗を流した。来客数の多さに対応が追いつかない、というだけでなく、無料で提供できるのであれば、格安で氷を販売できるはずだと、お客さんからの執拗な要望もあり、くわえて同業者から「客を根こそぎ奪う気か」と苦情の手紙も寄せられている。何より、お客さんにゆっくりとお茶の時間を楽しんでもらえないことが苦痛だった。
開店時間ぎりぎりまで、シルビアは頭を悩ませた。本業のあるトーマスやイツカにばかり頼ってもいられない、この店の主人として、なんとか切り抜けなけばと、悩みに悩んで、大きな紙を取り出す。
<アイスハーブティーでの試飲は一日限定五十名様まで。お一人様につき一杯。なお、氷の販売は一切行っておりません>
でかでかと注意書きをして、店内の目立つ場所に張り付けておく。とりあえずこれでしばらく様子を見ようと思い、「いらっしゃいませっ」と元気よく開店した。
シルビアの思いつきは功を奏した。時おり、お客さんに嫌味を言われることもあったが、数日後には来店客数も落ち着き、開店前に行列ができることもなくなった。トーマスとイツカは露骨に残念そうな表情を浮かべていたものの、ここしばらくオーバーワーク気味だったシルビアに同情してか、もったいないと思っていても口には出さなかった。
忙しくも穏やかな日常が戻ってきて、シルビアはほっとしたが、長続きはしなかった。新たな問題に直面している、というほどでもないのだが、現在、シルビアはとある来店客から目がはなせなかった。
――どうして彼がここに?
地味で質素な身なりをしているが、くたびれた帽子からのぞく金髪と、目尻の下がった甘く整った顔立ちを見て、ひと目で彼だと気づいた。名はユリウス・クロイツェル、シルビアより二歳年上の従兄であり、直系であるレオナール、王弟に続いて、第三位王位継承権を有する公爵家の嫡男である。成人すると同時に父親の保有する伯爵領を譲り受け、今ではウィザー伯を名乗っているとか。
格好からしてお忍びで来ているのはわかったが、近くに護衛騎士がいないところを見ると――おそらくまいてきたのだろうと、シルビアは昔を思い出して、あきれるやら可笑しいやらで、吹き出しそうになる。
――懐かしい。
幼少期から頭の回転が早く、弁の立つ彼は祖父のお気に入りだった。同年代の子どもに比べて、彼はひどく大人びていたし、家庭教師が舌をまくほどの神童だったからだ。もちろん、少年らしい、意地悪な一面も有り、蛙の死体を投げつけられたり、お化けのふりをして追いかけられたりと、幼いシルビアはよく彼に泣かされたものだ。繊細で優しげな顔立ちをしているものの、貴族としては変わり者で、将来は冒険者になって世界を回りたいと、事あるごとに口にしていた。
王の弟である公爵は息子を宰相補佐の地位に就かせようと躍起になっているようだが、本人はまるでやる気がなく、普段は領地の館にこもって、半隠遁生活を送っているらしい。領地経営は真面目に行っているようだが、役職を得て、王城勤めをする気はさらさらなさそうだ。
そんな彼が近づいてきて、シルビアにお勧めのハーブティーを訊いてきた。メニュー表を見ても、いまいちピンとこないらしい。
「裏庭に出て、実物をご覧頂きながらご説明しましょうか?」
「いいね、それ」
ユリウスの青い瞳がきらりと輝く。
まじないの効果で、シルビアの正体には気づいていないようだ。従兄とはいえ、ユリウスに会うのは三年ぶりで、実際に会っても気づかれなかったかもしれないと、シルビアは苦笑した。ユリウス・クロイツェルの女嫌いは社交界でも有名で、結婚から逃れるために領地に引きこもっていると、もっぱらの噂だ。
――でも、どうして女嫌いになったのか、理由は不明なのよね。
子どもの頃、侍女もしくは後妻にいたずらされたからとか、生まれながらの同性愛者だとか、様々な憶測が飛び交っているものの、どれも信憑性に欠ける気がした。面倒事を嫌う彼のことだから、悠々自適な独身生活を謳歌するために、故意に嘘をついている可能性が高いと、シルビアは考えていた。とりあえず女性嫌いを公言しておけば、憶測が憶測を呼び、未婚女性に結婚を迫られることもなければ、貴族間の見合い話を押しつけられることもないしで、ユリウスにとっても都合が良いはず。
現に今、女であるシルビアを前にしても、彼の表情に嫌悪感はなく、興味深げにハーブの説明に耳を傾けていた。不自然に距離を置くこともなく、むしろ近すぎるくらいだと、一歩二歩、さりげなく距離をとる。
「見事なお庭ですね」
「何か、お試しになりたいハーブはありまして?」
それにしても、普段領地に引きこもっているはずの彼が、なぜこんなところにいるのか。王弟である公爵は城下町にも館を構えているので、父親に呼び出されたのかもしれない。おそらく館にいるのが嫌になり、護衛騎士の目を盗んで散策に出たのだろう。
ユリウスはあらためてシルビアの顔を見ると、
「失礼ですが、お名前をうかがっても?」
きらめく瞳を向けられ、子どもの頃を思い出して反射的に警戒してしまう。彼がこんな目をしている時は、自分にいたずらを仕掛ける前触れだと決まっていたから。
「……シルビアと申します」
「姓は?」
「ありません」
平民であれば珍しいことではない。
それが何か、と緊張のあまり、つんけんどんな声が出てしまう。
「女性を美しいと感じたのは、あなたで二人目です、ミス・シルビア」




