第三話
夜になると、壁にかけられたランプに火が点り、室内が明るくなった。これもまじないの効果だろうか。あらかた掃除が終わると、荷物の整理を始める。興奮しているせいか、少しも眠気が襲ってこなかった。空腹も感じない。今は、この家を少しでも住みやすくすることに夢中で、自分のことなどどうでもよかった。
前もって運び込んでおいた荷物は、平民用の衣類や下着、十日分の食料、高級茶葉、お気に入りのティーセット、宝石類が入った小箱に銀貨や銅貨を詰めた小袋などである。周囲の者たちに気づかれないよう、持てるだけ持ち出した、シルビアの全財産だ。これだけあれば、当分は何とかなるだろう。
荷物のほとんどを二階の寝室に片づけながら、室内にあるものを細かく見ていく。台所の調理器具は一通りそろっていたし、石鹸や蝋燭といった日用品も大量に買い置きされていた。日が昇り、裏口から庭に出ると、シルビアは「あっ」と息を飲んだ。敷地の外からでは、高い塀に囲まれている上、見えないまじないがかかっていて分からなかったが、緑豊かな庭が広がっていた。広さは、お城にある温室と、いい勝負かもしれない。その上、隅には井戸があり、中央には洗濯ものを干すための台、手前には椅子やテーブルまで置いてある。
――おじいさまはここで育てた花を売っていらしたのね。
ガーデニングが趣味とはいえ、植物に関しては祖父も素人である。おそらくこの庭にも何かしらかのまじないがかかっているに違いない。
――私もここで、何か育ててみようかしら。
頭の中であれこれ計画を立てながら、今度は洗濯を始める。家中のシーツというシーツを洗い、鼻歌を口ずさみながら干す。動き回って、さすがにお腹がすいてきたので、食事を作ることにした。台所には小さな薪ストーブがあって、燃料の薪も薪小屋にどっさりあった。小さい頃、乳母が気まぐれに教えてくれた料理の手順を思い出しながら、小麦粉と砂糖と水で薄く焼いたパンを作る。
パンは少し硬かったけれど、これまで食べた、どんな手のこんだ料理より美味しく思えるから不思議だった。ジャムをたっぷりつけて、お茶と一緒に味わって食べた。楽しい日々は瞬く間に過ぎて行き、
――さすがに毎日これだと、あきるわね。
何度か失敗して材料をダメにしてしまったせいもあり、気づけば、持ち込んだ食料も残りわずかとなっていた。ほとぼりが冷めるまで、外には出ないつもりだったが、そうもいかないようだと、逃亡生活五日目にして、シルビアはため息をついた。
――そろそろ、買い物にいかなきゃならないわ。
お城にいた頃とは違い、じっとしていても、誰も食事を運んできてくれないのだから。けれどこの敷地から一歩でも外へ出てしまったら、城下町の住人に王女であることを見破られてしまうかもしれない、変装したところで、分かる人には分かるはずだし、万が一にも、第一王女の目撃情報が王妃の耳に入れば、自分も、自分を逃がしてくれたガジェ・ノーマンの身も、危うくなってしまう。
――どうしよう。
室内をうろうろ歩き回っていると、コンコンと戸を叩かれた。思わずびくっとし、扉に近づいて、のぞき穴から外を見る。もしや追っ手では、とどきどきしてしまったが、そこにいたのは眼鏡をかけた12、3歳くらいの少年で、手にたくさんの紙の束を抱えていた。
「留守かな」
少年はつぶやくと、おもむろにしゃがみこみ、扉下の隙間から、一枚の紙を差し入れる。「便利屋トーマス、ペットの世話から靴磨きまで。格安料金でご用承ります」と書かれたチラシを見て、シルビアは思わず扉を開けた。
「うわっ、びっくりしたっ」
燃えるような赤毛に理知的な瞳、間近で見ると、少年はどこか見覚えのある顔をしていたが、気のせいだろうと思い、シルビアは深く考えなかった。敷地内にいる限り、まじないの効果で正体を見破られる心配はないため、藁をもすがる気持ちで、少年に声をかける。
「便利屋さんに仕事をお願いしたいのだけど」




