表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
絵本屋さん  作者: 優希
白い思い出
3/8

白い思い出


「それが、わたしの悩みです」


わたしが長い話を終えると、このお店の店主、天空時ゆかりと名乗った綺麗な女性は、そっと瞳を伏せた。

そして、右手首を掴んでいた左手をゆっくりと離した。


「……ちょっと、待っていてもらえるかしら?」


席を立った天空時さんに、「はい」と応える。

幸い、悲しいくらい待つのには慣れていた。

天空時さんは奥の階段から二階に上がっていく。


「間違ってなんかない!」


カウンター席に座っていた女の子が、声を荒げた。

喧嘩だろうか、とそちらに目を向けると、彼女はわたしを見ていた。


「ちょっと、マスミちゃん。おキャクさんだから」


ハーフのように綺麗な少女が、幼いのに大人びた口調でその人を制す。


「だって……」


マスミちゃん、と呼ばれた高校生くらいのその人は、何故か泣きそうな表情だ。


「美里、ってさっき名乗ってましたよね?美里さん、そんな彼はすぐに忘れたほうがいいですよ!整理なんてつけなくても、忘れたらいいんです!」


わたしは笑った。


「ですよねぇ、わたしもそう思うんです」


「だったら!」


「忘れられないんですよ」


わたしの言葉に、その人は黙る。


「まだ、忘れられないんですよね……」


多分、もう一時は。

こんなに辛い思い出なのに、心についた傷が存在を主張する限り、わたしは彼を忘れられない。


「お待たせしました」


天空時さんが戻ってきた。

手には、何かを抱えている。

天空時さんは「はい」とそれをわたしに手渡した。


「【白い思い出】……?」


そこに書かれてある文字を口に出して読む。

どうやら絵本のようで、温かみのある可愛いイラストが描いてある。


「これは……?」


問いかけると、天空時さんはわたしの向かいの椅子に座って微笑んだ。


「読んでください」


柔らかい笑顔に勧められるまま、絵本を開く。


【おんなのこには だいすきな おとこのこが いました。

おんなのこは ばれんたいん に ちょこをわたそうと きめました。

「うけとって くれるかな。」】


二つ結びをした可愛い女の子が、頬を染めて好きな人のことを考えている。

懐かしい。

この女の子と同じ幼稚園の時ではないが、わたしもこんな風にドキドキしたことがあった。

付き合う、付き合わないは関係なく、ただ、好きという気持ちを伝えたかった時が、あった。

物語は、ゆっくりと進む。

どれだけ女の子がその男の子を好きなのか、痛いほど伝わってくる。

子供の幼い感情だとしても、人はそれを”恋”と呼ぶしかないだろう。

そして、バレンタイン当日。


【おんなのこは とびきり おしゃれをして ちょこをもって いえをでました。】


これは絵本だ。

最後には、ハッピーエンドが待っている。

このまま上手くいって、女の子と男の子は結ばれるのだろう。

天空時さんは、わたしに何を伝えたかったのだろうか。

そう思いながら、次のページを捲る。


【ところが─────】


先ほどまでの明るい背景とは一変、背景が真っ黒に染まった。

チョコを持った女の子の見ている前で、男の子が他の女の子からチョコをもらっている。


【「すきだ」という おとこのこえが きこえてきました。

おんなのこは くるしくて ちょこをもったまま いえに かえりました。】


絵本なのに、失恋した……。

その失恋が、わたしの記憶とも被り、心の傷がズキリと痛む。


”急に悪いけど、別れてくれない?”


その文字が蘇ってきて、胸が締め付けられる。

絵本の中の女の子も、きっと、こんな気持ちなんだろう。

少しためらいながら、次のページへ進む。

そこには、母親に抱き着いて泣く女の子が描かれていた。


【「わたし だいすきだったのに。

きっと あのこより だいすきなのに。」

おんなのこは なきました。

「くるしいよ おかあさん。」】


苦しいよ。

その台詞が、胸に突き刺さる。

そうだよね、苦しいよね。痛くて、辛いよね。

ズキリズキリと存在を主張してくる心の傷。

息も出来ないほど、苦しいよね……。

わたしは、ページを捲る。


【おかあさんは いいました。

「だいじょうぶ だいじょうぶ」

おかあさんは おんなのこに やさしく わらいかけました。

「ひとを すきになれるのは とても すてきなことよ。

いまは くるしいかもしれないけれど すきになってから くるしいことばかりでは なかったでしょう?」】


その問いかけに、わたしは考える。

……苦しいことばかりでは、なかった。

嬉しいことも、楽しいことも、幸せな気持ちになれたことも、たくさんあった。


【「それにね きっと そのくるしさは あなたを すてきな おんなのこに してくれるわ。

あなた これから とっても しあわせになるのよ。」

「ほんとうに?」

「えぇ。しあわせになるの。」】


その言葉は、妙に心に染みる、優しい言葉だった。

わたしはその言葉をゆっくりと噛み締めて、ページを捲る。


【「だから きょうのことは たいせつな おもいでに しましょう。」

「おもいでに?」

おかあさんは えがおで うなずきました。】


大切な思い出。

整理して忘れることよりも、わたしに出来そうなことだった。

ページを捲る。


【「わかった!」

おんなのこは そうこたえて まどのそとを みました。

「あ!ゆきだ!」

おかあさんも まどのそとをみて いいました。

「じゃあ あなたのなかで きょうのおもいでは ”しろいおもいで”に なるわね。」

おんなのこは えがおで うなずきました。

”しろいおもいで”を とてもたいせつに こころにしまいながら。】


絵本を閉じる。

大切な、思い出に……。

そうしたら、いつか、心の傷も癒えるだろうか。


「ありがとうございました」


わたしは立ち上がって、天空時さんに頭を下げる。


「何だか、救われたような気がします」


顔を上げると、天空時さんは微笑んでいた。


「美里さん。あなたは、きっと幸せになれるわ」


その微笑みは、何処か絵本の中の母親に似ている。

天空時さんは椅子から立ち上がり、扉を開く。

チリン、という軽い音色が、わたしの気持ちをさらに軽くする。


「あなたは、もう大丈夫」


わたしのために声を荒げてくれた女の子たちにも頭を下げて、わたしは絵本屋さんから出た。

きっと、わたしは何か変われたはずだ。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ