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太陽と花、と影

虐待 自己肯定感が底辺 恋愛未満 婚約者 先は未定


※申し訳ありません、正直中途半端な短編です。一応前編扱いになります。気が向けば続きを書きますが、書かないかもしれません。そういった中途半端が嫌な方は読まないでください。


 婚約者を初めて見た時、私とは相容れない人だとすぐにわかった。


 なんの疑いもなく真っ直ぐに私を見詰めて微笑む空色の瞳。成長途上にありながらも鍛えられた肉体と洗練された動きは本人の性質を物語っているようだった。きっと真面目で誰からも愛されるお日様のような少年なのだろう。


「初めまして、サフィア嬢。レインニー家が三男、エスターと申します。本日はお招きいただきありがとうございます。お会いできる日を楽しみにしておりました」

「こちらこそ楽しみにしておりました。初めまして、サフィア・ブロイットです。末永く、よろしくお願いいたします」


 当時私たちは13歳だった。婚約者として初めて顔合わせをした席で、私はこの方との付き合いがさほど長くないだろうと理解していた。


 それほど長くない13年という月日の中で、自分の価値は嫌と言うほどわかっていた。少なくとも、こんな輝かしい少年の隣に並べるほどの価値はない。


 向こうもすぐにその事に気付き、私のことなど見向きもしなくなる――父と母のように。ぼんやりとした頭でそう結論付けた。


 太陽に愛された少年。まだ恋を自覚していなかったあの頃でも彼の輝きは私には眩しすぎて恐ろしかった。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 その声に気が付いたのは偶然だった。爽やかな笑い声が2人分、風に乗って流れてきた。


 一瞬そのまま通り過ぎようかとも思ったけれど、それより先に彼女が私に気が付いて声をあげた。


「あ、サフィアさん……」


 先程までとはうって変わって弱々しい声に呼ばれて、仕方なく彼らの方に向き直る。


 ……そんなに怯えた目で見るのなら声などかけなければよいのに。


 まるで私が虐めているようではないか。何とも言えないやるせなさに溜め息を吐くと少女が肩を揺らした。すると彼女を守るように彼が前に進み出た。


 少女ととても楽しそうに話していた私の婚約者は、今はその秀麗な顔を強張らせていた。


 その表情の変化がなんだか面白くてクスリと笑う。


 するとエスターの眉間に一瞬だけシワが寄った。けれどすぐに真顔に戻り、固い声を出した。


「サフィア、どうしてここへ? ――何か用でもあったのか?」


 エスターの言葉に少しだけ首を傾げた。闇色の髪が肩から滑り落ちる。


 エスターの金髪に少女の柔らかい栗色の髪は、まるでこの世界に愛されている証のように太陽を浴びて光を持つ。


 けれど私の髪は不吉とされる黒だ。しかも瞳まで黒で気味悪がられているのを知っている。


「別に用などありません。偶々通りかかっただけです。――自意識過剰ですわ」

「そう、か。それは呼び止めて済まなかった。これ以上邪魔はしないから行ってくれ」

「そうしていただけるとありがたいです。わたくしもお二人の邪魔はしたくありませんから。ですが、お気を付けになって? 今はまだ、わたくしが婚約者ですのよ。ねぇ、フロリアさん?」


 少女――フロリアが身を竦めるのが僅かに見えた。その手がギュッとエスターの二の腕辺りのシャツを掴んでいる。


「俺達はそんな関係じゃ……!」

「どういう関係だろうと興味はありません。問題は『どういう関係に見えるか』なのです」

 

 わざとらしく周囲を見渡す。誰もいない学舎の裏庭で2人きりで居た。これがどれだけ不用心で危険なことかわからない男ではないはずだ。


 その仕草だけで私の言いたいことが伝わったのか、エスターは苦虫を噛み潰したような顔をした。


「……確かに、婚約者のある身として不用心だった。すまない」

「謝る必要はございません。きっと、偶然・・ここで出会われてお話をなさっていたのでしょう?」


 私が発する含みに後ろの少女だけが気付いたようだ。さらに身を縮こませた。


 その姿に黒くてドロリとしたものが心の中に溢れた。視線を剃らし軽く深呼吸する。


 ……どうして、と思う。どうして貴女は守ってもらえるの?! と、まるで子供のような癇癪が顔を出さないように押さえ込む。


 私の中で唯一両親から望まれてきたもの。『ブロイット家の長女として恥ずかしい真似だけはするな』その教えが私の行動や感情のすべてを支配する。


 まるで物語の中の主人公のような二人から、逃げるように背を向けた。


「……お互い節度ある友情を育んでいきましょうね? それでは失礼致します」


 私は一度も振り返らずに立ち去った。だから残された二人がどんな表情をしていたのかはわからない。


 しばらく歩いてふと気が付いた。最後の一言はお互い顔を合わせると不快な気持ちになるのだから、迂闊に声をかけないで――そんなつもりで私は発していたけれど、普通に読み取れば二人に対する単なる嫌味だと。


 ……どうしてこう、上手くいかないのか。


 今ではこの学園内においてあの二人の関係は有名だ。未だ一方的にフロリアの方が想いを寄せているようだとはいえ、私の婚約者がほだされる日もそう遠くはないと思う。


 ――婚約した時も長くはないだろうと思ったわ。結局、4年経った今でも関係は変わっていないけど。


 それが善いことなのか、それとも悪いことなのか私には判断はつかなかった。




◆◇◆◇◆◇・◇◆◇◆◇◆




 初めて婚約者を見た第一印象は『不気味』だった。


 全てを塗り潰すような黒い髪に表情の見えない同色の瞳。それなのに肌は白く細い筋の見える首筋に腕が、正直気持ち悪かった。


 今まで会ったことのない雰囲気を持つ少女に気圧されていた。


 その顔合わせは最初の印象が強すぎて、会話など内容は覚えていない。ただじっと彼女を――サフィアを見ていたのを覚えている。


 帰りの馬車で同行した父が渋い顔をしているのにしばらく気が付かなかった。脳裏では婚約者だという少女の笑顔が反芻していたのだ。だがこれは良い意味ではなく、悪い意味でだ。正直、あんな気持ちの悪い笑顔は初めて見た。ただ口角を柔らかく上げて目尻を下げただけの表情。


 形は笑顔でもその目に浮かぶ表情は人それぞれ違う。好奇心に輝いている人もいればこちらを蔑む人もいる。笑顔の裏では様々な感情が見え隠れしているのが貴族だ。彼女にはそういった感情が一切見えなかったのだ。


「――後味の悪い顔合わせだな」


 父の声に物思いから返る。意味がわからずに瞬きしていると、父が背もたれに深く背中を埋めて溜め息を吐いた。


「あれだけはっきりとした先祖返りは不和の種だな。エスター、ブロイット夫妻の顔を見て何も思わなかったか?」


 問われても何も答えられなかった。ブロイット夫妻……正直、何となく着ていたドレスの色と声しか思い出せない。


 父が呆れたように眉を上げた。


「お二人とも、見事な金髪に夫人は緑、侯爵は青い瞳だったろうが」

「そういえば……」

「だが、サフィア嬢はどうだ? 真っ黒な髪と目だ。――若く無知な者なら不貞を疑うことも珍しくないだろう」


 父は後味の悪い酒を飲んだ時のように顔をしかめた。


「――あの異様なまでの白さと細さ、それにあの無表情さも。おそらく良い扱いは受けていないはずだ。エスター」


 父に呼ばれてハッと顔を上げた。真剣な表情の父の顔には親としての情が溢れていた。


「この婚約はお前の将来を思って決めた。お前が婿入りしブロイット侯爵家に入ることは、我が家にとっても益はあるが息子の不幸を望んでまで欲しいものではない。……もしも気が進まないのなら早めに言いなさい」


 父の言葉に言い知れぬ不安が胸のうちに広がった。


 ……彼女は一体どんな扱いを受けていると言うのか。家族仲がよく、いつも笑顔の耐えない家族に囲まれている俺には想像もつかなかった。




 その時の父の言葉で俺の中に彼女への“興味”が沸いた。ただ不気味な存在というのではなく、何かしらの事情を抱えた存在だと認識するようになった。


 それは恋ではなく未知なるものへの好奇心に近い。彼女と言う存在そのものが俺にとっては謎だった。


 だから正直婚約が嫌だとか考えたことはない。むしろ婚約者という立場を使って彼女を観察していたように思う。


 恋愛感情はないけれどサフィアを理解したかった。そうすればこの胸のうちに広がった不安を払拭出来るだろうと根拠もなく信じていた。


 けれど3年以上経っても彼女を理解するどころか近付くことすら出来ずにいた。


 微笑みを型どっていても明るい感情など一片も見せない目。完璧な礼儀と社交辞令でけして本心を見せず、いつも俺を見ているようでその心に俺は存在していない。


 幾度となくエスコートをして物理的な距離は縮められても、心の距離は全く埋まることはなかった。


 3年もすると彼女との距離を縮めようとは思わなくなった。未知の存在だった婚約者はさらに遠くなり違う生き物のような気さえしていた。


 それだからむしろ、好悪の感情はなく、また煩わしく思うこともなく婚約は続いていた。


 それが一変したのは1年近く前だ。


 俺はその日初めて彼女の笑顔を見た。作られた感情のないものではなくて心から零れ出た笑顔を。


 その笑顔を見た瞬間から俺の世界は変わった。




「あ……」


 ポキッと小枝を踏む音に腕を止めた。慣れた気配に振り返る前から誰かわかる。


「フロリア嬢」


 なぜ彼女がここにいるのか。この時間になれば学生はみな帰宅していない。しかもここは校舎裏の人気のない場所だ。


「こんな所で練習?」


 警戒心を感じさせない柔らかな笑みで近付いてくる。俺は木刀を下げると首に掛けた布で汗を拭った。


「――ああ、どうしても型に納得がいかなくて。今年こそは剣舞の代表に選ばれたいからね。ルークの奴にだけは負けたくないんだ」


 少々力み過ぎたのか、彼女がクスクスと軽い笑い声をたてた。


「本当に二人は仲良しね」

「……そう言われると、素直に頷く気にはなれないね」

「ふふ、それでも否定はしないのね。羨ましい……私も騎士科に入ればよかった」

「失礼だが……君が騎士?」


 思わず数秒見合った後、同時に吹き出した。

 

 フロリアは朗らかな人柄と愛らしい容姿で多くの人の心を掴む少女だった。彼女の笑顔に夢を見る男は少なくない。


 俺の親友ルークも彼女に惚れている。


 フロリアと一緒にいるのはとても楽だ。気負うことなく素のままの自分で接することができる、数少ない女友達だ。


 フロリアとルークが纏まればな、と思う。


 不意にフロリアの顔が強張った。


「あ、サフィアさん……」


 彼女の口から出た婚約者の名前に驚きながら後ろを振り返った。そこには固い表情の婚約者がいた。


 タイミングの悪さに顔が強張る。いつもならもう少し遅い時間に彼女は現れるはずだ。それを見越してここで稽古をしていたのに。


 フロリアの肩が揺れたのに気付き彼女の前に立つ。


 一年前、彼女の笑顔を見たときから俺は変わった。サフィアの前に立つと異常に緊張するのだ。彼女の一挙一動が俺の心を打ち天国にも地獄にも突き落とす。


 そんな俺を見て、小さく笑ったのが酷く神経に障った。


「サフィア、どうしてここへ? ――何か用でもあったのか?」


 彼女が今日、ここに来ることは知っていた。思ったよりも時間は早かったが。知っていて俺は問いかけるのだ、どうしてここへ、と。


 けれど彼女の答えは残酷だった。


「別に用などありません。偶々通りかかっただけです。――自意識過剰ですわ」


 感情のこもらない声でそう言われるとこれ以上何も言えなくなる。俺だって彼女が会いに来てくれたなどとは思っていない。むしろ彼女の行動範囲内に入ったのは俺の方なのだ。


 しかし……婚約者に自意識過剰とまで言われてはさすがに心が痛む。


「そう、か。それは呼び止めて済まなかった。これ以上邪魔はしないから行ってくれ」


 そう言うだけで精一杯だった。


「そうしていただけるとありがたいです。わたくしもお二人の邪魔はしたくありませんから。ですが、お気を付けになって? 今はまだ、わたくしが婚約者ですのよ。ねぇ、フロリアさん?」


 あまりの言いように怒りで目の前が真っ赤に染まった。二の腕辺りをギュッと掴まれた感覚に咄嗟に守らなければ、と口を開く。


「俺達はそんな関係じゃ……!」

「どういう関係だろうと興味はありません。問題は『どういう関係に見えるか』なのです」


 淡々とした声でサフィアはことさらゆっくりと周囲を見渡した。


 彼女の言うことはいつも正しい。貴族の子供として何一つ間違ったことは言わない、いつだって完璧だ。


 俺は素直に謝罪しようと口を開く。


「……確かに、婚約者のある身として不用心だった。すまない」

「謝る必要はございません。きっと、偶然・・ここで出会われてお話をなさっていたのでしょう?」


 己の不甲斐なさを恥じていると、サフィアの口調に僅かな棘を感じた。思わず彼女を見詰めるが、その表情は伏せられていて見えない。


 ――なぜ、隠す?


 その時不意に暴力的なまでの苛立ちが俺の全身を支配した。


 いつだってそうだ。いつも君は俺の前では全てを隠す。まるで俺など興味ないと言わんばかりに。


 握り締めた拳に浮かんだ筋を、そっと何かが優しく触れた。


 驚き振り向こうとした俺の耳に冷めた声が届いた。


「……お互い節度ある友情を育んでいきましょうね? それでは失礼致します」


 ――それは俺とはこれ以上近付きたくないと言うことか?


 息さえまともに出来なくなりそうな衝撃の中、彼女の靴音が遠ざかっていく。


 靴音が完全に聞こえなくなってから、全身の力が抜けていった。空しくて悲しくて腹立たしくて、なんとも複雑な色合いで心が染まる。


「……あの、ごめんなさい。私が軽率だったせいで、サフィアさんに誤解させてしまったんだと思う」


 フロリアの言葉に詰めていた息を吐き出す。


「いや、大丈夫だ、フロリア嬢は気にしないでくれ。――サフィアの言うことも間違ってはいない。君には嫌な思いをさせたね、門まで送ろう」


 彼女の体に触れないよう、エスコートの手を伸ばす。そして促すもフロリアは動かない。


 訝しく思って彼女の顔を覗き込もうとした。その時、小さな呟きが鼓膜を叩いた。


「……私じゃ、駄目かな?」

「え?」

「私じゃ、エスター様の支えになれない?」

「何を言っている? フロリア嬢」


 おいおい、止めてくれ! そう叫びたかった。まさかそんな醜態を曝すわけにいかないので、なるべく冗談として流そうとした。


 けれども彼女の目が俺の逃げ道を塞いでしまう。


「私は、貴方が好き。ずっと好きでした。身分違いもわかっています、それでも……自分の心を誤魔化したくない」

「止めろ、それ以上は言うな」


 ふざけるな、そう本気で思った。そして裏切られた、とも。


 俺の怒気を感じ取ったのか、フロリアは痛そうに顔を歪めると俯いてしまう。


「……君のことはかけがえのない友人だと思っている」

「……ええ、知っています」

「それならばなぜ! なぜ、そんなことを言う?!」

「貴方を愛しているから! その視線を私に向けてほしいから!」


 彼女は大声で言い切ると涙を流した。その目は澄んでいるのに激情を写して輝いている。


「貴方が婚約者をずっと見ていることは、貴方をずっと見ていたからわかっています。貴方が幸せなら私は何も言わなかった。だけど、いつ見ても彼女の目には貴方への想いが映らない。どこまでも冷めた瞳で見られて傷付くエスター様をこれ以上見ていたくはない!」


 真っ直ぐな想いは言葉に乗って直接心に響いた。


 ……本当は薄々わかっていた。彼女が俺に向ける感情は友愛などではなく、もっと熱く激しいものだと。


「……すまない、君の気持ちに応えることはできない」


 たとえ婚約者のいない身だとしても。今の俺が出せる答えは友情でしかない。


「……はい、わかっています。それでも伝えたかった。貴方にこの心が届かないとしても、貴方を想う者がいるって知っておいて欲しかった」


 そう言って微笑んだフロリアは息を呑むほど美しかった。


 正直に言うと、ここまで親しくしている愛らしい女性に真摯な想いを向けられて、心が揺れなかったと言えば嘘になるだろう。


 健気に微笑み滲んだ涙を拭う姿に、抱き締めそうになる両腕を必死に押さえていた。


「送っていくよ、フロリア嬢」

「いえ、大丈夫です。まだ明るいし学園内だし」

「いや、駄目だ。せめて門までは送る。おいで」


 遠慮するフロリアにエスコートするように再び腕を差し出すと、少しだけ迷った後、照れたように耳まで真っ赤にして俺の腕に手を回した。


 そのまま俺たちはその場を後にした。


 ――別れたサフィアをそのままにして。




◇◆◇◆◇◆・◇◆◇◆◇◆




 遠ざかる二人の背中を黙って見詰める。


「婚約者をずっと見ている、か」


 彼女の言う通りなら、どうして私は今独りでいるのだろう。

 思わず口の端が上がる。それが呼び水となったのか、腹の奥から笑いが込み上げてきた。


「ふふ、ふふふふふ、はははは」


 笑いが止まらない。


 ああ、おかしい。なんて茶番だろうか。言葉ほど当てにならないものはない。私を愛していると言うのなら私を追うべきでしょうに。けれど行動が仕草が、全てがもの語っている。暖かな眼差しを向ける先に居るのは誰なのか。彼が笑い声を上げる場所にいつも居るのは誰なのか。一番に手をとる相手は誰なのか。


 考えるのも馬鹿らしい事実が目の前にある。


 笑いが収まってくると頭が冷えていく。けれどそれ以上に心が凍っていく。心が凍ってしまうと涙も流れなくなる。


 それでいい。泣いたところで慰めてくれる腕も気にかけてくれる声も、ない――。


 ゆっくりと歩を進め、森の中へと入っていった。しばらく歩くとそこには目的の場所がある。


「……こんにちは。お久し振りね」


 そこには小さな川が流れており穏やかな広場になっていた。陽が射し込むと暖かく、キラキラと水面が踊る。


 その広場に居たのは私の唯一の歓び――。


 金色の目をした美しい狼の親子がそこにいた。


 よく晴れた日の夕方近くになると狼の親子は森の奥から出てくるようで、それに合わせてここに来るのは私の日課になっていた。


 距離を詰めすぎないように、そっと近くの岩の上に腰を下ろす。そして彼らをじっと眺めた。


 慈愛に満ちた母親の眼差しを受けて、兄弟仲良く無邪気に遊ぶ若狼たち。


「……私も、貴女の子供に産まれたかった」


 ぽつり、と零れた言葉に母狼の耳が僅かに動いた。そして金色の眼がこちらを見たので慌てて視線を逸らした。


「ごめんなさい、迷惑よね。私ではきっと、誰もが迷惑に思うでしょうね……」


 実父母のように。


「ごめんなさい、ごめんなさい……」


 この場所は暖かいと言うのに。まるで凍り付きそうな程に体が寒い。心が冷たい。抱き締める己の手が冷たすぎて厭わしい。それでもすがれるものは何もなくて折れないように抱き締めるだけだ。


 それでも狼の親子からは目を離さない。その憧れてやまない情景を瞼の裏に焼き付ける。


「……もう、会えないかもしれないの。最後にどうしてもお礼が言いたかった。――ありがとう。貴方たちを見ている時が、一番幸せだった」


 たとえ獣の姿であろうとも、彼等の間に流れる情愛を確かに感じられた。


 ――私が望み憧れ、そして幼い頃に諦めた“愛”がそこにはあった。


 僅かな時間の邂逅を果たし、すぐにその場を立ち去った。




 初めて顔合わせをした時、私はこの婚約が長くないだろうと理解していた。


 それは何よりも自分が誰かに愛される、それを想像することが出来なかった。そして私が愛したものは反比例するように私を嫌悪すると知っていたから。


 そして何よりも。私の居場所がこの家にはないと知っていたからだ。

『ブロイット家の長女として恥ずかしくないようにあれ』――そう言われ続けていたけれど、一番私を拒絶していたのが家族なのだから嗤うしかないだろう。


 だから、いずれはこうなることはわかっていた。


 私とは違い、父母の血をきちんと受け継いだ妹が跡取りになることも。金髪に青い目の愛らしい妹の瞳に、姉の婚約者を見る以上の熱が見えた時に、いずれ私の立ち位置は妹のものになるだろうと。


 捨てられることなど理解していた私は、ただその時を待っているしかなかった。

次話は別物になると思われます。続きが書ければ、後編として割り込み投稿します。

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