イトスギの恋
コンプレックス 女騎士 男娼 微エロ 未来は未定 途中ヒーロー視点有り ヒーローは男娼ですので、同性同士の行為を思わせる表記有り ※主人公(女)が娼館に通う表現があります。苦手な方はご注意を。
私は性別は女として産まれたけれど、異性であるはずの男から女として扱われることはほとんどなかった。
けして不細工な顔ではないと思っているし、まだ小さな頃はそれなりにお姫様になることを夢見ていたりもした。
――薄々、感じていた変えようのない現実を突き付けられたのは、13歳の時だった。幼馴染みとの婚約話が持ち上がり、改めての顔合わせを行った時のことだ。
この時、私は婚約者となる幼馴染みに対して友情以上恋愛未満の淡い想いを抱いていた。ヤンチャだけど優しい彼となら……と暖かな未来予想図を描いていたほどだ。
けれど、それは私ひとりの寂しい妄想だった。
準備されたお茶会の席で、顔を合わせた瞬間の彼の表情を私は生涯忘れないだろう。精一杯着飾った私を見て、彼はこれ以上ないくらい驚愕に目を見開き、しばらくして我に返ると震えながら顔を真っ赤にして言い放ったのだ。
「――お前! なんでお前がここにいるんだよ?! 俺はミレイユがいると聞いてきたんだぞ!! ふざけるな!!」
挨拶もなくいきなりの罵声になんと返せばよかったのか。
凍り付いて何も言えない私に幼馴染みはさらなる罵声を浴びせてきた。
「ふざけんなよ、そんな格好をしたところでお前が女に見えるわけないだろ! 何が悲しくて自分より大きな女と結婚しなきゃならないんだよ!! 馬鹿にするな! 誰がお前なんかと――!」
最後まで聞かずに、私は気が付けばその場を走り去っていた。
結局、その日の顔合わせは失敗に終わった。それどころか、家格は向こうの方が上だったので私は両親からお説教をくらった。それでも両親が婚約のことを何も言わなかったところをみると、心の中では腹に据えかねていたようだ。
それから私は幼馴染み達と距離をとるようになった。ちなみにミレイユ様も友人の一人で、私よりもかなり小さな可愛らしい女の子だ。
幼馴染み――フレッドもミレイユ様をとても可愛がっていた。きっと彼にしてみれば私でなくミレイユ様が婚約者になると思っていたはずだ。それなのにいざ蓋を開けてみれば、いつも一緒に泥だらけで剣術を学んできた男みたいな女だったのだ。
そりゃ、話が違うと怒鳴りたくもなる。
それから2年間、私は剣術にのめり込み己を鍛え上げた。元より我が家は代々騎士として主を支えてきた一族だ。父も反対はしなかった。
そして決定的な出来事となったのがデビュタントの日だった。
15歳の冬、私は王城で開かれる夜会に初めて出席し、嫌と言うほど現実を見せつけられた。
私よりも頭ひとつ分小さな同年代の少女たち。白い肌をさらし髪を華やかに結い上げ女性らしい豊かさと細さをそれぞれ惜しみ無く見せ付けて。
まさしく愛らしい蝶々のようで、私は自分の日に焼けた肌や身長のわりに凹凸のない棒のような体、剣だこのできた節だった指が恥ずかしくて堪らなかった。そしてそこで久し振りにミレイユ様と、その白い手を取りエスコートするフレッドの姿を見付けて。
私はその時はっきりと自覚した。
――ああ、そりゃフレッドが顔を真っ赤にして怒るはずよ。あの可愛いミレイユ様がいると思ったら、こんな男女がいたんだもの。
その光景は今でもハッキリと脳裏に焼き付いている。豪華絢爛な大ホールに華やかなドレスの少女たち。そして初々しい少年達が意中の相手の気を引こうと群がる中。
頭ひとつ突き抜けていた私に声をかける人は誰もいなかった。
それからというもの、私にも何度か婚約の話が持ち上がっていたが、全て向こうから断られた。さすがに5回も続くと、もはや自分でも、貰ってくれるのなら誰でも構わないと投げやりになっていた。
けれど流石に7回目のお見合い相手である、40歳を過ぎた男色家として有名な伯爵様に「跡継ぎを産む腹を探している」と言われた時に、もう全てがどうでもよくなった。
そして理解した。女として生きようとするから苦しいのだ。幸いなことに私には剣の腕があり、父は領主様の騎士団で副団長を勤めている。そこで父と話し合い騎士団に入ることを決めた。
父は騎士団の制服に身を包んだ私を見て、「お前に相応しい男は必ずどこかにいるはずだ。だから、諦めないでくれ」と言われた時は、正直泣き笑いの表情しかできなかった。
……お父様、違います。私に相応しい男がいないのではなく、私が相応しい女になれないのです。
不覚にも涙が溢れないように笑うしかできなかった。
私は騎士団の中でも警ら騎士隊への配属を希望していた。……希望が通り警ら騎士隊へ仮入隊できたのは、おそらく父なりに思惑があったのだろうと今ならわかる。
けれど当時はそんな親心など知るはずもなく、これで領民のために働くことができると素直に喜んでいた。
騎士団に入って一年は新人として雑用ばかりをこなし、それ以外の時間は訓練ばかりだ。二年目からは正隊員として領都内の見回りや巡回業務が増える。
騎士団に入り一年が過ぎる頃、先輩でもあり実兄でもあるファル・ブレファンに呼び出された。その顔色は憂鬱そうで空気が重い。何を言われなくてもその雰囲気だけで、良くない話だなと予想がつく。
「あー、エルナ。お前も知っている通り、俺は遠回しに話すのは苦手だ。だから率直に言う」
そう言ったまま兄は黙り込んだ。
……今率直に言うと言ったばかりなのに、もう躊躇ってしまってどうするのか。
私の呆れた目に気が付いたのだろう。兄は嫌そうに顔をしかめた。
「――お前の覚悟が知りたい。このまま騎士団に留まるのか、それとも結婚して職を辞すのか」
呼び出された時点で話の内容の見当はついていた。この返答次第で私の人生がはっきり別れることも。
私はまだ先を続けようとする兄の言葉を遮りはっきりと意思を告げた。
「私は騎士団に残ります。結婚する意思は欠片もございません」
「……お前なぁ。それの意味がわかっているのか?」
「わかっていますよ、兄上。そもそも結婚しようにも相手がおりません。選択肢として間違っています」
せめて騎士団を続けるか違う職に就くか、ではないだろうか。苦笑混じりの私の指摘に、兄はふと真顔に戻り態度を改めた。
「それなんだがな。実はお前に縁談がきているそうだ」
「……また父上ですか。どこかの若者に無理強いを――」
「違う。これは向こうからの申し出だ。父上はむしろ渋っている」
「向こうから? ……それはどんな見返りを求められての縁談ですか」
思わず責めるような口調になってしまい、そのことが自分で痛くて兄から視線を反らした。
「見返りではない……償いだそうだ」
抑えきれない怒りが兄の握り締めた拳から洩れていた。
「償い?」
全く心当たりがなくて気持ちが悪い。
「ああ。償いだとよ。フレッド・ページェスがお前に婚姻を申し込んできた」
あまりにも思いもしなかった名前に脳内処理が追い付かなかった。カラカラと糸のないまま回転する糸車のように思考が空回りする。
「フレッド、ですか。彼はミレイユ様と婚約されていたのでは?」
償いだとか突っ込みたいことは幾つかあるけれど、これだけは聞いておかなければいけない。
我らの主家に当たる領主様の一人娘がミレイユ様だ。そして領主一族の傍系がページェス家で、確かミレイユ様とフレッドは従姉妹同士になるはずだ。
将来女領主となられるミレイユ様を支えるため、フレッドは婚約者に選ばれた。だからデビュタントの日、婚約者として彼はミレイユ様のエスコートをしていたのだ。
それがなぜ……。ミレイユ様との婚約はどうなったのか。それに償いだと言われても困惑が深まるばかりだ。
「……まぁ、なんにせよ、お断りください。私は騎士としてこの身を領地に捧げる覚悟は出来ております」
あっさりと考えることを放棄する。フレッドは私にとって友人の一人にしか過ぎない。今さら夫になど考えられなかった。
「その覚悟は変わらないか」
「はい」
「そうか。くそっ、……ならば、娼館へ行ってこい」
「はい、わかりました」
重いため息を吐いてもまだ重苦しい心中を表したように俯く兄を置いて私は部屋を後にした。
昔、こんなことがあった。
私と同じように騎士団に身を置き、領地の治安に人生を捧げた女性がいた。彼女自身は愛していた婚約者を亡くし、その婚約者に操を捧げていたそうだ。
だが彼女は当時敵対していた盗賊団に拐われてしまう。そして助け出された頃には身も心も滅茶苦茶にされて正気を失っていたという。酷い暴行と執拗ないたぶりの跡に、仲間の騎士達は激怒した。そして悲しんだ。
彼女を傷つけた盗賊団は復讐に燃える騎士達によって全員処刑された。
それから10年後、長い養生の末なんとか自我を取り戻した女騎士は、一番に己の覚悟の浅さを語ったという。騎士として生きる意味を軽く考えていたと。己の自覚の薄さが弱さを生んだのだと。
そして彼女は当時の騎士団長にこう進言した。
「もしもこの先私のような者が現れたら、騎士として生きる覚悟を問うてほしい。女を捨てたつもりでも女である限り、私と同じような目に遭う可能性は高い。男の中に身を置く限り、男を知りあしらう術を学ぶべきだ。そして――その身が純潔では地獄を見ることになる」
それ以来、騎士団ではこんな特殊な決まりが出来た。
『新たに騎士となる女は純潔を捨て娼館で身を守るための術を学ぶこと。それが不可能であれば、配属先を警ら騎士から外れ内勤、もしくは近衛隊に変えることを厳命する』
正直これは、警ら隊から女騎士を外すために作られた規則だった。実際この規則が出来てから警ら隊に女騎士の姿はなかった。
今回、私の存在が初めてとなるのだ。
「――あら、話には聞いていたけれど。本当に来られたんですねぇ」
何度か顔を合わせたことのある女将は困ったように笑う。
兄の執務室を出てまっすぐにこの店に来た。ここは領都内で1、2を争う高級娼館だ。
もたもたしていたらきっと兄や父の妨害に合う。思い立ったら吉日、というわけではないが、早く警ら騎士隊の一員として胸を張りたいのだ。
「本当によろしいんですか? エルナ様はまだお若いのですから、もう少しお考えになられても……」
「もう覚悟は決めてきた。女将、済まないがよい相手を見繕ってもらえないか?」
「左様でございますか。それでは――エヴァンの部屋へご案内しましょう」
下男の案内で館内を進む。大階段を上がりさらに階段を上がっていく。その足取りがどんどん重たくなる。
……別に今更怖じ気づくわけではないが、こういった高級娼館では階が上がるほど娼婦や男娼の値が跳ね上がる。一応ここの費用は経費で落ちるらしいがなんだか申し訳なく感じる。
違う意味でドキドキしてきた。
「エヴァン上花、入ります」
「――ああ、どうぞ」
促されるまま室内へと踏み入れた。中は意外にも清潔感溢れる白と水色とで配色されており、娼館特有の崩れた感じはなかった。
窓際に置かれた椅子に腰かける人物に僅かに緊張が走る。覚悟はしてきたつもりだが、こうして今から情を交わす男を目にするとなぜだか涙が零れそうになった。
エヴァンと呼ばれた人物はゆっくりと窓の外から視線を外しこちらを見た。……その仕草のひとつひとつが美しい。男だと言うのに艶かしく上品で隙がない。
例えば私なら後ろから呼ばれたなら、くるりと振り向いて終わりだ。だが彼は振り向く間にもひとつの動作を置く。ゆっくりと振り向きながら1度軽く瞼を閉じて、こちらを向いてから目を上げるのだ。
思わず見惚れていると私を見たエヴァンが僅かに動揺を示した。それは普段から人間観察に優れた騎士でなければわからなかっただろう。
やはり私ではその気にならないのかもしれない……。
悲しいかな、私に女を見出だしてくれる男はいない。男娼であれば男を相手にすることもあるので大丈夫だと思っていたけれど、もしかしたら男娼でも私の相手は嫌なのかもしれない。
そう考え付くと、途端に恐ろしくなる。拒否や否定の言葉を聞く前に慌てて部屋を出ようとした。
するといつの間に側に来たのか、男の白い手が私の日に焼けて固くなった手をそっと掴んだ。
驚いて思わず私より僅かに低いその視線を見返した。
――ああ、なんて綺麗な緑。あまりの美しさに恐怖すら感じて後退る。
「――逃げないで。……ありがとう、ジック。下がりなさい」
外見の中性的な美しさからは思いもしない低い声だった。その響きが思いの外心地好くて変な緊張感が少し和らぐ。
下男が下がると手を引かれて窓際の席に座るよう促された。そして「少し待ってて」と続きの部屋へと男は消えた。
することもなく、窓の外を眺めた。
眼下に広がる景色に目を細める。店の入り口は反対側にあるため、ここからは裏町へと続く路地が見える。
犯罪の巣窟となりやすい裏町や歓楽街は警ら騎士達の巡回路になっていた。普段見慣れている景色も上から見るとまた違って見えて面白い。
細かいところまで見ようと身を乗り出していると、後ろからふんわりと良い香りに抱き締められた。
「危ないですよ、いくら騎士様とはいえ、落ちれば只ではすみませんから」
耳元で囁かれて鼓動が跳ねた。
慌てて体ごと向き直ると優しく笑うエヴァンがいた。その近さと美しさに息が止まる。
「さあ、お茶を淹れましたのでお召し上がりください」
爽やかなのにどこか甘い香りのするお茶が目の前に出された。戸惑いながらとりあえず一口含む。
その様子をじっと見ている気配に心臓が落ち着かない。誤魔化すようにさらにお茶を啜った。
お茶が空になると、満足そうにエヴァンが微笑んだ。そしてどこの深窓の姫君か、と言わんばかりの優美さでお辞儀をしたのだった。
「改めまして、エヴァンと申します。お嬢様のお名前はなんとお呼びすればよろしいですか?」
「は、あの……エルナ、と」
「エルナ、お嬢様……」
そう、名前を呼ばれた瞬間に彼は笑った。それはそれは幸せそうに綺麗に。まるで恋する乙女のように。
そこにかつて失った私の心があった。今でも心の底で抱き締めている心の欠片が疼いた。
なにも言えずにいると、エヴァンは私の手をとり立たせるとベッドへと導く。
「……後悔はなさいませんか?」
「ああ、もう覚悟はしてきた。だから大丈夫だ。ただ……」
言い淀む私を見てエヴァンは首を傾げていたけれど、じっと続く言葉を待つ。
「……ただ、貴方には申し訳ないと思う。私が相手ではその、なかなか楽しめないだろうから」
瞠目するエヴァンから視線を逸らし、言い訳するように矢継ぎ早に言葉を続けた。
「私は幼い頃から無駄に身長が高いせいか、女として見られたことがないんだ。見合いももう何回と失敗しているし、そもそも剣の腕では他の男にも負けないほど筋が良いと言われてきた。だからその、私は他の女性のように可愛くも白くもないしがさつだし――」
途中で自分でも何が言いたいのかわからなくなってきた。尻窄みで黙り込んだ私を優しい手が包み込む。
「ああ、それで貴女は騎士になられたのですね」
白い手がそっと頬を滑る。まるで宝物に触れるような動きに背筋が震えた。
「貴女ほど美しい人はいないでしょうに……。本当に貴族とは愚かな」
パサリと結い上げていた髪が広がった。頬を撫でるのとは反対の手が髪をほどき、そのまま下に下がっていく。
「お気付きですか? 貴女は私が見てきた誰よりも美しい」
エヴァンの整った顔の中で唯一男らしいと言える強い眼差しが私を射抜いた。
視線を合わせたまま、男の顔が胸元に近付いていく。
いつの間にか荒くなっていた私の呼吸音が、晒しを巻いた固い胸越しに伝わる気がして、堪えられずに顔を逸らした。
「とても良い匂いがする。太陽の匂いだ」
そこからはもうなすがままに翻弄された。いつの間にか服は脱がされ晒しを外される。恥ずかしさのあまり膨らみを隠した。けれど日焼けした腕と胸元の白さの違いにさらに恥ずかしくなる。
ただもう、自分が恥ずかしかった。そして思い知らされた。自分が女として異性から見られないことと、自分が女を諦めてしまうこととは全く違う問題なのだと。
滲んだ涙が何年か振りに雫となって溢れ落ちた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
毎日のように窓から街を見下ろすことが日課になっていた。
裏町を行き交う様々な人達に、時折知人が居たりして見ていて厭きない。笑い声を上げる幼子にその後を追う兄弟、すれ違い様に笑顔を交わす大工の息子。
朝と夕方に、毎日同じ時間になると警ら騎士が通る。彼らはどこへいっても人気者で、あちこちから声がかけられる。
俺はいつも、それを冷めた目で見ていた。俺は男娼だ、何度か騎士団の奴らの相手もしたことがある。
あいつらはお綺麗な格好をしていてもしょせん下半身に支配された男だ、泣かされた娼婦は腐るほどいる。
……まあ、貴族相手に本気になった娼婦の方が愚かだと思うが。
そんな警ら騎士の中に、一年ほど前から見習いがついて回る事があった。
一目見てわかった。あの見習い騎士は女だと。上で見ている限り街の人間は気付いていない者も多いようだったが、俺達玄人から見れば女にしか見えなかった。
その日から毎回ではないが姿を目にするようになった。
栗色の髪を束ね、真っ直ぐに姿勢よく伸びた背筋、おそらく晒しで固めた厚い胸に引き締まった腰から脹ら脛までのラインは、ズボンを履いていてもそそるものがあった。
まるで太陽に向かって真っ直ぐに伸びる、命の輝きに満ちたサイプレスのようだと思った。
気が付けば、彼女の姿を探すようになっていた。暇があれば窓から外を眺める。部屋だけではなく表側の休憩所にまで足を伸ばして彼女を探した。
叶う余地などない想いだ。そんなことは嫌と言うほどわかっている。男娼と貴族のお嬢さんの恋物語など、誰が聞いても話にならないと嗤うだろう。だからここから見つめるだけだ。後一年もしないうちに彼女は騎士団を辞めてどこかに嫁ぐ準備を始める、その時まであの真っ直ぐに伸びた背中を見詰めるだけの恋なのだ。
灰色だった俺の日常に、太陽のように輝きを与えてくれた彼女の姿を少しでも長く見詰めていられること。
それだけが俺の小さな願いだった。
今日も窓から街を眺めていた。ここの娼館は既婚の貴族女性がお忍びで使うことも多い。そういった女性は昼間に裏口からやってくる。
上から見ていれば常連が来たかどうかすぐにわかる。
稼ぐためには客をとらなければならない。男を相手にするよりは女の方が何倍も楽だ。精神的にも肉体的にも。
できれば馴染みの客に来てほしいが馬車は来ない。
「エヴァン上花、入ります」
下男の声に眉をしかめた。この言い方だと客を伴っている合図だ。
先程から見ていた限りでは他の男娼達の常連ばかりが来ていたはずだ。そのうちの誰かが流れてきたのだろうか。
入室を促すと下男が思いもしなかった人物を連れてきていた。
栗色の髪を結い上げて、こんな場所だというのに、ここでも真っ直ぐに伸びた姿勢でこちらを見ていた。
――ああ、瞳は琥珀色なのか。
僅かに示した動揺を感じて彼女が逃げようとするのを、手を繋ぐことで制した。剣を持つ人間特有の固さはあるものの、それでもやはり男よりは柔らかい手だ。
騎士団の特別な規則のことはけっこう有名で、俺ですら噂程度には知っていた。乙女では警ら騎士にはなれず、辞めるか領主一族の護衛騎士になるしかないと。
思わず訪れた好機に心臓が大きく脈打っている。酷い緊張に喉がカラカラに渇いていた。
それでも彼女の名前を聞き出し、ベッドへと優しく誘導する。
おろした髪に指を絡ませてその匂いを嗅ぐ。明るい太陽の匂いと微かな汗の匂いに胸が締め付けられて目眩がした。
はなから手が届かないと諦めていた想いだ。それが今手の中にある。
すぐにも上がりそうになる息を必死に押さえる。彼女を雄の本能のままに怯えさせてはいけない。今日はただひたすらに甘く快楽に溶かすのだ。
――そうでなければ2回目以降、違う男娼に身を委ねるかもしれない。聞いた話だと男を知るために何度か通うようなことを言っていた気がする。
そうだ、また俺に抱かれたくなるように。快楽を肌に刻み込まなければ。
晒しを外した胸元は元の彼女の白さなのだろう。くっきりとした日焼けの境界線に舌を這わせるとエルナの体が大きく揺れた。
――落ち着け、落ち着け。
焼ききれそうになる理性の糸を手繰り寄せながら、その太陽の匂いのする肌に快楽の痕を残していった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
肌と肌の触れ合いは今まで知らずにいた幸福感を呼び起こした。
思いもしなかった、男の肌がここまで幸せをもたらしてくれるなんて。ここまで私を満たしてくれるなんて。こんなにも私の中の『女』が飢えていたなんて。
私は本当に何も知らなかったのだ。
快楽に揺さぶられながら口付けをねだる。応えてくれるエヴァンの目も熱で溶け出しそうなほどだ。
――ありがとう。そう口にするとなぜだか泣きそうに顔を歪めたエヴァンが見えた。
「また、来ても?」
下ろした髪をエヴァンに結い上げてもらい、身支度を整えて部屋を出ようとした。見送るエヴァンは何も言わないが、その目は焦燥となぜか諦念を浮かべていた。
思わず口をついて出た言葉は彼を余程驚かせたらしい。けれどすぐに我に返ると花が綻ぶように笑った。
「ええ、ええ、もちろんです。お待ちしております、ずっと……」
エヴァンはそっと瞼を伏せると、私の胸元に顔を寄せた。大きく高鳴った私の鼓動など無視するように、エヴァンはぐっと顔を寄せて第一釦を歯で引きちぎったのだ。
驚く私を満足げに見て、彼は釦を手のひらに乗せた。
「これは次に来られるまでお預かりしておきます。人質ですよ? だからまた……必ずお出でください」
その時に必ずお返ししますので――。
すがるようにそう言われると頷くしかできない。部屋を出て閉められようとする扉の隙間から、一瞬だけ中が窺えた。
最後に、手のひらに唇を寄せる男の姿が見えた気がした。
家族は戻った私を何も言わずに出迎えてくれた。そして数日後には正式な警ら騎士隊の一員として迎え入れられた。
――正直、騎士といっても高潔な人物ばかりではないのでからかってくる奴等は何人かいたが、そういった奴等はまだましな方で、露骨な閨の誘いをかけてくる者もいてうんざりした。
私自身はなにも変わっていないのに、周りの見る目は明らかに変化しているのだ。
……いや、ひとつだけ変わったことがある。あれ以来、エヴァン以外の男に触れられるのが不快でならない。
彼の動きや仕草を思い出す度に胸が苦しくなる。毎日でも会いたいけれど、色狂いと呼ばれるわけにはいかないから通う頻度は5日に一度だけだと決めていた。
……わかっている、彼の優しさも情熱も仕事だからだと。
それでも私は救われたのだ。
巡回中に裏町から娼館を見ると、必ずそこには彼の姿があった。遠くて表情まではわからないけれどそっと手を振る。
するとエヴァンも必ず振り返してくれるのだ。そのことがとても嬉しくて、私はどうしようもなく幸せになる。
この恋の先に道などないことは知っている。
それでもとても幸せだ。
ネタバレ有り。嫌な方は見ないでください。
幼馴染みのフレッド君はもう少し絡んでくる予定でした。13歳の頃はエルナの方が身長が高かったのですが、今では追い抜いています(笑)。彼は彼で葛藤がね、いろいろあるんです。
やっとこ素直になって婚約を申し込んだらさっさと違う男とヤっちゃってた、と。可哀想な奴です……。
この後の展開として、作者の中ではハッピーエンドとアンハッピーエンドと幾つか候補があります。私個人的に一番面白いな、と思う終わり方は、エヴァンに惚れ込んでいる高位貴族の若様が、彼を手に入れるためにエルナと結婚し三人でごちゃごちゃする話です。でもこれは明らかにムーン行きですね(笑)
次は男視点のぐっと切なくなるやつを書きたいです。未定ですが(笑)
2017.8.9 少し修正しました。