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逢瀬川まなみ 4

 その日の晩、みんなが寝静まってから僕は静かに家を出た。あたりには、飛び飛びに並んだ街灯以外には明かりはない。僕は自転車の小さなライトだけを頼りに、逢瀬川を埋めた貯水槽へと向かった。

 僕は上下つなぎの雨がっぱを着ていた。雨がっぱにはフードが付いていて、貯水槽から逢瀬川の死体を引き上げるためと、変装とを兼ねていた。蒸すような熱帯夜だったが、昼間受けたショックで感覚がマヒしていたためか、不思議と暑さは感じなかった。


 野山を自転車で一気に上り、ようやく貯水槽までたどり着いた時には息も絶え絶えだったが、僕はすぐに死体の掘り出し作業に取り掛かった。ここに来る途中、何台かのパトカーが通り過ぎるのを遠目に見た。普段であれば夜間にこの近辺をパトロールをしているところなんてめったに見かけないが、ひょっとしたら事件のために警戒を強化しているのかもしれない。一刻も早く死体を確認する必要がある。

 貯水槽に足を踏み入れると、すぐに不気味な音を立てて水が長靴の中へと入ってきた。底には泥が溜まっているのか柔らかく、どこまでも引きずり込まれていってしまうような気がする。僕は持ってきた懐中電灯で手元を照らしながら、手探りで逢瀬川の死体を探す。目測ではこのあたりに沈めたはずだったが、貯水槽が意外と深かったためにまるで位置がわからない。


 ガタリ、と背後で音がして、僕は飛び上がるようにして振り返った。息を殺して人影を探すものの、あたりは真っ暗で何も見えない。僕は恐る恐る懐中電灯を物音のしたほうに向けた。誰もいない。風が出てきたせいか、道路わきの木々が少し揺れているだけだ。

 落ち着け、僕。ここまで来て怖がっていてもしょうがない。まずは逢瀬川の死体が入った袋を見つけるんだ。それから中身を確認する。まずはそれだけをクリアすればいい。対して大きな池じゃないから、真剣にやればすぐに終わる。そうしたら家に帰ってゆっくり休めばいい。それでまた明日逢瀬川が前の席に座っていたとしても、それはその時に考えればいいさ。そうすればとりあえずは以前と同じルーチンが戻ってくる。

 僕は大きく一度深呼吸をして、それから顔が水面に着く限界まで沈んで、両腕で逢瀬川が入った袋を探す。黒くてドロドロの水はひどく臭って、僕は何度も吐きそうになったがその度に何とか堪えた。

 何かが手に触れたような感触がして、僕は手を握って勢いよく引き上げた。

 僕の沈めた袋だ。縛り方があまかったせいか、たっぷりと水を吸ってすっかり重くなっていた。僕は出来るだけ静かに水を捨ててから、貯水槽のそばで中身を広げ、懐中電灯を当てた。


 袋の中身は、僕の記憶通り逢瀬川だった。間違いなく僕が一昨日殺して、解体して埋めた転校生だ。水の中に長いこと浸かっていたせいか、血の気が失せていつもよりも青白く、加えて水を吸ったからかブクブクと太って見えたがそれだけだ。逢瀬川まなみが死んだことは揺るがない事実だ。

 だったら、今日教室いたあいつは一体誰なんだ?僕以外の誰もが気が付かないほど逢瀬川にそっくりで、そのうえ僕とのプリントでのやり取りを知っている人物。それこそ双子か、幽霊か、それともロボットや何かでなければ、僕自身がおかしくなっているとしか考えられない。

 僕は一気に力が抜けて、腰から崩れ落ちた。砂利と水を吸った合羽が小さく音を立てたが、そんなことはもう気にしなかった。


 唐突に光が当たって、僕は目をくらませながら振り返った。いつの間にか止まっていた自動車が、僕のほうを照らしていた。

「あら、こんばんは」

 助手席から出てきたのは、知った顔だった。

 逢瀬川まなみだ。

 僕は背筋がぞっと凍り付くのを感じながら、先ほど引き上げた死体と目の前にいる逢瀬川を何度も見比べる。やはり同じ顔だ。しかし一方は死んでいて、一方は生きている。この状況をどうやって説明したらいいだろう。

「逢瀬川、お前、どうしてここに」

 僕は恐怖で竦みそうなところを、絞り出すようにして声を出した。

「さあ、何故かしら。何かに呼ばれた気がしたんだけれど」逢瀬川は見下すような視線を向けて、冷ややかに微笑みながら死体を指さす。「ひょっとしたら、その子が私に助けを求めたのかもしれないわ。殺人犯の手にかかって哀れにも死んだ被害者の少女が、それでも生きた証を残したくて遺棄された場所からテレパシーを送ったのよ。あるいは、死後にさえも嬲られる屈辱に耐えきれなかったからかも」

 余裕の表情でせせら笑う逢瀬川を、僕は負けじとにらみ付ける。恐怖に体がすくんで今すぐに逃げ出したい気持ちだったが、ここで引けば逢瀬川に飲み込まれてしまうような、得体のしれないものを感じたからだ。しかし、逢瀬川はそんな僕の虚勢など意に介さないという風に一歩一歩、確実に近づいてくる。必死に踏ん張る足が震えているのに気付いて、僕はさらに力を込めた。

 目の前にいる逢瀬川と僕の殺した逢瀬川の関係性はわからないが、彼女がここにやってきた理由はおそらく僕への復讐だ。自分を殺した相手への報復として考えられる一番打倒なもの。目には目を、歯には歯を。逢瀬川は、僕を殺しに来たのだ。


 一人殺すのも、二人殺すのも一緒だよ、と頭の中で誰かの声がささやく。自分が殺されるよりも、相手を殺したほうがいいよ、とも言う。臆病な僕を闇へといざなうように、逢瀬川を殺すための正当性が、頭の中に浮かんでひしめいていく。

 いつの間にか目の前までやって来ていた逢瀬川の首元に、僕は素早く両手を伸ばしてそのまま彼女を押し倒した。逢瀬川は特に抵抗するでもなく、相変わらずの冷笑を浮かべている。

「私も殺そうというのね」うめくように逢瀬川が声を漏らす。「あなたが殺した私と同じように。いいわ。殺せるものなら、ぜひ殺してちょうだい。私は」

 逢瀬川の言葉を遮るように、僕は一気に体重をかけた。彼女は少しもがくように足をバタバタさせて、それから動かなくなった。


 また殺してしまった。しかし、これで僕の犯行を知るものはこの世にいなくなった。逢瀬川の正体がな

んであったにせよ、もう怯える必要はないのだ。


 僕は二つ目の逢瀬川の死体の横に倒れこんだ。高まる動悸と荒くなった息が、だんだんと収まっていく。これからもう一度、二人分の死体を貯水槽に沈めて、あとは知らぬ存ぜぬを通せばそれで万事解決するのだと思うと、すっかり肩の荷が下りた気分だった。


「あーあ。やっぱりまた殺してしまったのね」


 唐突な声に、僕はガバっと起き上がった。声のしたほうを見ると、そこには三人目の逢瀬川が立っていた。僕が殺した二人とまったく同じ、冷たい微笑を浮かべている。まるで、僕が彼女たちを殺すのをずっと見ていて、それが予想通りであったかのようだった。

「今度は私を殺すのかしら?それとも……」


「私を殺すのかしら?」


 また別の声が聞こえたと思うと、逢瀬川の背後からさらに別の逢瀬川が現れた。それだけではない。四人目の逢瀬川が現れたのと同時にか、あるいは僕が気が付いていなかったのかは定かではないが、目を凝らすと周囲には何十もの逢瀬川まなみがぞろぞろとひしめいていた。全員が全員、同じ表情で僕のほうを見ている。

「お前たちは一体何なんだ!」

 僕が悲鳴のような叫び声をあげると、まるでカエルが合唱するように逢瀬川たちが一斉に笑い出した。

「私たちが何かなんて、いまさら過ぎるんじゃなくて?」

「そんなこととっくに知っているでしょう」

「私は逢瀬川まなみ」

「三年生の二学期からあなたのクラスにやってきた転校生よ」

 ケタケタという笑い声に、僕はたじろぐ。ステージの上でセリフを忘れた役者か、陪審員に囲まれた被告人か、あるいはその両方になったように感じた。そのどちらの場合でも、聴衆は唯一、そして大量の逢瀬川まなみだ。

「私たちは逢瀬川まなみ。体に六百六十六の、古今東西ありとあらゆる不死の法を宿している」

「ゾンビであり、幽霊であり、サイボーグでもある」

「ケガをすれば再生するし、千切れたらそこから分裂する。生まれ変わってもまた私になる。私の血を吸った木は、いずれ私の顔をした実をつけるわ」

「私たちは決して死ねない。だからいつも死に場所を探しているの」

「だから、あなたが私を殺そうというのなら大歓迎よ。どうぞ殺してちょうだい」

 真っ暗な夜の闇の中で、僕は無数の逢瀬川が好き勝手に話すのを呆然と聞いていた。逢瀬川の話は僕が理解できる限度を軽く超えていて、僕には何をすることもできなかった。

「それで」また逢瀬川の声がして、僕は振り返った。「あなたは私を殺してくれるのかしら?」

 僕が殺したはずの逢瀬川の頭部が、僕のほうを見ていた。逢瀬川がにたりと笑うと、バラバラの体がまるでビデオを逆戻しにしたかのように、生きていたころの形を取り戻した。


 そうして僕は、とうとう気を失った。

 目が覚めると、僕はいつも通り自室の布団にいた。変わり映えのしない夏の朝だ。僕は伸びをしてから起き上がり、朝食をとり家族に挨拶をして、それからいつもと同じ時間に自転車に乗って家を出た。

 昨晩、結局どうなったのか、僕は覚えていない。逢瀬川と何かを話したような気がするが、肝心の内容はどうしても思い出せなかった。しかし、思い出せないということは、それは多分大事なことではないのだろう。僕は気を取り直して学校へと向かった。


 教室には先客がいた。

「お、おはよう、逢瀬川」

「あら、おはよう、久地ヶ先くん。今日も早いのね」

 逢瀬川は僕のほうを見ると、薄く微笑んだ。今日の逢瀬川はいつもより親しげだ。どうしてだろう?僕は何か、重要なことを忘れている気がする。とはいえ、クラスメイトと仲が良いのはいいことだ。仲が悪いよりよっぽどいい。僕は満足して、彼女の後ろの席に腰かけた。

「聞いて、久地ヶ先くん。ちょっと面白いことがあったのよ」

 逢瀬川が嬉しそうに話し始める。僕は何かデジャヴを見た気がした。そうして、僕の日常に、とてつもなく恐ろしいものが組み込まれたことをはっきりと感じた。それが何であるかはわからないけれど。

 だけど僕は頭を切り替えて、まずは友人と過ごす朝の時間を楽しむことにしたのだ。


 僕にとって大切な、朝のルーチンなのだ。


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